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雑音 4-3


 『祝福』卿の処刑の後、『木洩れ日』卿が行ったのは、租税簿冊の改ざんであった。

 『祝福』卿が魔女を匿っている、という噂を裏付けることになったのが、この租税簿冊だったからである。


 領主が管理するこの帳面には、どの家に何人の子どもが居て、誰がいつ生まれ、いつ逝去したのかが記録されている。

 『清廉』卿は『祝福』卿を投獄した後、『祝福』領地の租税簿冊を片手に、領民をひとりひとり確認していったのだった。


 『祝福』卿は先手を打ち、匿っていた魔女たちも帳簿に記帳していたが、忽然と現れた存在を見逃す『清廉』卿ではなかった。

 いつ、どんな理由で『祝福』領へ引っ越してきたのか、ひとりで来たのか、家族はどうしているのか、細かなことを幾度も幾度も繰り返し尋問し、帳簿との矛盾点が見つかればそこをさらに掘り下げる。

 そうやって『清廉』卿は、魔女の存在を明るみに引きずり出したのだった。


 魔女とはなんら関係なく、税が納められないとの理由で敢えて出生の届けをしていなかった領民も中には居た。

 しかし、一度魔女の嫌疑をかけられた以上、それを晴らすことは何人なんぴとたりとも不可能だ。

 魔女ではないのに、魔女として処刑された領民も片手の数では足りなかっただろう。


 『木洩れ日』卿は、『祝福』卿と同じてつは踏むまいと、簿冊の改ざんを行った。

 その際目を付けたのが、『五月雨さみだれ』という名の老夫婦だった。

 彼らはひとりの孫と同居していたが(娘夫婦の忘れ形見だ。娘夫婦は事故ですでに鬼籍に入っている)、その孫が最近、馬車に撥ねられて亡くなったらしい。

 『五月雨』夫妻の孫は、奇しくも『雑音』と同い年だった。


 『木洩れ日』卿はその孫の死亡届けを焼却し、書類上はまだ生きていることにした。

 いざというときは『五月雨』夫妻に『雑音』を預け、家族のふりをしてもらうこととする。書類がきちんと整備されており、頭数さえ合えばそれほど厳しい取り調べは行われないだろう。


 楽観視はできなかったが、ともかく『雑音』の存在が怪しまれないよう、できる裏工作は整えた。


 そんな『木洩れ日』卿が頭を抱える出来事が起こったのは、彼の息子と『雑音』が十三歳になった年だった。



 その日、『雑音』はいつものように琉斗と一緒に森へ遊びに行っていた。


 体が成長するにつれ、琉斗はますます活発になっていた。

 日がな一日を屋敷で過ごす『雑音』とは違い、琉斗は『木洩れ日』領にある学校に通っている。学校には友人がたくさん居るだろうに、琉斗は毎日真っ直ぐに屋敷に帰って来ては、『雑音』と遊ぶ時間を作ってくれていた。


 琉斗は学校では『雑音』の存在を秘密にしていた。

 『木洩れ日』卿がそうしなさいと言ったからだ。彼は父親の言いつけを従順にまもっていた。

 『雑音』の事情を知らないながらに、なにか深刻な理由があるのだと察しているようだった。


 そんな琉斗へ、友達と遊んできていいよ、と『雑音』が言うと、彼は肩を竦めて唇の端を曲げた。


「俺が時期領主だからって、みんななんか遠慮がちなんだよな。おまえと遊ぶのが一番楽しいよ」


 琉斗にとっては何気ない言葉だったかもしれない。

 けれど『雑音』は、胸がじんわりと温かくなり、自分がひどく満たされるのを感じた。


 森では琉斗が高い木に登ったり、小川で素手で魚をとろうとしたり、野兎やリスを捕まえようとしたりして走り回っている。

 『雑音』は草花の観察をする。見たこともない花や木の実を発見し、屋敷の書斎にある辞典で名前を調べるのが『雑音』の小さな楽しみであった。 


 時折精霊のかけらたちが寄ってきて、草花に触れている『雑音』の指先でぽんぽんと跳ねて遊び出す。

 琉斗が居るときは『雑音』は、精霊たちが見えないふりをしなければならかなったが、たまに気がゆるんでポロっと彼らに話しかけてしまうことがあった。

 琉斗はそれを見て、

「おまえ、花にもしゃべるんだな」

 と『雑音』にとって都合の良い勘違いをしてくれたから、『雑音』は曖昧に笑ってごまかすことができた。


 この日も『雑音』が地面に這いつくばって、精霊たちと小声で会話をしながら草を掻き分けて新しい発見がないかと探している頭上で、琉斗は木登りに興じていた。


 時折琉斗が、

「なんかいいのあったか?」

 と問いかけてくる。『雑音』は木を見上げて、

「まだなにも見つかってないー」

 と返事をし、また草の茂みを探った。


 しばらくすると、指先になついてきていた精霊たちがにわかに騒ぎ出した。


 うえをみて、うえをみて、と口々に言われて、『雑音』は頭上を見上げた。

 いつの間にか空にはどんよりとした黒い雲が増えていた。


「雨が降りそうだよ」


 『雑音』が琉斗へとそう言ったとき、ピカっと空が光った。雷だ。

 背の高い木の、遥か上まで上っていた琉斗も天を仰ぎ、雲の様子を見てから、

「すぐ降りる。先戻ってていいぞ」

 と声を落してきた。

 『雑音』は首を横に振って、琉斗を手招いた。


 空がまた光った。ゴロゴロと恐ろしい音が轟ぎ出す。

 これはやばいな、と琉斗が呟いたのがわかった。


「危ないよ。早く降りてきて!」


 『雑音』が雷の音に負けないよう、両手を口の端に当てて大声で叫んだ。

 ポツポツと雨粒が降ってきて、仰のいている『雑音』の顔で弾けた。


「先帰ってろ。濡れるから」


 さっさと行け、とばかりに琉斗が右手を動かした、そのときだった。


 ドーン、とものすごい音がした。衝撃に『雑音』は尻もちをついて引っくり返った。


 なにが起こったのかと慌てて身を起こすと、琉斗の登っていた木が大きく割けていた。辺りに焦げ臭いにおいが充満する。それを流すように雨が本ぶりになってきた。


 木の向こう側に、琉斗が横たわっているのが見えた。『雑音』は仰天して彼の傍へと駆け寄った。

 雷が木に落ちたのだ、と冷静に理解できたわけではなかったが、琉斗が木から転落したことだけはわかった。


 落下した衝撃で内臓が傷ついたのだろうか、開いている口から血が漏れている。


 『雑音』は咄嗟に歌った。

 琉斗を治すこと、それ以外になにも考えられなかった。 


 精霊たちが寄ってきて、緑や黄色に輝きだした。光を増した彼らは琉斗の体の中へ吸い込まれてゆき、琉斗が内側から発光しているようにも見えた。


 お願い、治して。琉斗を治して。


 それだけを祈りながら、『雑音』は歌う。


 やがて光が収束していった。


 もういいよ、と遊びの延長のように、精霊がきゃらきゃらと笑った。


 『雑音』が見守る中、琉斗がゆっくりと起き上がった。

 彼は『雑音』を見て、それから不思議そうに自身の腕や足を確認し、裂けて焦げた大木を見て、そして再び『雑音』へと視線を戻した。


 二人が無言で見つめ合っていると、

「どうした、大丈夫かっ?」

 慌ただしい足音とともに『木洩れ日』卿が妻と一緒に駆けつけてきた。

 そして落雷の後を見つけ、緑色の瞳を大きく見開いた。


 びしょ濡れになった妻が琉斗へと走り寄り、

「怪我はないの、あなたたち」

 とドレスが汚れるのも気にせず地面に膝をついて、我が子と『雑音』の様子を窺った。


 琉斗があんぐりと開けた口で、

「と、父さん」

 と、掠れた声で呟いた。


「……魔女が、居る」


 『雑音』は『木洩れ日』卿へ顔向けができずに、悄然とうなだれた。


 『木洩れ日』卿が険しい顔で二人を見比べた。妻は口を覆って凍り付いたように動きを止めた。


 琉斗だけが忙しない動作で立ち上がり、叫び声を上げながら『雑音』へ飛び掛かってきた。

 そのあまりの勢いに『雑音』はべしゃっと水たまりのできた地面に琉斗もろとも転がった。


「すげぇ! すげぇ!! ありがとうな」


 雑音の背に、琉斗の腕がしっかりと回された。

 そのまま力いっぱい抱擁され、『雑音』は琉斗の胸に頬を押し付ける形となった。


「たすけてくれてありがとう! ありがとう!!」


 琉斗が無邪気な声で、『雑音』へと礼を言うのを、『木洩れ日』卿が文字通り頭を抱えながら見下ろしていた。 









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