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雑音 4-4


 『雑音』が魔女であることが露見しても、琉斗は態度を変えなかった。

 森で遊ぶ二人の時間は減ったりしなかったし、彼の眼差しに恐怖の色が混じることもなかった。


 『木洩れ日』卿は琉斗への口止めをきつく行うと同時に、『雑音』へも今後一切の魔法を使うことを禁じた。


「きみの安全が確保されるまでは、絶対に、私のゆるしなく魔法を使わないこと」


 『雑音』は『木洩れ日』卿の言葉に頷き、これを誓約した。

 そして琉斗も、『雑音』の存在を秘匿しておくことを父に誓ったのだった。



 『木洩れ日』卿は二人を自身の傍らに座らせ、魔女がなぜ迫害されるのか、『創まりの神』の話を交えて話してくれた。

 いまの王さまの考え、民衆の思い、それらをわかりやすく言葉を砕きながら語った。


 そして話の最後には決まって、

「きみたちは仲良くしなさい。きみたち二人が仲良しでいられれば、それが新しい世界のいしずえとなるよ」

 と口にした。


 『木洩れ日』卿が話をそう結ぶたびに、『雑音』と琉斗は目を見交わせて微笑みあった。

 自分たちがいがみ合うことなんて、永劫にないと思っていた。




 琉斗と『雑音』の関係が決定的に壊れたのは、流行り病が『木洩れ日』領に蔓延したときのことだった。二人は十七歳になっていた。


 高熱と体の痛みに苦しみながら、領民たちが次々に亡くなってゆく。全身に赤い斑点が現れることから、『赤のやまい』とも呼ばれたそれは、民のみならず、領主である『木洩れ日』卿とその妻までもを襲った。

 公正で知られる『木洩れ日』卿は日ごろから領地をよく治めており、民との距離も近かった。そして彼の妻も、孤児院や施療院へ足を運び、慰問活動に勤しんでいたのだが、それが仇となり『赤の病』に侵されてしまったのだ。


 『木洩れ日』卿は妻に続き自分にも病が移ったことを知ると、『雑音』を地下室へと閉じ込めた。

 病気からの隔離目的もあったが、医師や看護人、世話役など屋敷へのひとの出入りが増えると、『雑音』の存在に気づかれる可能性が高い。彼はそれを危惧したのだった。


 食事は琉斗が運んできた。

 彼は地下室に来るたびに『雑音』の肩を掴み、

「父さんと母さんを治してくれ」

 と必死に訴えた。

 ときに頭を下げ、ときに脅すように、何度も何度も「治してくれ」と言い続けた。


 『雑音』はその度に謝りながら首を横に動かした。

 『木洩れ日』卿のゆるしなく魔法は使えない。『木洩れ日』卿がいいよと言ってくれるなら、すぐにでも魔法を使うのに。


 『雑音』はすでに、琉斗がこうして両親の治療を頼み込みに来る前に、夜中にこっそりと地下室を抜け出して、『木洩れ日』卿の部屋を訪れていた。

 病床に臥せっている彼の傍らに立ち、歌を歌おうと息を吸い込んだそのとき、『木洩れ日』卿の手が『雑音』の手首を強い力で握ってきた。


「使ってはいけない」

 と、苦しげな呼吸の合間で、しかし明瞭な声音で、『木洩れ日』卿はそう言った。


「魔法は使わない。約束しただろう」


 しずかに諭され、『雑音』は泣いた。


「きみが自由に歌える日まで、その力はとっておきなさい」


 乾いたてのひらが、『雑音』の手の甲を撫でた。痛いほどにやさしい感触だった。

 妻の方はと、『木洩れ日』卿の隣で寝ていた彼女へ目を向けると、彼女は嗚咽をこらえるように口を押えていた。たすけて、と言いたいのかもしれないと『雑音』は思った。しかし彼女は言わなかった。細い肩は細かに震え、いつもは綺麗に結い上げている金髪は、無造作に枕の上に流れていた。


 『木洩れ日』卿夫妻はともに、顔にまで赤い斑点が広がっていた。

 死へ向かうひとなのだ、と『雑音』は噛み締めるようにして理解した。


 『木洩れ日』卿とのやりとりを、『雑音』は琉斗へ説明した。卿自身に魔法を止められていることを語った。

 しかし琉斗は頑なに首を振り、

「頼むから治してくれ」

 と訴え続けた。


 琉斗の、毎日のようにあった地下室への訪れが止んだのは、『木洩れ日』卿がいよいよ危ない、という段になってだった。

 琉斗が嘆願を諦めたからではない。

 彼自身が地下室へ足を運べる状況ではなくなったのだ。


 『赤の病』は、琉斗にまでその毒手を伸ばし、若い体を蝕んだのだった。


 琉斗が高熱に倒れたとき、『雑音』は彼の目の前に居た。いつものように「父さんを治してくれ」と訴えていた琉斗が突然ずるずると頽れていったから驚いた。

 慌てて抱き起こそうとした手を、琉斗が払った。

 『雑音』はその彼の腕に赤い斑点があるのを見た。


「触るな。移るぞ」


 琉斗はそう言い、自力で立ち上がると足を引きずるようにして階段を一段ずつ上っていった。

 見ていられず『雑音』は部屋を飛び出し、琉斗に肩を貸した。

 琉斗は『雑音』を突き飛ばしたが、『雑音』は離れなかった。


「いまからすぐに、父さんを治してこい」


 琉斗は朦朧となりながらも『雑音』へそう告げて、昏倒した。


 『雑音』が琉斗を抱きかかえて一階のホールへ上がると、突如として現れた見知らぬ人間に使用人たちは騒めいたが、伯爵の息子がただならぬ様子であることに気づき、医師の手配などを慌ただしく行い始めた。


 琉斗は医師と看護人が駆け付けるまでに一度目を覚まし、『雑音』は『木洩れ日』卿がわけあって預かっている子だと、怪しい存在ではないのだと主張し、また意識を失った。

 そのおかげで『雑音』の誰何すいかは後回しとなり、存在は黙認された。


 琉斗が倒れてから三日後、『木洩れ日』卿が死んだ。

 その半日前には妻が亡くなっていた。


 琉斗は両親の死も知らずに昏睡の中に居た。

 領主夫妻の亡骸は街の片隅で焼かれた。流行り病で亡くなった者は例外なくそうすることと決められていた。感染を広げないためにも必要な措置だった。


 『雑音』は琉斗の部屋の窓から、『木洩れ日』卿が焼かれたのだろう煙が立ち上ってゆくのを見ていた。

 たまらなくかなしくなって、琉斗の手を握る。

 斑点はもう首筋にまで広がっており、顔に浸食するのも時間の問題と思われた。


 その日の夜、医師たちがすべて居なくなるのを待って、雑音は歌った。

 琉斗を治すために歌った。

 『木洩れ日』卿の言いつけをやぶって、歌った。

 ひとりになるのが嫌で、不安で、さびしくて。

 治せないならせめて『赤の病』を僕に移してほしいと願いながら、自分のためだけに歌ってしまった。


 その罰が当たったのだろうか。


 翌朝、目覚めた琉斗が自身の両腕を見て。

 驚いたように跳ね起き、鏡に映る顔や体を確かめ、ベッドの横で立ち尽くしていた『雑音』の姿を目にして。


「なんでだよっ!」


 と、絶望したように頭を抱え、怒鳴った。


「なんで俺を治したっ! 父さんを治せって言っただろ! 父さんは? 父さんはどうした、治したのか?」


 激昂して掴みかかってきた琉斗へと、『雑音』は泣きながら顔を横に動かした。


「伯爵は、亡くなった。……おばさんも」


 その瞬間、こぶしが頬にめり込んで、『雑音』の体は吹っ飛んだ。

 ガタンっ、と派手な音を立てて床に転がった『雑音』は、茫然と琉斗を見上げた。


 琉斗は全身を怒りでワナワナと震わせていた。 


 そしてひと言。

「魔女め」

 と吐き捨てた。










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