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雑音 4-5


 琉斗の変貌ぶりは、鮮やかと言って良かった。


 彼は領民の前に『雑音』を突き出し、亡き『木洩れ日』卿が魔女の疑いがあるとして捕らえていた者だ、と、そう告発した。

 流行り病の対応で疲弊していた民たちは恐れおののき、魔女への嫌悪と怒りを爆発させた。


 『赤の病』は魔女がもたらした呪いではないか、と誰かが言い出した。その声は次第に広がってゆき、『木洩れ日』卿の屋敷前の広場を揺るがせるほどとなった。


 琉斗は両手を広げ、民たちをしずめた。


「たしかに俺の両親は『これ』の呪いで殺されたのかもしれない」


 冷たい声で、琉斗がそう言った。


 『雑音』はかぶりを振り、「違う」と訴えようとした。

 『木洩れ日』卿を呪ってなんかいない、『赤の病』と魔女は関係ない、と。

 しかし琉斗のこぶしが『雑音』から反論を奪う。


 したたかに殴られて、『雑音』は地面に倒れ込んだ。うずくまった『雑音』に向けて、誰からともなく石が投げられた。

 痛みに耐えながら琉斗を見上げると、温度のない目がこちらを見ていた。


 高熱で臥せり、痩せたせいもあるのだろうか。そこに以前の快活に笑う琉斗の面影はなかった。別人のようだ、と『雑音』は思い、うちひしがれてうつむいた。


 琉斗はぞんざいな仕草で『雑音』をひと蹴りすると、

「聞け」

 と集ったひとびとへ向けて声を放った。


「我々がまずすることは、一日も早く病の収束を図ることだ。『木洩れ日』卿はすでに亡い。伯爵家は俺が継ぐ。すでに王城には遣いを出している。追って叙勲の報せがもたらされるだろう」

「しかし坊ちゃん、いや、伯爵」

「なんだ」

「この魔女はどうするんです。早いとこ始末しないと、『赤の病』は広がる一方じゃないですか」


 声を上げた男に、そうだそうだ、と賛同の野次が飛んだ。

 琉斗は彼らを一瞥すると、冷淡な声音で問いかけた。


「俺の父の名はなんだ」

「へっ?」

「言ってみろ。俺の父の名を」

「……『木洩れ日』卿です」

「そうだ。公正で公平であると言われた『木洩れ日』卿が俺の父だ。その父が『これ』を捕らえた。魔女の疑いがあると言ってな」


 琉斗の言葉に、「そうだ!」「『木洩れ日』卿が言うなら間違いないっ!」と民衆が口々に叫んだ。それを眼差しひとつで黙らせて、琉斗が続きを口にした。


「魔女だから捕らえたのではない。あくまでも疑わしいから捕らえたのだ。いいか、疑わしきは罰せよ、と父は言わなかった。俺は父に、公正に物事を見極めよとおしえられた。俺は公平公正な『木洩れ日』卿の嫡男だ。『これ』の処遇については父の遺志に沿うものとする」


 民衆はまごついたように黙り込み、顔を見合わせてから琉斗へ視線を戻し、尋ねた。


「……と言いますと?」

「『これ』を処刑するには、『これ』が魔女である証拠が必要だ。父もそう考えていたからこそ、手元に捕らえておいたのだ。おい貴様、魔法を使って見ろ」


 最後の言葉は『雑音』へと向けて、琉斗がまた背中を蹴飛ばしてきた。靴先が脇腹にめり込み、『雑音』は痛みに悶絶しながら首を横に動かした。


「貴様が魔女なら俺の足ごとき斬り落とせるだろう。やってみろ! やってみろっ!」


 荒々しく怒鳴った琉斗が、三度、四度と足を振り下ろす。『雑音』は激しい暴力の前にただ身を丸くすることしかできなかった。 


 琉斗がようやく動きを止め、乱れた呼吸を整え、領民たちへと意識を戻した。


「これが真実魔女ならば、俺は、俺の両親をおぞましい呪いで殺した『これ』をゆるしはしない。民のいのちを奪った『これ』を決してゆるしはしない。必ず断頭台へ上げてやる。だが、疑わしいだけではそれは果たせない」

「坊ちゃん!」

「ではどうするのですかっ!」

「伯爵っ! いますぐ魔女狩りを呼びましょうっ!」


 批難の声が一斉に琉斗へと向けられた。琉斗はしかし平然とそれを受け止め、口元から血を流している『雑音』の腕を掴むと、強引に立ち上がらせた。


「『これ』が魔女かどうか、俺が見極める。いいか、俺が証拠を掴むまで何人なんぴとたりとも『これ』に手出しするなよ。『これ』の首を刎ねるのは俺だ。魔女の証拠を見つけたときは、俺が必ず殺す」


 琉斗は朗とした声で明言した。


 いつまでですか、と誰かが問うた。


「見極めるというのはいつまでですか! その者がこの先魔力をひた隠しにし、ふつうの人間を装わないとなぜ言えるのです!」


 悲痛な声だった。

 家族を喪ったのは琉斗だけではない。ここに集う民の誰もが、身内や友人を病で奪われている。流行り病、というどこにもぶつけようのなかった怒りが、魔女という存在を得て一気に『雑音』へと収束していた。皆が復讐を果たしがっている。


 琉斗は彼らへと向けて真摯な声音で語った。


「『木洩れ日』卿が領主と成ったのはよわい二十三のことだった。父の公正さは当初から有名だったと聞く。そうだな?」


 水を向けられた古参の使用人が、戸惑うように頷いた。それに首肯を返して、琉斗が言葉を続ける。


「俺が当時の父に追いつくまであと六年だ。その頃には俺の目も、父と同じように物事が捉えられるようになっているはずだろう。それまでは『これ』の処刑は留保する。……もちろん、魔女である証が見つかれば即座に断頭台へ送るがな」


 六年……長すぎる執行猶予に民たちは戸惑ったが、『木洩れ日』卿の訓えをまもりたいという若き伯爵の思いもまた、理解できなくはなかった。

 逡巡しながらも仕方なく頷き始めた彼らの中から、おずおずとした疑問の声が琉斗へと向けられた。


「そういえば坊ちゃんは……『赤の病』に罹ったんじゃ……」


 そう言った男の周囲の者が息を飲んだ。

 彼らの目に映る琉斗に、赤い斑点はひとつもなかった。

 琉斗がふっと笑った。冷たい眼差しのままの、昏い微笑だった。


「俺の病は、『赤の病』ではなかった。それだけだ」

「ですが坊ちゃん……」

「俺の両親の看病で、医師は疲れ切っていた。だから俺が倒れたとき、ろくに検分せずに『赤の病』だと思ったんだろう。彼には『木洩れ日』卿の死を王へ伝えてもらわなければならないから、その遣いのついでに休養を与えている。戻ってきたら俺の病状を確認しろ」


 琉斗はそう言った後、また冷笑を浮かべた。


「貴様が魔女なら、俺の親を殺したように俺を呪ってみろ。俺が『赤の病』に罹れば間違いなく貴様の仕業だな。そうなればここに居る民たちが貴様を断頭台へ連れて行ってくれるだろう」


 ドン、と『雑音』の肩を小突いて、琉斗は顎をしゃくった。


「地下室へ幽閉する。誰か、縄を持ってこい」


 伯爵の命令に男のひとりが素早く走って行った。


 琉斗の双眸は凍えたままだった。


(おれが味方だ。おまえのことは、おれがまもってやる)


 そう言っていた琉斗はもうどこにも居なかった。


 魔女として、琉斗に殺される日までを生きる生活が、始まった。








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