琉斗と話がしたい。
いま、彼がなにを考え、なにを思っているのかを知りたい、と聡也は強く願ったが、その機会は訪れないままに塔を出る日になってしまった。
『雑音』の居た石造りの塔は、周囲の木々に紛れるほどの高さで、少し離れると見えなくなる。
男たちに引き立てられ、正装した琉斗の後に続いて歩きながら振り返った『雑音』の目には、早くも緑の葉の向こうに外壁の存在が埋もれてゆくところだった。
林の中に佇む小さな塔。
『雑音』を閉じ込めていたはずのそれが遠ざかってゆくのを眺めながら、聡也は、まるで『雑音』を隠していたようにも見えるとなと思った。
琉斗が『雑音』を見まもっていたという己の仮説を信じるならば、琉斗はここに『雑音』を閉じ込めたのではなく、隠したのだという解釈も成り立つ。
魔女狩りをしようとする領民たちから。
幽閉という建前を使って、『雑音』をまもり、隠していたのだろうか。
琉斗のきれいに伸びた背筋を見ながら、聡也はそう考えた。
もう少し歩けば
彼をたすけて、という『雑音』の言葉は、琉斗に斧が当たらないようにしてくれという意味なのだろうか。
でも聡也は『雑音』の体を動かすことはおろか、自分の意思で声を発することもできない。
『雑音』の体験をなぞることしかできない。
どうしよう。どうすればいいのだろう。
ひとり悶々と考え込んでいる内に、『その場所』に来てしまった。
草木を掻き分けて現れた領民たちが、『雑音』を見つけ石を投げながら怒鳴った。
「魔女めっ! こんなとこに隠れていたのかっ!」
「死ねっ、死ねっ!」
石礫が『雑音』を襲う。
聡也は目を閉じないように歯を食いしばった。
見る。全部、見るのだ。聡也にできることは、それしかない。
刺繍の入った外套が聡也の前にひるがえった。その裾の向こうに、斧を振りかぶる男の姿が見えた。
琉斗が領民と『雑音』の間に体を割り込ませてくる。
彼の両腕は大きく広げられており、『雑音』を庇うために立ちはだかったのはもはや疑いようもなかった。
斧が飛んできた。
生木を両断するように、その刃が琉斗の脇腹を割いた。
血がものすごい勢いで噴き出した。
錆びた匂いが一気に立ち上り、目眩がした。
斧が地面に転がった。その音から一拍遅れて、琉斗の体が倒れた。
びしゃり、と濡れた音がして、琉斗の金髪も赤く染まり出した。
血だまりに顔の半分を浸からせたまま、琉斗が目を動かした。
蒼白な頬とは裏腹に、彼の眼差しはまだ力強く、中空を走ったそれは『雑音』の上で止まった。
色を失った唇が、微かに動いた。
琉斗が『雑音』へ、なにかを言おうとしている。
聡也は彼の口元を見つめた。ひゅー、と弱弱しい吐息とともに、またそこが震えながら開かれる。
に、げ、ろ。
声もなく、琉斗はそう告げた。
逃げろ、と。
「うわぁぁぁっ!」
「伯爵っ! 伯爵!!」
「医者だっ。医者を呼べっ」
「先に止血を!」
「伯爵!」
周囲が俄かに騒がしくなった。
慌てふためく男たちの様子は、『雑音』の目には入っていなかった。『雑音』はただ琉斗を見つめ続けていた。
琉斗の目が虚ろになり、瞼が下りてくる。
させない。
琉斗は死なせない。
ぜったいに死なせない。
聡也は強い衝動に突き動かされるようにして、歌った。
実際に歌ってるのは『雑音』だ。けれどそこに自分の歌声も乗せた。意味のない行為だとは知っていた。でもじっとしてはいられなかった。
琉斗の傷が癒えてゆく。
一度は閉じられた瞳が、ゆっくりと開いた。
やがて身を起こした琉斗が、絶望したように『雑音』を見た。彼の表情は悲愴に歪んでいた。
ごめんね、と聡也は謝った。
たぶん、『雑音』も謝ったのだと思う。
ごめんね、せっかくたすけようとしてくれたのに。
リュートの思いを台無しにしてしまってごめんなさい。
気持ちが伝わったのだろうか。琉斗が、『雑音』へと手を伸ばそうとしてくる。
視界はそこで途切れた。目かくしをされたからだ。
何度繰り返しても、運命は変えられない。
明日になれば『雑音』は処刑される。
磔になって、足元に火を放たれた琉斗はどうなるのだろう。
最後の最後まで意識を保つことができればそれが、わかるだろうか。
炎に焼かれながらなにかを叫んでいた琉斗の言葉も、聞き取ることができるだろうか。
聡也は暗闇の中で祈った。
神さま。『創まりの神さま』でも僕の居た世界の神さまでも誰でもいいから、神さま。
どうか、痛みに耐える力を僕にください。
途中で気を失ったりしないように、どうか最後まで耐える力をください。
それと、よく聞こえる耳をください。
リュートの声を聞き逃さないように。
騒がしい中でも、リュートの声が聞こえる耳をください。
幾度も幾度も同じお願いを繰り返し、最後には、琉斗が死なないように祈った。
『木洩れ日』卿から聞いた、魔女狩りの話を聡也も覚えている。
魔女は首を斬られて処刑される。
魔女の仲間は火炙りだ。
けれど『創まりの神』への信仰を誓い、改心し、自らの手で魔女の首を刎ねればゆるされる。
神さまどうか、明日は、リュートがちゃんと僕の首を斬ることができますように。
リュートの手で首を斬られるまで、僕のいのちが、ありますように。
祈りながら、そうか、これか、と聡也は気づいた。
『雑音』が言っていた、彼をたすけて、というのは、きっとこれのことだ。
琉斗が生き残るためには『雑音』は死んではならない。
琉斗の手で殺されるまで、決して死んではならない。
そのために聡也は『雑音』の中に呼ばれたのだ。
いまこの体には、『雑音』と聡也、二人分の魂が入っているはずだ。
聡也のいのちを『雑音』に分け与えることができれば、『雑音』のいのちは少し延びるのだろうか。
琉斗が改心の言葉を口にして、『雑音』の首を刎ねるまでの時間分、いのちが稼げるだろうか。
わからない。よくわからないけれど、そのために自分がここに居るのなら、どうにか頑張ろうと、聡也は思った。
いのちを分け与える方法すらも、わからないけれど。
ぜったいにどうにかしようと、思った。