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雑音 5-3


 琉斗と話がしたい。

 いま、彼がなにを考え、なにを思っているのかを知りたい、と聡也は強く願ったが、その機会は訪れないままに塔を出る日になってしまった。


 『雑音』の居た石造りの塔は、周囲の木々に紛れるほどの高さで、少し離れると見えなくなる。

 男たちに引き立てられ、正装した琉斗の後に続いて歩きながら振り返った『雑音』の目には、早くも緑の葉の向こうに外壁の存在が埋もれてゆくところだった。

 林の中に佇む小さな塔。

 『雑音』を閉じ込めていたはずのそれが遠ざかってゆくのを眺めながら、聡也は、まるで『雑音』を隠していたようにも見えるとなと思った。


 琉斗が『雑音』を見まもっていたという己の仮説を信じるならば、琉斗はここに『雑音』を閉じ込めたのではなく、隠したのだという解釈も成り立つ。


 魔女狩りをしようとする領民たちから。

 幽閉という建前を使って、『雑音』をまもり、隠していたのだろうか。

 琉斗のきれいに伸びた背筋を見ながら、聡也はそう考えた。


 もう少し歩けば石礫いしつぶてが飛んできて、琉斗が斧で斬られてしまう。

 彼をたすけて、という『雑音』の言葉は、琉斗に斧が当たらないようにしてくれという意味なのだろうか。


 でも聡也は『雑音』の体を動かすことはおろか、自分の意思で声を発することもできない。

 『雑音』の体験をなぞることしかできない。


 どうしよう。どうすればいいのだろう。

 ひとり悶々と考え込んでいる内に、『その場所』に来てしまった。


 草木を掻き分けて現れた領民たちが、『雑音』を見つけ石を投げながら怒鳴った。 


「魔女めっ! こんなとこに隠れていたのかっ!」

「死ねっ、死ねっ!」


 石礫が『雑音』を襲う。

 聡也は目を閉じないように歯を食いしばった。


 見る。全部、見るのだ。聡也にできることは、それしかない。


 刺繍の入った外套が聡也の前にひるがえった。その裾の向こうに、斧を振りかぶる男の姿が見えた。

 琉斗が領民と『雑音』の間に体を割り込ませてくる。

 彼の両腕は大きく広げられており、『雑音』を庇うために立ちはだかったのはもはや疑いようもなかった。


 斧が飛んできた。

 生木を両断するように、その刃が琉斗の脇腹を割いた。

 血がものすごい勢いで噴き出した。

 錆びた匂いが一気に立ち上り、目眩がした。


 斧が地面に転がった。その音から一拍遅れて、琉斗の体が倒れた。


 びしゃり、と濡れた音がして、琉斗の金髪も赤く染まり出した。

 血だまりに顔の半分を浸からせたまま、琉斗が目を動かした。


 蒼白な頬とは裏腹に、彼の眼差しはまだ力強く、中空を走ったそれは『雑音』の上で止まった。


 色を失った唇が、微かに動いた。

 琉斗が『雑音』へ、なにかを言おうとしている。


 聡也は彼の口元を見つめた。ひゅー、と弱弱しい吐息とともに、またそこが震えながら開かれる。


 に、げ、ろ。


 声もなく、琉斗はそう告げた。

 逃げろ、と。


「うわぁぁぁっ!」

「伯爵っ! 伯爵!!」

「医者だっ。医者を呼べっ」

「先に止血を!」

「伯爵!」


 周囲が俄かに騒がしくなった。

 慌てふためく男たちの様子は、『雑音』の目には入っていなかった。『雑音』はただ琉斗を見つめ続けていた。


 琉斗の目が虚ろになり、瞼が下りてくる。


 させない。

 琉斗は死なせない。

 ぜったいに死なせない。

 聡也は強い衝動に突き動かされるようにして、歌った。

 実際に歌ってるのは『雑音』だ。けれどそこに自分の歌声も乗せた。意味のない行為だとは知っていた。でもじっとしてはいられなかった。


 琉斗の傷が癒えてゆく。

 一度は閉じられた瞳が、ゆっくりと開いた。


 やがて身を起こした琉斗が、絶望したように『雑音』を見た。彼の表情は悲愴に歪んでいた。


 ごめんね、と聡也は謝った。

 たぶん、『雑音』も謝ったのだと思う。


 ごめんね、せっかくたすけようとしてくれたのに。

 リュートの思いを台無しにしてしまってごめんなさい。


 気持ちが伝わったのだろうか。琉斗が、『雑音』へと手を伸ばそうとしてくる。

 視界はそこで途切れた。目かくしをされたからだ。


 何度繰り返しても、運命は変えられない。

 明日になれば『雑音』は処刑される。

 磔になって、足元に火を放たれた琉斗はどうなるのだろう。

 最後の最後まで意識を保つことができればそれが、わかるだろうか。

 炎に焼かれながらなにかを叫んでいた琉斗の言葉も、聞き取ることができるだろうか。


 聡也は暗闇の中で祈った。


 神さま。『創まりの神さま』でも僕の居た世界の神さまでも誰でもいいから、神さま。

 どうか、痛みに耐える力を僕にください。

 途中で気を失ったりしないように、どうか最後まで耐える力をください。

 それと、よく聞こえる耳をください。

 リュートの声を聞き逃さないように。

 騒がしい中でも、リュートの声が聞こえる耳をください。


 幾度も幾度も同じお願いを繰り返し、最後には、琉斗が死なないように祈った。


 『木洩れ日』卿から聞いた、魔女狩りの話を聡也も覚えている。


 魔女は首を斬られて処刑される。

 魔女の仲間は火炙りだ。

 けれど『創まりの神』への信仰を誓い、改心し、自らの手で魔女の首を刎ねればゆるされる。


 神さまどうか、明日は、リュートがちゃんと僕の首を斬ることができますように。

 リュートの手で首を斬られるまで、僕のいのちが、ありますように。


 祈りながら、そうか、これか、と聡也は気づいた。


 『雑音』が言っていた、彼をたすけて、というのは、きっとこれのことだ。


 琉斗が生き残るためには『雑音』は死んではならない。

 琉斗の手で殺されるまで、決して死んではならない。

 そのために聡也は『雑音』の中に呼ばれたのだ。


 いまこの体には、『雑音』と聡也、二人分の魂が入っているはずだ。

 聡也のいのちを『雑音』に分け与えることができれば、『雑音』のいのちは少し延びるのだろうか。


 琉斗が改心の言葉を口にして、『雑音』の首を刎ねるまでの時間分、いのちが稼げるだろうか。


 わからない。よくわからないけれど、そのために自分がここに居るのなら、どうにか頑張ろうと、聡也は思った。


 いのちを分け与える方法すらも、わからないけれど。

 ぜったいにどうにかしようと、思った。









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