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琉斗 1-2


 琉斗の隣に椅子を引っ張ってきた琥珀が、そこに腰を下ろした。


「なんで川になんか落ちてんだよ。ほんと、どんくさいよなおまえ」


 少しの笑いを孕んだ琥珀の声が、眠り続ける聡也へと向けられる。

 聡也の口を覆う酸素マスクが、彼の呼吸に合わせて白く曇る他は、なんの反応もなかった。


「落ちたんじゃない。自分で、飛び込んだって……」

「わかんねぇだろ、それは。事故っただけかもしれねぇじゃん」

「……」

「おまえもいい加減その辛気臭い顔やめろよ、リュウ」


 呆れたように琥珀が天井を仰いで、溜め息をついた。

 その肩に流れる金髪が、きらきらと光っている。

 かつての自分も、こんな色の髪だった、と琉斗は思った。


 そう、あれは昔……上條琉斗として生まれる、ずっと前のことだ。


 どこかの時空の、どこかの世界で、琉斗は『共鳴』と呼ばれていた。日本語とはかけ離れた言葉なので、発音するのは難しい。けれど、そういう意味の名だということはわかった。


 そこは不思議な世界だった。

 中世ヨーロッパのようでいて、まったくべつの世界でもあった。

 そこでは魔女と呼ばれるひとびとが迫害を受けており、魔法という概念も存在していた。


 琉斗はその世界の出来事を、幼いころから繰り返し繰り返し、夢で見た。

 ただの夢ではないと、直感的に感じていた。

 ただの夢ではない。

 あれらはすべて、実際にあったことなのだ。


「僕のせいで、こんなことになったんだ」

「……そりゃおまえのせいじゃないとは言えねぇけど、おまえだけのせいでもないだろ。誰がどう見ても悪いのは比内のオッサンだろ」


 琥珀はある程度の事情を知っている。聡也が入院することになったいきさつを琉斗が説明したからだ。


 琥珀は三日ほど前に、聡也と連絡がとれないことを心配して琉斗の家に押しかけて来た。ちょうどそのとき、琉斗はシャワーと着替えを済ませるため、病院から家に戻ってきたところだった。


 憔悴しきった琉斗を見て琥珀はなにがあったのか問いただしてきた。

 聡也のことを真剣に案じているその目に睨まれて、琉斗はポツポツとここ一週間で起こった出来事を語った。


 聡也が薬物に手を出したこと。

 その写真が元で、比内が脅されていること。

 このままでは聡也のシンガーとしての立場が危うくなるが、それは金で解決できると比内に言われたこと。

 聡也が薬物を打っている証拠の動画とともにその報告を聞いた琉斗が……聡也をひどく責めてしまったこと。

 そしてそれが原因で聡也が出奔し、川へ飛び込んで意識不明となったこと。

 いのちはたすかったけれど、七日経ったいまも眠ったままであること。


 疲れ果てた口調で訥々とつとつと語った琉斗の話を聞き終えた琥珀は、聡也を見舞ったあと、しばらく姿を消していた。

 そして戻って来た彼は、調査報告書の束を、ベッドサイドに座る琉斗の頭へと叩きつけた。

 そこには比内に関する情報が書かれていた。


 比内が反社会的勢力と繋がっていたこと、金に困っていたこと、聡也は比内の企みに巻き込まれた被害者であること。


 手が震えて文字がうまく拾えなかった。

 それでもなんとかすべてを理解して。


 琉斗は報告書を握り締め、後悔の涙を流した。


 自分は間違えてばかりだ。

 どうしてこうなってしまうのか。


「どうして、僕の計画はいつも……」

「ん?」


 琉斗の呟きを聞き逃した琥珀が、こちらへと耳を寄せてきた。さらり、と金の髪が流れる。そのきらめきを見るともなく見ながら、琉斗は茫洋と口を開いた。


「前も、ダメだった。失敗した。だから今度こそと思ったのに……僕の計画は今回も果たされないんだ……」

「計画ってなんだよ」

「僕の、計画は……」


 琉斗の計画は。


 『共鳴』の計画は。



「……昔から、夢を見るんだ。繰り返し。繰り返し」


 聡也の手を握る、己の両手。

 そこにべつの映像が重なり、二重写しのようになった。


「両親が、死んだとき」


 ぽつり、と琉斗は脳裏に思い浮かぶ光景を、口にした。


「おまえの親、生きてんじゃん」


 琥珀が不審げな口調で言葉を挟んできたが、それは琉斗の耳を素通りした。



 琉斗には本当の両親以外にも、親が居る。

 夢の中に出てくる両親だ。

 『木洩れ日』卿と呼ばれる父は夢の中で幾度も琉斗へ語りかけてきた。


『きみたちは仲良くしなさい。きみたち二人が仲良しでいられれば、それが新しい世界のいしずえとなるよ』


 それは、『木洩れ日』卿の祈りだった、と琉斗は思う。

 『共鳴』と、あの子……『魂の音』が、なんの障害もなく笑い合えるような世界を、父は夢見ていたのだ。



 父は立派なひとだった。公平であること、公正であること、それを己に架し、実直に生きているひとだった。


 『木洩れ日』領で父の存在は大きかった。伯爵がそう仰るなら、そう言って納得する領民を、『共鳴』も幾度となく目にしていた。

 その父がある日秘密裏に連れ帰ってきた子ども……『魂の音』は、信じがたいことに魔女だった。

 魔女が人類にとってどれほどの害悪であるかは、教科書にも記載されている通りだ。しかし父は「魔女を憎め」とは『共鳴』に教えたりはしなかった。

 なぜ魔女がこれほど悪し様にいわれるのか、質問を交えながら、その背景を語り聞かせてくれた。


 『共鳴』にとって、父の存在は誇りであり絶対的な支えであった。


 その父が『赤の病』に倒れたとき、『共鳴』はかつてない危機感を覚えた。


 自分が……自分と『魂の音』がいかに脆く不確かな足場の上に立っていたのか、震えがくるほどの衝撃とともに思い知った。

 『木漏れ日』卿の居ない世界で、魔女である『魂の音』が生きていけるのか……。


 まだたった十七歳の、自分と同い年の魔女の少年。茶色の髪に茶色の瞳の、純朴な……ただの子ども。そう、ただの子どもだ。魔女であるけれど、『共鳴』と同じ、ただの子どもなのだ。

 それなのに、魔法が使えるという理由だけで、『ただの子ども』でいられなくなった『魂の音』。

 それでも『木漏れ日』卿の庇護のもとで、彼は『共鳴』とともに育つことができた。


 父がまもり続けてきた、『魂の音』の狭い狭い世界での平穏が、『赤の病』の進行とともに、敢え無く崩れようとしている。

 『共鳴』にはそれが、恐ろしいほどによくわかっていた。予見できていた。


 父が居なければ、『魂の音』をまもることができない。

 次期『木洩れ日』卿となるであろう自分では、まだ『魂の音』がまもれない。


 父の言うことならば領民も納得しよう。

 だが、まだ若造の、なんの実績もない自分の言葉にどれほどの力があるのか。


 自分では『魂の音』をまもれない。

 おれがまもってやる、と約束したのに。

 父の力を借りなければ、まもれない。


 だから『共鳴』は地下室の『魂の音』の元へ幾度も通い、

「父さんを治してくれ」

 と頼んだ。


 『魂の音』は魔法が使えるから……かつて、雷に打たれた『共鳴』のいのちを救ってくれたから、彼がその気になれば父の病気も治せるとわかっていた。

 母でも良かった。父か母、どちらかでも快癒すれば『魂の音』をまもるための手段を一緒に考えてくれる。

 大人の力が、必要だった。


 しかし『魂の音』は魔法を使わなかった。

 『木洩れ日』卿に禁じられているからと言って、頑なに、魔法を使おうとはしなかった。

 『魂の音』に翻意を迫ったがそれは叶わず、手をこまぬいている内に、『共鳴』自身が『赤の病』に倒れることとなる。


 『共鳴』はいよいよ焦った。病で朦朧としながらも、残る力を振り絞り、

「いまから、すぐに父さんを治してこい」

 と告げた。


 『魂の音』だって、わかっていたはずだ。

 己のいのちをまもりたいのなら、『木洩れ日』卿の力が必要だということを。


 果たして、『魂の音』は魔法を使い、病を癒した。

 しかしそれは、『木洩れ日』卿に向けてのものではなかった。

 あろうことか彼は、『共鳴』を救ったのだった。


 高熱がひき、倦怠感が去り、赤い斑点が消えた体を見たとき、『共鳴』は愕然とした。


 なぜ、父をたすけなかった。

 俺を治したところで、おまえのいのちの危機はなくなりはしないのに。


 だが、『木漏れ日』卿は『共鳴』が臥せっている間に、すでに帰らぬひととなってしまった。いくら魔女でも、死人を生き返らせることなどできまい。

 もはやすべてが、手遅れだった。


 考えろ、と『共鳴』は自身に言い聞かせた。

 考えろ考えろ考えろ。

 『魂の音』をまもるための方法を考えろ。

 父も母ももう居ない。それでも、自分にできる方法を考えろ。


 考えて考えて考え抜いて、そうして『共鳴』が導きだした手段は、己にとっても『魂の音』にとっても過酷なものだった。


 それでも。



「父さんも母さんも居なくなってしまったから……僕がぜったいに、彼をまもろうと思ったんだ……」


 琉斗はそう呟いて、すがりつくように握りしめた聡也の手を、ひたいへと押し当てた。


 聡也の手はやわらかく、あたたかくて。

 その感触に、泣きたくなった。 









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