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琉斗 2-1


 『魂の音』をまもるため、『共鳴』は氷の鎧をまとった。

 感情を凍らせ、表情を凍らせ、『魂の音』を魔女として領民たちへ突き出した。

 愚かな民たちとともに魔女を罵り、『魂の音』を憎む言葉を口にした。


 薄汚い口を開くなと言って、『魂の音』が声を発することを禁じ、名前すらも彼から取り上げた。

「おまえなど『雑音』で充分だ』

 領民たちの前で彼をそう嘲った。

 必要ならば容赦のない力で殴ることだってした。


 それしかなかった。

 考え得る最良の策が、それだった。

 他の方法を思いつかなかった。 


 『共鳴』が『魂の音』を庇ったところで、魔女に操られているとされ、二人ともが処刑される未来しかない。

 だから『共鳴』は、ともかく『魂の音』がすぐに処刑されないよう、領民が先走って魔女狩りを呼んだりしないよう、己も魔女を憎んでいるのだというスタンスをとりつづけた。


 『魂の音』を両親のかたきとすることで、魔女は自分の手で殺す、という大義名分を手に入れ、しかし『魂の音』が魔女たる証拠がないためいまはできないと苦し紛れの虚勢で、父が伯爵と成った年齢に自分が追いつくまでは待て、と言い張った。


 医者には、『共鳴』が『赤の病』に倒れたことを知られている。

 斑点が全身に及んだにも関わらず、完治する者などない。しかも、たったひと晩で。

 『共鳴』が生きていることそのものが、魔女の存在を裏付けてしまっている。

 医者がそれを証言すれば、『魂の音』が真実魔女であることが白日の下に晒されることとなるだろう。或いは、『共鳴』が魔女であると誤解されるかもしれない。

 どちらにせよ危険だ。『共鳴』が誤って魔女として処刑でもされてしまえば、誰が『魂の音』をまもるのか。ひとりぼっちの、あの魔女を。


 だから『共鳴』は医者を殺した。

 問答無用に剣で斬った。

 領民たちには「彼には『木洩れ日』卿の死を王へ伝えてもらわなければならないから、その遣いのついでに休養を与えている」と説明したが、本当は、館の裏の林の奥の土の下に遺体となった医者を埋めている。 

 医者が『木洩れ日』領に戻ってくることは永劫にない。


 『共鳴』は稼いだ時間を使い、『魂の音』の亡命の準備を整えていった。

 この国に居る以上『魂の音』に平穏は訪れない。

 だが、国外へ行けば、あるいは魔女が暮らしやすい世界があるのかもしれなかった。


 『共鳴』は外国の書籍を漁り、情報をひたすらに拾い上げていった。

 そして遠く離れた東の国に、魔女の集落があることを知った。

 そこに辿り着くことができれば、『魂の音』は安全に暮らせるだろうか。

 いのちを脅かされることなく。

 あのきれいな歌声で。

 好きなだけ歌を響かせることができるだろうか。


 しかし東の国へ行くためには険しい山を登り、海を渡らなければならない。その前に、無事に国境を超えることができるかどうかすら危うかった。

 国境には警備隊が居る。それらの目をどう掻い潜るか。


 いや、問題はそれだけではない。国境の手前は『清廉』領。魔女狩り推進派の筆頭である『清廉』卿に見つからずに彼の所領を抜けるのは、容易ではなかった。


 逃亡経路を練る傍ら、『共鳴』は隠し通路を掘った。

 いざという時に使えるよう、『魂の音』が住む地下室から林に抜ける道を用意する。

 協力者は居ないし誰に頼むこともできないから、自分ひとりで地道に掘っていった。

 掘削くっさくの途中、なんども手の痛みを覚えた。肉刺まめはつぶれ、皮がむけた。しかしこの程度の痛みなど、取るに足らないものだった。


 『魂の音』はもっと痛い、と自分に言い聞かせた。

 『共鳴』に殴られ、自由を奪われ、領民たちから石を投げられて憎まれる彼は、もっと痛いし孤独だ。


 いまは抱きしめることは叶わない。

 『共鳴』自身が領民たちから怪しまれるわけにはいかない。


 『魂の音』のために。

 『魂の音』を、誰も彼を傷つけないやさしい世界へ連れて行くために。

 いまは耐えてもらうしかなかった。



 『共鳴』は三年の月日をかけて隠し通路を掘った。

 尋常ではない。ほとんど狂っている。

 己のことを、そう思った。


 だって、他の誰よりも。

 何百、何千もの領民たちよりも。

 たったひとり、『魂の音』がだいじなのだ。


 『共鳴』が……『木洩れ日』領の領主が魔女とともに領を捨てるなんて、領民たちにとっては迷惑なだけだろう。

 下手をすれば領内すべての民が、魔女を庇ったとして罰されるかもしれない。

 それでも『共鳴』は、『魂の音』と逃亡する道を選んだ。


 父が連れてきた小さな魔女。

 初めて会ったときから、そのやわらかな茶色い瞳を可愛いと思った。

 閉じ込められることに慣れた、狭い世界しか知らない少年の、細い肩にのし掛かった不自由さに胸が疼いた。

 林で遊び、知らない草花を見つけては笑う、素朴で素直な性格に魅かれた。

 時折木や花に向かって話しかける、不可思議な行動をする彼に驚き、目が離せなくなった(のちに、精霊のかけらとやらと会話をしていたのだと知らされた)。

 『共鳴』をたすけるために魔法を使ったときの、その歌声をうつくしいと思った。


 『魂の音』が、好きだった。

 彼を愛していた。

 『共鳴』は、彼を愛していた。

 その愛が、領主としての『木洩れ日』卿よりも、ひとりの『共鳴』という人間としての道を選ばせたのだと思う。


 誰に恨まれようと、憎まれようとかまわなかった。

 ただ『魂の音』の手を取って、二人で逃げる。そのことしか、考えられなかった。


 ぜったいに、連れてゆく。

 誰も彼を傷つけない、やさしい世界へと。



 『共鳴』の計画は、うまく進展しているように思えた。

 しかし、厳重に凍り付かせていた本心が、どこかで漏れてしまったのだろうか。

 中々魔女を処刑しようとしない領主に対する領民たちの不審は、徐々に募っていっていた。


 そして、父の叙勲と同じ歳になるまでと『共鳴』が設けた期限まで、残すところあと一年、というときだった。


 続く長雨で『木洩れ日』領の作物が流れた。

 不作に嘆く民たちを更なる不幸が襲った。雨で地盤がゆるみ、土砂崩れが発生したのだ。

 数戸の民家が土に呑まれ、死人も出た。


 魔女のせいだ、と誰かが言った。魔女が我々を呪っているんだ、と。


 残された一年が、泡のように立ち消えた瞬間であった。


 いよいよ猶予のなくなった『共鳴』は、『魂の音』が寝泊まりする馬小屋に火をつけた。彼が普段寝ている場所は事前に水を撒いて、火元から引き離した上での放火だった。

 馬たちには申し訳なかったが、誰かが魔女を殺そうとした、という事実があれば民たちの溜飲も下がるだろうと思えた。


 火をつけたあと、『共鳴』は厩舎から『魂の音』が避難する姿を確認しようとした。しかし馬の姿はあれどひとの出て来くる気配がない。

 俄かに焦って、燃える厩舎に飛び込んだ。


 『魂の音』は馬を逃がしていたようで、開いた柵の隣で倒れていた。

 もうもうと立ち上る煙が『魂の音』へ襲い掛かっている。彼を抱き起そうと『共鳴』が駆け寄ったとき、上がっていた柵に火が燃え移り、炎に包まれた木片が『魂の音』の上で傾いだ。

 『共鳴』は咄嗟にてのひらでそれを受け止めた。熱さにたじろぎながら木片を払いのけ、『魂の音』を担ぎ上げると急いでその場を離れた。


 厩舎から少し離れた場所に『魂の音』を横たえる。ぐったりと目を閉じている様は死体のようで、まさか死んでしまったのかと『共鳴』の心臓は軋んだ。

 彼に縋りついて、生きているかどうかを確かめたい。しかしそろそろ屋敷の使用人たちが火事に気付いて騒ぎ出す頃だ。『共鳴』が『魂の音』に抱き着いているところなど、万が一にも目撃されるわけにはいかなかった。


 まんじりともせずに固唾を飲んで『魂の音』を見下ろしていると、彼の睫毛が震え、茶色い瞳が開いた。

 『共鳴』はその場でくずおれそうなほどの安堵を感じた。


 彼を早く休ませてやりたい。そう思いつつも『共鳴』は氷の鎧をかぶり直し、冷たい表情を貼り付けて使用人たちの前で『魂の音』を殴り、消火を手伝えとせっついた。

 すると使用人のひとりが、「やめてくださいよ」と言った。「そんな奴に手を出されちゃ、消えるものも消えないですよ。一切関わらせないでください」、と。


 得たり、と『共鳴』は頷いた。

 うまく言質がとれた。

 関わらせるな、と言ったのは向こうなのだから、これでこの場から『魂の音』を連れ出す口実ができた。


 『共鳴』は林の木々に紛れるようにして建つ、小さな石造りの塔へと『魂の音』を閉じ込めた。

 『木洩れ日』卿の屋敷のさらに奥に位置するため、領民たちが気軽に足を踏み入れることもない場所だ。これで当面、『魂の音』の身の安全が図れるだろう。


 しかし、どうしようもないこともあった。

 ひとひとりを幽閉するのだから、食事や排泄の処理など、最低限の世話が必要となる。それらは『共鳴』ひとりでまかないきれるものではなく、使用人の手を借りるしかなかった。


 魔女を憎む彼らが『魂の音』に対し、不必要な暴行に及んでいないか、『共鳴』は内心気が気ではなかったが、それを表立って見せるわけにはいかない。


 ともかく亡命の計画を前倒ししなければならず、『共鳴』は残り少ない日々を使って、奔走した。










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