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目覚め 1-3


 目が覚めて三日後に、聡也は退院した。

 検査の結果はどこも悪くなかったし、体力が少し落ちているほかは後遺症らしきものもなかった。

 それでも琉斗とコハクは、そんなに急いで退院しなくてもと心配顔だったが、聡也には一刻も早く取り掛からなければならないことがあったので、僕は大丈夫と言い張って退院を決めたのだった。


 病院を出た聡也はその足で、コハクの家に転がり込むこととなった。



「こいつがどうしてもオレのトコに来たいって言うから、しばらく預かるわ」


 しずかな病室で、退院の準備を終えてから、コハクが琉斗へとそう説明した。その彼の後ろから聡也は、琉斗へとペコンと頭を下げた。


 琉斗は両目を見開き、愕然としたように聡也を見つめてきた。


「聡也……?」


 物問いたげに名前を呼ばれ、聡也はビクっと肩を揺らした。


 琉斗に、僕のところへおいで、と言われたら気持ちが揺らいでしまいそうだ。でも聡也はもう決めたから、首を竦めながらもまっすぐに琉斗の顔を見た。

 琉斗の顔が、苦しげに歪んでいる。


「……僕のことが、嫌になった?」


 ポツリと、力なく、琉斗の声が床へ落とされた。


 聡也は慌てて首を横へ振った。

 そんなわけない。

 聡也が琉斗のことを嫌になるはずがない。

 唇を引き結んだまま、聡也は一心に首を振る。


 そんな聡也を見て、琉斗が口角を上げた。嘲笑するような、途方に暮れたような、寂しいような、苦しいような笑い方だった。


「そうだね。僕と口を利くのも嫌なのに、一緒に暮らせるわけがないよね」


 ひとりごちるように、そう言って。

 琉斗が長身を折り曲げるようにして、聡也へと深々と頭を下げた。


「ごめんね、聡也。きみは僕をゆるさなくてもいい。でも、きみへの援助だけは続けさせてほしい」


 琉斗は一度顔を上げると、今度はコハクへ向かってお辞儀する。


「コハク、聡也をよろしく。かかる生活費は僕に請求してくれ」

「リュウ」

「コハク。聡也に、やさしくしてあげてほしい」


 囁くように低く、琉斗がそう言った。


 彼の声が鼓膜に溶けて、聡也は泣きそうになった。

 琉斗と『共鳴』の姿が重なり、目の奥が痛くなる。


「おい、リュウ」

「なにかあれば、連絡を」


 琉斗がコハクの肩をポンと叩いて、一度聡也に視線を向けた。

 平静を装おうとした眼差しだったが、『共鳴』の頃よりは感情を殺すのが下手くそだ。微かに揺れた彼の目を、聡也は決意を込めて見つめ返した。


 絡み合った視線は、琉斗の方から解かれた。

 未練を断ち切るように、ゆっくりと瞬きをして。琉斗が踵を返す。


 病室から出てゆく背を見送って、

「おい~」

 とコハクがため息混じりに天井を仰いだ。


「オレはこういう空気マジで無理なんだって。勘弁しろよ」


 金髪を掻きむしってぼやいたコハクへと、聡也はごめんねと謝った。そうしたらコハクが不機嫌に眉を寄せて、聡也のひたいを小突いてきた。


「なんでオレとは話せんのにリュウには話してやんねぇんだよ」


 聡也は少し考えて、口を開いた。


「……僕、いま、せつやくしてて」

「は? 節約?」

「そう。言葉を、せつやくしてるの」


 意味わかんね、とコハクが呟いた。


 わからないだろうか? 聡也は小首を傾げ、どう説明すればいいのかをもう一度考え直したが、適切な言葉は見つからなかった。


 聡也は言葉を節約している。

 琉斗への、言葉を。


 聡也の中には、琉斗へ伝えたい思いがある。

 絶対に、確実に伝えたい思いがある。

 けれどいまの琉斗には、なにをどう告げても届かないだろうから。

 だから言葉を厳選している。

 琉斗に伝わる言葉を。

 それがちゃんと琉斗へ届くように、いまは、節約するときなのだと思えた。


 しゃべらない聡也に、琉斗が傷ついているのはわかったけれど、他の方法が考えつかなかった。


 う~ん、とコハクが唸った。

 彼は麗しい顔を思いきり歪めて、もう一度聡也のひたいを小突いてきた。


「言葉の節約ってのはよくわかんねぇけど、しゃべってもいいって思ったときはちゃんとリュウと話してやれよ」

「うん」

「あいつが可哀想すぎる」

「うん」

「……わかってんのかぁ?」


 疑わしげに、アーモンド型の目が細められた。コハクの目は青だったり茶色だったり、よく色が変わる。今日はグレーだ。その薄い色が彼にはよく似合っていて、きれいだなぁと聡也は思った。


「で、おまえ本当にオレん来んの?」

「コハクが、いいって言った」

「言ったけど……マジかよ」

「音楽を教えてくれるって、言った」


 聡也はひたとコハクのきれいな目を見つめ、数日前に彼にお願いしたことを、繰り返した。


「コハク。僕に、歌を教えて」


 聡也が一歩も引かないことが伝わったのか、コハクが降参と言わんばかりに両手を上げた。


「わかった。わかったからそういう子犬みたいな目ぇすんなって。ってか、来たいって言ったのはおまえなんだから、どんなトコでも文句言うなよ」


 指を突きつけてそう言われ、聡也はこくりと頷いた。


「僕、文句言わないよ。殴られても平気だよ」

「殴らねぇよバカっひと聞きの悪いこと言うなっ!」


 コハクが聡也の頭をバシっと叩き、それからハッとしたように自分の手を見つめ、

「い、いまのはただのツッコミだからな」

 と決まり悪そうにぼそぼそと告げてきた。


 ツッコミ、というのがなにかいまいちよくわからなかったが、悪意のないことはよくわかったので、聡也はにこりと笑って頷いた。

 コハクが大きなため息を吐き出して、気持ちを切り替えたように「よしっ」と言った。


「んじゃ、行くか。オレん家」






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