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コハクの家 1-2


「ひっさしぶりじゃ~ん、こっち来んの。ナニナニ? 俺に会いたかったって?」


 ひらひらと手を振りながら部屋に入って来た男に、コハクが「げっ」と後退あとずさる。


「勝手に入ってくんじゃねぇよこのストーカー野郎」

「ナニ言ってんの。ストーカーじゃなくて、ファンだよ、ファン」

「テメェ、昼間大概寝てんだろっ。なんで起きてんだよ。そんでなんでオレが帰ってきたってわかった」

「愛しのコハクの声がビビっと鼓膜に響いたからさ。俺がドア開けっぱなしで演奏してても無視するくせに、コーヨー相手だと毎回律儀に怒っちゃってなんなのそれ。俺にかそうとしてるワケ?」

「キモいこと言うなっ!」

「ははっ。相変わらず可愛い顔しちゃって。……って、あれ、こっちにもなんか可愛いの居るね」


 ずい、とコハクの目の前に迫っていた男が、不意に聡也へと視線を向けてきた。

 男の髪はぼわぼわと踊っていて、その跳ねた毛先が楽しそうで聡也は小さく笑ってしまった。

 笑顔の聡也に、男もすこし垂れた目尻をやわらかくたわめた。


「コハクの友達?」


 問われて、こくりと頷く。すると男がますます笑顔になって、ぐりぐりと聡也の頭を撫でてきた。


「きみ、なんだか小動物みたいだね~。コハクと並べて飾っときたい」

「キメぇ!」


 ドン、と男の背にコハクの蹴りが入った。しかし、ひょろりとした印象に反して男はびくともせずに、ヘラヘラと笑ってコハクを振り向いた。


「嫉妬? 嫉妬しちゃった? 大丈夫大丈夫。俺はコハク一筋だよ!」


 コハクは男の体を押しのけて、聡也の肩を抱いてソファの方へと避難した。


「コハク、あのひと」

「無視しろ無視。しゃべると変態が伝染うつるぜ」


 冷たく吐き捨てたコハクが、聡也とともに並んで腰を下ろす。ソファのやわらかな座面に尻が沈んだ。


「で、おまえ、具体的になにを習いたいんだよ?」


 本当に男を無視して、コハクがなにごともなかったかのように話を切り出してきた。

 彼の問いかけに、聡也はチラチラと赤毛に向けていた視線をハッとコハクに戻して、背筋を伸ばした。


「僕、あの、僕ね」

「聞いてるからゆっくり話せ」


 コハクのきれいな瞳に勇気づけられて、聡也は言葉を考えながら口を開いた。


 聡也はこれまで、歌が降りてくるままに、でたらめな歌詞をつけて歌っていた。

 誰に届けようと思った歌ではない。

 ただ、降ってくる音楽に言葉を載せていただけだ。


 いまにして思えば、聡也を取り巻いていた音楽は、『魂の音』と精霊の間に生まれたものの、その名残だったのだろう。

 聡也に精霊のかけらはもう見えないけれど、『魂の音』が紡いできた歌が、聡也の中にも残っていたのだ。


 自分の歌じゃなかった。

 これまでの歌は、『草壁聡也』の歌じゃなかった。


 だから今度は、『草壁聡也』として、『草壁聡也』の言葉で綴った歌を歌いたかった。


 そのために歌を教えてほしい。

 琉斗に届けるための、歌の歌い方を。


 歌を僕に教えてほしい、と乞うた聡也に、コハクは金髪を軽く揺らして首を傾げた。


「でもおまえ、歌はおまえだって基礎は教えてもらっただろ」


 聡也がボイストレーニングに通っていたことを知っているコハクはそう答えたが、聡也は首を横に振った。


「コハクの歌は、気持ちが伝わってくるの。音楽はうるさいけど、コハクの声は好き。僕は、コハクの歌が好き。どうやったらコハクみたいに歌えるのか、それが、知りたいの」


 聡也の言葉に、コハクが腕を組んでう~んと唸った。


「確かにおまえの歌は、おまえ自身が希薄だよな。でもそれが逆に、おまえの魅力なんだと思うけど」

「きはく?」

「存在が薄いってコト。歌ってるおまえは、たまに消えそうに見えることがある」


 コハクの指摘は、たぶん正しい。

 歌はずっと好きだった。歌うことが一番の楽しみだった。どんなときも歌っていれば、しあわせだった。

 でもそのしあわせは、いつも自分ひとりで完結したものだった。

 言葉を誰かに届けようと思ったことなんてなかった。

 誰かに、自分のこころを知ってほしいなんて思わなかった。

 だから聡也自身の感情は、歌の中に入っていなかった。

 そのことを、『存在が希薄』だと評されたのだ。


「僕は、僕の言葉で歌いたいの。せつやくした言葉を使って、リュートに届けたいの」


 聡也が言い募ると、コハクのグレーの瞳がわずかに丸くなった。


「リュウに?」

 短く問われて頷くと、コハクの手が頭をくしゃりと撫でてくれた。

「そっか。頑張れ」

 コハクのエールに、聡也はもう一度頷いて、言葉を繋いだ。


「あとね、楽器をなにか、教えてほしい。僕にも弾けるものを」

「楽器ぃ?」

「ギターとか……なんでもいいの。あ、でもピアノは持って行けないから、僕が運べるものがいい」

「ギターねぇ……って、うわ」


 突然コハクが右手で顔を覆った。

 なにごとかと振り向けば、思いの外近くに赤毛の男の顔があって、聡也はぎょっとして引っくり返りそうになった。しかしソファの背もたれがやわらかく聡也を支えてくれたので、転がったりせずに済んだ。


「ナニナニ? 俺の出番?」


 男が目をくりくりと動かして、聡也とコハクを交互に見てくる。

 さらにずずいと距離を縮めてきた彼に押される形で聡也は肩を引き、

「こ、コハク?」

 どうして良いかわからずに縋るように友人の名を呼んだ。


 コハクが眉間にくっきりと苦いしわを刻んで、大きなため息を吐き出す。

 それからほっそりとした手で赤毛の男の胸倉を掴んで、ぐい、と男を聡也の方へ押し付けてきた。


「わっ」


 悲鳴を上げてのけぞった聡也へと、コハクが告げてくる。


「ギター習うなら、オレよりコイツに習え」

「え?」

「コイツ、こう見えて弦楽器のスペシャリストなんだよ」

「は~いスペシャリストで~す」


 ヘラリ、と男が笑った。

 それを嫌そうに横目で見て、コハクが心底不本意そうに頷いた。


「コイツ、ヒイラギ。弦楽器製作家兼天才プレイヤーっていうチート野郎だよ」   


 コハクの雑な紹介に、ヒイラギと呼ばれた男がエヘンと胸を張って、

「天才チート野郎のヒイラギで~す」

 と名乗り、それからハッとしたように真顔になると、

「一個抜けてるじゃん」

 そう呟いて、改まったように聡也を見つめてきた。


「天才チート野郎弦楽器製作家ってのは表向きの仮の姿で、俺の本当の正体は、全身全霊をコハクに捧げたただの男だよ」

「キメぇ!」


 間髪を入れずにコハクのこぶしが飛んだ。

 男の顎に結構な強さでヒットしたはずだが、ヒイラギはなぜから嬉しそうに笑って、そのままの笑顔で聡也へと「ヨロシク」と告げてきた。


 聡也はポカンと口を開けたまま、ヒイラギにつられてぴょこんと頭を下げたのだった。








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