感情を煮詰めろ、とヒイラギは言った。
これまでしてこなかっただろ、と軽い調子で指摘され、聡也は首を傾げた。
してこなかっただろうか?
考えてもよくわからない。
それでも、琉斗へ言葉を届けるには、自分の感情を煮詰めることが大切なのだと思った。
あれから聡也は、感情をぐつぐつと煮詰めている。
琉斗のことを考えて、ぐつぐつ、ぐつぐつと。
目を閉じて真っ先に思い浮かぶのは、指で鬼ごっこをした日のことだ。
リュートの歌ができそう、と思うぐらいに彼の名を呼んだ。
琉斗は、もっと呼んでと言っていた。
聡也の声が好きだから、もっと呼んでほしい、と。
あれはきっと、聡也へ向けての言葉ではなかった。
琉斗は、『魂の音』に言ったのだ。
話すこと、声を出すことを禁じられた『魂の音』。琉斗は本当はきっと、『魂の音』に名前を呼ばれたかったのだ。
記憶の糸をするすると手繰っていると、
(僕は刃物が怖いんだよ)
と言っていた琉斗の顔も思い出した。
目を閉じてしずかに語っていたけれど、なんだかとても痛そうだったから、あのとき聡也は思わず彼の胸をさすったのだった。
琉斗が刃物を恐れるのは、たぶん、『魂の音』の首が斬られるところを見ていたからだ。
『共鳴』は火炙りになって死んだのだから、本来であれば火が嫌いになるはずだ。
けれど琉斗は特段火を恐れてはいない。刃物を極端に嫌い、ハサミにすら触らない琉斗。『魂の音』の死は、それほど彼に深い傷を残したままなのだ。
ぜんぶ、治してあげたい。
聡也はそう思う。
琉斗の傷は、ぜんぶ治してあげたい。
もういいんだよと、言ってあげたかった。
聡也の言葉が、曲がることなく真っ直ぐに、ひとつの意味も間違うことなく正しく、琉斗に届けばいい。
感情がどれほど煮詰まれば、それが可能となるのだろうか。
聡也はひたすらに琉斗のことを考えながら、おのれの感情と向きあい続けた。
思考の途中でもメロディは降ってくる。
ノウだった頃、聡也はいつも歌ってた。
歌ってさえいればしあわせだった。
思いつくメロディはすぐに声に乗せていた。
でもいまはそれをしない。
メロディを一度自分の中へ閉じ込めて、それがどこから生まれたのかを考える。
その音に、どんな感情を込めたいのかを、考える。
あ、と喉を震わせて声を出した。
あ、あ、あ。
煮詰めたメロディを解き放ち、歌詞もない歌を歌う。
気が済むまでそれをして、聡也はふぅと息を吐いた。
まだ全然だめだ。
コハクのようには歌えない。
聡也はひたいに浮いた汗をぬぐい、音楽プレイヤーを手に取った。
これは、聡也がシェアハウスに来た翌日に、コハクがくれたものだ。中にはコハクの歌が入っている。
騒がしい音楽が苦手な聡也のために、ピアノ伴奏だけを入れた歌を、わざわざ選んでくれたらしい。
コハクはとても親切だ。
コハクのきれいな顔を思い浮かべながら、イヤホンを耳に押し込んで、再生ボタンを押そうとしたら、当のコハクがドアからひょいと顔を覗かせた。
「よぅ」
片手を上げて挨拶をした彼は、我が物顔で(コハクの部屋なので当然だ)中へと入ってきて、ドカリとベッドに腰かけた。
「コハク」
「歌、いい感じじゃん」
「ほんと?」
「おまえにお世辞言ってオレに得があるか?」
形の良い眉をひょいと上げて、コハクが笑う。
「でもコハクの方がうまい」
「当然だろバ~カ。オレを誰だと思ってんだよ」
くく、と肩を揺らした彼が、自分の隣をポンと叩いた。座れと言われているのだと理解して、聡也はコハクと並んでベッドに座った。
「リュウへの歌ってのは、できたのか?」
「……う~ん」
「なにに詰まってんだよ」
「曲と、歌詞と、演奏」
「全部じゃねぇか」
呆れたようにコハクが天井を仰いだ。
聡也はしょぼんと肩を落として、自分の手を見つめた。
中指の爪が、いびつな形になっている。聡也自身は覚えていないけれど、川で溺れたときに怪我をしたらしい。
そこを軽く握り込んで、聡也はコハクへと尋ねてみた。
「コハクは、歌うときはなに考えてるの?」
「オレ? オレはべつになんにも」
「なんにも?」
それじゃあ以前の聡也と同じだ。なにも考えず、ただ降りてくるだけのメロディを口にしていた聡也と。
コハクが唇の端で笑って、首を傾げた聡也のひたいを、ひとさし指でツンと小突いてきた。
「おまえみたいに小難しく考えてねぇってコトだよ。ヒイラギがなんか色々言ったんだろうが、その場のノリとかテンションってのも結構だいじだぜ? そのとき胸ン中にあるモンをぶわ~って吐き出せばいいんだよ」
胸の中にあるもの……。
聡也は己の胸をそっとさすって内側に詰まっているものを探ってみる。
自分の中にはなにがあるんだろうと探してみたけれど、聡也の中には、琉斗しか居なかった。
「リュートばっかり」
そうつぶやいた聡也を、コハクのアーモンド形の瞳(今日は緑色だ)が笑った。
「おまえホント、リュウが好きな」
「うん」
聡也はこくりと頷いて……。
口を開くその前に、一度感情を閉じ込めて、煮詰めた。
ぐつぐつと凝縮した自分の気持ちを、しっかりと自覚してから、声に出す。
「僕は、リュートが好き」
聡也の言葉に、コハクが眩しげに目を細めた。
「そっか」
という相槌に、聡也は再びこくりと首を縦に振った。
「コハクが、前に言ったでしょう?」
「ん?」
「売れたら捨てられるって」
「悪かった」
突然コハクが頭を下げたから、聡也は驚いた。
「なんでコハクが謝るの?」
「あれはオレの単なる嫉妬」
「しっと?」
「焼きもちだよ、焼きもち。リュウが、おまえ可愛がんのが面白くなかっただけだ。でもオレの勘違いだった」
つむじをこちらへ見せたまま、コハクがもう一度「悪かった」と言った。