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ぐつぐつ 2-1


 シャキ、シャキ、と頭の後ろでハサミの音がリズミカルに鳴っている。

 聡也がシェアハウスに来てから、三か月が経過していた。


 聡也のもじゃもじゃとした癖っ毛を切っているのは、やはりもじゃもじゃ髪のヒイラギだ。

 場所は、シェアハウスのお風呂場だった。床に青いシートを広げて、そこに置いた椅子の上に座った聡也には、ゴミ袋がかぶせられている。ケープの代わりだと言って即席でヒイラギが作ったものだ。

 ヒイラギの手はなんでも作れる魔法の手だな、と聡也は思った。


 ハサミを動かしながら、ヒイラギがふふっと笑ったのが鏡越しに見えた。


「ひとのこと言えないけど、きみも中々の癖っ毛だ」


 あちこちに跳ねる毛先を、チョンチョンと切ってゆく動きに淀みはない。


 髪を切りたいと言い出したのは、聡也ではなくヒイラギからだった。

 髪で目を隠してるから見えないものが多いんだ、とヒイラギは言った。

 きみはもっとちゃんと、人間世界を見なきゃ。


 ヒイラギは不思議な言葉を使う。人間世界、だなんて。


 目は、髪で覆っている方が安心できた。視界に色々なものが入ってくるのが、聡也には時に負担になるから。

 でも、聡也は変わりたかった。琉斗を解放するためにも、いまのままの自分じゃダメだという自覚があった。

 髪を切るだけですこしでも変わるキッカケになるのなら、切ってもらいたい。前髪なんかよりも、琉斗のほうがだいじだから。


 散髪をしてもらっていると、『魂の音』が脳裏に浮かんでくる。

 小さな塔での幽閉生活で、『魂の音』が『共鳴』に髪を切ってもらった場面だ。

 魔女の疑いがある者は、口元が隠れないように、髪を短く切るのがならわしだから、と。『共鳴』が無表情に、無感動に、ハサミを動かしていた。

 でもきっと、彼の中はかなしみでいっぱいだったに違いない。

 本当は、『魂の音』の髪なんて切りたくなかったに違いない。


 考えたら泣けてきて、聡也はハラハラと涙をこぼした。

 ヒイラギがぎょっとしたように手を止め、

「えっ、なんでっ? なにごとっ? 髪切るの嫌だった?」

 と焦った声で問いかけてきた。聡也は泣きながら首を横に振った。


「ううん。嫌じゃない」

「……じゃあなんで泣いてんの」


 問われてもどう説明していいかわからず、黙り込んでいると、しばらくしてからハサミの音が再開された。これがコハクだったら、黙んな、しゃべれ、と怒られるところだ。でもヒイラギは怒りもせず、全然違うことを口にした。


「きみってさ、あいつが好きなの?」

「……あいつ?」

「リュウ」

「うん。好き」


 答えてから、あ、と口を押さえる。言葉の節約を忘れていた。


 好き、という言葉や気持ちを、聡也はずっとぐつぐつ煮詰めている。そういえばジャムもそうやって作るのだと最近知った。

 果物と砂糖をお鍋に入れてぐつぐつ煮込んでゆくと、きれいな色の甘いジャムになる。聡也の気持ちもジャムのように、瓶につめて琉斗に渡せればいいのに。


「…………と思う?」

「えっ?」


 ぼんやりとそんなことを考えていたら、ヒイラギの言葉を聞き逃してしまった。鏡越しに目が合ったヒイラギが、軽く眉を上げてもう一度言ってくれた。


「俺とリュウ、どっちが男前だと思う?」

「……おとこまえ?」

「カッコイイと思う方。どっち?」

「リュート」


 聡也は即答した。カッコイイのは、リュート。やさしいのも、リュート。そして、さびしいのも、かわいそうなのも、リュート。


「俺とリュウ、どこが違う? タッパも見てくれも才能もトントンだと思うけど」


 ヒイラギの言葉はよくわからない。でも、琉斗とヒイラギの違うところを聞かれたのはわかったので、聡也は顔を仰のけて男を見上げ、

「ぜんぶ」

 と答えた。


「リュートの髪は、さらさらしてる」

「確かに。直毛の遺伝子は俺にないな。でも俺がこうやってもじゃもじゃしてるのは、髪型まで整えたらイケメンになりすぎて町を歩けなくなるからなんだよな~」

「いけめん?」

「とんでもなくカッコイイってこと。天は俺に二物も三物も四物も与えちゃったからさぁ。楽器は作れるわ演奏は天才的だわイケメンすぎるわ、ないもの探すほうが難しいんだよね。でも、きみとかコハクはリュウの虜だ」


 言葉の最後で、声音が急に真面目なものになった。


「とりこ?」

「きみとコハクはリュウに夢中。そういう意味」

「コハクも?」

「そう」


 シャキン、シャキン。ヒイラギは適当に手を動かしているように見えるのに、聡也の髪はどんどんきれいに整ってゆく。切られたそばから、毛先がくるんと跳ねるけれど、もじゃもじゃというよりは、ふわふわになってゆく気がする。


「ヒイラギは、コハクのことが、好き?」

「好き。超好き」


 間髪入れずに答えが返ってきた。


「コハクは俺の神様だよ」

「なんでカミサマ?」


 コハクは確かにものすごくきれいだけど、人間だ。そういえば神様なんて本当に居るのだろうか? 聡也は精霊の姿を見たことはあるけど、神様はお目にかかったことがない。

 神様は、コハクみたいにきれいな姿をしているのだろうか?


「俺が死んだとき、コハクがキラキラ光りながら迎えに来てくれたんだよ」

「えっ? ヒイラギ、死んだの?」

「バカな話真に受けんなよ」


 不意に割り込んできた声があった。

 お風呂場のドアが開いて、話題に上がっていたコハクが現われた。


「そいつがステージでケーブルに足引っかけてすっ転んで頭打ったんだよ。で、たまたまオレが近くに居て大丈夫かって覗き込んだら目ぇ開けて、オレの頭上にライトが当たってたみたいで、後光がさしてるってワケわかんねぇこと言い出したんだよ」

「さしてたよ、後光。間違いなく」

「キメェ」


 コハクの右足がヒイラギを蹴ろうとして、途中で止まった。ヒイラギの手がハサミを持っているから危ないと思ったのだろう。

 足の位置を戻して、コハクはイライラと腕を組んだ。


「おい、急いでやれ」

「ん? このあとなんかあんの? 俺とデート?」

「するかよ。タクシー待たせてんだよ」

「どっか出かけんの? あ、俺とデ、」

「しつこい!」


 皆まで言わさず、コハクが今度こそヒイラギを蹴った。危ないなぁ、とヒイラギはぼやいたが、その手にはもうハサミはなかった。いつのまにか、腰に巻いたシザーケースに仕舞われていた。


「ちょっと待ってな。もう終わるから」


 ヒイラギが、聡也にかコハクにか、あるいはどちらにもか、そう言って、ドライヤーの温風で聡也の髪を掻き混ぜ、頭や顔にくっついていた毛を吹き飛ばした。

 風量を弱めて、指先で毛先を弄り、

「よし、完成」

 とドライヤーを止めてひとつ頷く。


 鏡の中の自分を見ると、ものすごくスッキリした印象になっていた。眉のあたりまで切られた前髪は、自然と左右に流れていて、両目どころかおでこまで丸見えになっている。

 昔……聡也が『魂の音』だった頃の、坊主頭にも似た無造作な短髪と違い、聡也の髪の癖を活かした髪型だったから、受ける印象はまったく別物だった。

 もう脱いでいいよと言われて、聡也はかぶっていたゴミ袋を頭から抜いた。


「ん。いいんじゃねぇの」


 コハクが聡也をまじまじと見つめてそう評すると、ヒイラギが「でしょ」と自慢げに頷いた。


「なにやらせてもプロ級だし、俺天才すぎ」

「おまえの腕を褒めたんじゃねぇよ」

「でもこの子の可愛さ引き出してんのは、俺のカットとセットのおかげだし? 俺は別にボランティアでしたわけじゃないし? 俺がこの子磨いたらコハクの手柄になるんでしょ。それで俺がご褒美期待するのってなにも間違ってないじゃん?」

「…………」


 コハクが黙って唇の端を嫌そうに歪めた。

 聡也は早口すぎたヒイラギの言葉の意味がわからず、二人の顔を見比べていた。

 コハクがはぁっと溜め息を吐き出し、腕を伸ばして高い位置にあるヒイラギの、もじゃもじゃの頭をポンと撫でた。


「よくやった」

「もうひと声」

「……屈めよ」


 ヒイラギが軽く膝を折る。その胸倉をぐいと掴んでさらに下げさせ、コハクがヒイラギに顔を寄せた。

 ちゅ、と唇同士が触れ合った。聡也はそれを、ポカンと見た。


 コハクはすぐに顔を離そうとした。けれどヒイラギのてのひらがコハクの後頭部に回って、引き戻す。

 コハク越しに、ヒイラギと聡也の視線が合った。ヒイラギはニンマリと笑って、聡也へピースサインを寄越してきた。


「……っ長いっ! 調子乗んなよっ!」


 ドカっと音がしたと思ったら、コハクがヒイラギを蹴り飛ばしていた。

 イタタタ、と言いながらもヒイラギはなんだかしあわせそうだった。


 こぶしでグイと唇を拭ったコハクが、

「行くぞ」

 と言って聡也の腕をむんずと掴んできた。


「僕? どこに?」

「いいから来い」


 引っ張られて、たたらを踏む。一度動きを止めたコハクが、聡也の体勢が整うのを待って、それからしずかに口を開いた。


「リュウが倒れた」







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