左耳に当てたスマホから呼び出し音が鳴る。
二回、三回……そして留守番電話サービスにつながった。
「牧原さん、どこにいるんですか!? もうすぐ生放送が始まりますよ!」
そう言って美鈴はスマホを切る。
月曜日担当の放送作家・牧原隆一は遅刻の常習犯だ。集合時間に遅れて来るのは当たり前で、原稿の締切りを守ることも稀だという。そのため、情ジャンのスタッフたちは彼にだけ、早めの締切りを伝えるらしい。それでいて、飲み会などの待ち合わせには誰よりも早くやって来る。
「ホントに学生みたいなんだから!」
普通の社会では、そんな行動が許されるはずもない。もちろんラジオ業界においても同様だ。だがこの世界では、それが許されることがある。
牧原の企画はいつも面白いのだ。
番組内で行なわれる企画を考案するのは放送作家の仕事である。もちろん担当ディレクターが考えることも無いではない。だがそれは、予算の都合やスケジュールの関係で作家を付けられない番組でのことだ。通常の番組ではその辺の分業がしっかりと行なわれる。牧原は、企画立案の能力やセンスが抜群なのである。
だがそれは美鈴には関係のないことだ。番組の企画が面白くてもそうでなくても、山程ある彼女の仕事にはあまり影響がない。そして今まさに彼女が頼まれているのは、牧原をつかまえることなのである。
「よし」
美鈴はひとつうなづくと、再びスマホをタップした。
牧原がつかまるまで、何度でも電話してやろう!
まぁ、彼女には他に方法が思いつかないのだが。
呼び出し音が鳴る。
今度は留守電に何て吹き込んでやろうか?
美鈴がそう考えを巡らせていると……
「……はい」
「出た!」
「出たって……ワシは幽霊かい」
弱々しい関西弁が美鈴の耳に届いた。
「牧原さん!今どこですか!?」
「えーと……まだ家におるねん」
「どうしてです!? もうすぐ本番ですよ!?」
「それは分かってるんやけど……」
「いったいどうしたんですか? もしかして、体調が悪いとか?」
美鈴のその言葉に、牧原の声が突然大きくなる。
「そ、そうやねん!そっちへ行こうと思て家を出ようとしたら」
「出ようとしたら?」
「玄関で思いっきり捻挫してもーてん!」
「捻挫ですか?」
「そう!だから一歩も歩かれへんねん!あ痛たたた!」
美鈴が大きくため息を漏らす。
「分かりました。じゃあ今日は本番を欠席ということですね?」
「すまんけど、一汰にもそう伝えてくれへんかな」
美鈴の頭に、今日の担当ディレクター・早見一汰のあせった顔が浮かぶ。
「それはいいですけど、台本だけは至急送ってくださいよ」
「だ、大丈夫や!メールはパソコンまで行けたらすぐに送れるわ!」
「よろしくお願いしますね」
「了解や!」
「じゃあお大事に」
美鈴はスマホを切り、事の顛末を急いで早見に伝えた。
予想通り、早見の顔にあせりが浮かぶ。
「じゃあ台本が届き次第、プリントアウトしてスタジオに届けてね!」
そう早口で言うと、早見は急ぎ足でスタジオへと駆けていった。
生放送の開始まで、もう15分を切っている。彼があせるのも無理はない。
それから数分、番組用PCの前を陣取り、画面をじっと見つめていた美鈴だったが……牧原からのメールは一向に届かない。
これはマズいんじゃないかな?
そう思うと、美鈴は再びスマホに手を伸ばした。
それと同時に、PCからメール到着の音が鳴る。
「来た!」
のぞいてみると牧原からのメールである。
「良かったぁ、間に合ったぁ」
ふうっと安堵の息を漏らし、届いたメールの添付ファイルを表示させる。
「何これ!?」
美鈴の目が驚きに丸くなる。
その文書ファイルの中身は、たったの二ページだったのだ。
「これって、オープニングしかないじゃない!?」
ここで美鈴は悟った。
牧原は台本を書いていなかったのだ。
愕然としている美鈴の耳に、再びメール到着音が響く。
慌ててそれを開くと、オープニングに続く1ページが添付されていた。
恐らく今まさに書きながら、完成した順に送ってこようというのだろう。
天を仰ぎ、大きなため息をつく美鈴。
「とりあえず、まずはオープニングの台本を持っていかないと!」
急いでプリントアウトだ!
それを人数分コピーする。
そしてそれを抱え、美鈴は急いでスタジオへと走り出した。
「もしかして私、二時間ずっとこれを繰り返すの!?」
駆けながら、そう叫んでいた美鈴であった。