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第3話 夢との邂逅

 母親との死別を経て、両親が伝えようとした愛情の言葉を思わない日はない。

 ──母さんの懸命さを見て育ってきた。あれ程まで真摯に異能と向き合えた母さんは、僕に道しるべを作ってくれた。父さんだって、僕が幸せになる事を願って応援してくれてる。僕は母さんみたいに心を強くして、いつか誰に対しても自分を曲げずに……それでいて優しくあれるようになってみせる。

 まだ未成年の少年にしては意思が明確だが、あるいはまだ少年だからこそ、掲げる理想を明確に持てているのかもしれない。

 勇人は、照明も眩しく、磨かれた床や手入れされた壁と天井にまで眩しさが移っている会場での、白々しいような歓談を傍観しながら、飾り時計に目をやった。午後八時半。

 躾の厳しい家なら、門限になっている子どももいるであろう時間だ。

 ──それにしても……飲み物がシャンパンか日本酒っていうパーティーなのに、終わるまで監視をしてろって……僕まだ高校生なのに、そこは大人の都合優先なのか……完全に労基無視だよなあ。

 我欲にまみれた大人達を長時間監視していなければならないのは、正直に言って疲弊する。

 弱音は吐かないと決めている。しかし勇人の年齢的な立場を無視した依頼には、正直なところ良い気はしない。

「──やあ、会場内の様子はどうかな?」

「会長、お疲れ様です。──異常はありません」

 呑気に声をかけてきたのは、今宵のパーティーを主催している大企業の会長だった。かしこまって安全を伝えると、会長は満足そうにして垂れた目を細める。

「飲まず食わず、立ったままで疲れるだろう、給仕にオレンジジュースでも出させよう」

「お気遣いありがとうございます」

 つまり、それまでは働きづめだったという事だ。普通の男子高校生なら空腹でお腹を鳴らしている。

 給仕からジュースのグラスを渡され、ようやく喉を潤せた時、不意に入り口付近から黄色い声が上がった。

「──見て、機織さんがいらしたわ」

 咄嗟にそちらへ視線を向ける。たったの一言で、会場にいる若い女性の多くが一斉に魂をピンク色へと変化させた。

 彼女達の急な変わりようは、まるで春一番が吹いたみたいだ。魂の色なら様々に見てきたと自認する勇人でも、圧倒される程に色めき立っている。

 ──機織って、名前は僕でも聞いた事ある。確か幅広い価格帯のジュエリーを出して、それが成功して一流企業になったんだっけ。

 この仕事を始めてから、国内外の大手企業に関する話題には敏感に耳を傾けてきている。いつどこから依頼が来てもいいように、備えは万端でなければならない。

「機織さん、今夜はもうお見えにならないかと残念に思っていたところです。嬉しいわ」

 さっそく女性達が群がり始める。こういう群れは時として危険になる。勇人は注意して「機織さん」を見つめ──絶句した。

 ──え、何だこれ、魂の色が……おかしいだろ、ありえないだろ。

 目に見える男性は、二十代半ばだろうか。清潔感のある風貌で、大変整った容姿の美しい青年だった……が、問題はそこではない。

 細やかな彫刻のモデルも出来そうな美貌には、勇人も思わず一瞬だけ見とれてしまったが、それでも勇人の目を釘付けにした点は違うところにある。

 ──何で……どういう事なんだよ?

「会議が長引いて遅くなりました」

 薄い唇が開き、落ち着きのある低めの声が発せられる。若い女性は少なめのパーティーなはずだが、既に五人か六人がグラスを持ったまま彼を囲んで離すまいとしている。

 機織──ジュエリー会社の御曹司、機織優和の立ち姿は意識の高い雑誌記事の写真みたいに見事で、シャープに仕立てられたシングルのスーツを着こなす体には、程よく筋肉がついていて無駄なところが全くないのが服の上からでも分かる。

 女性はそのスタイルや顔の良さと、高いステータスに魅了されるのだろうが、勇人からすれば自分の目がおかしくなったと思いたい。

 ──男の人で……魂の色が金色に輝いてる……?

 そう、母親の言葉が確かならば、金色に輝く魂は勇人にとって「運命の人」なのだから、大問題が起きている。

 しかも、彼は立派な大人の年齢でもある。何もかもが勇人とは違いすぎる。それでも魂は金色にしか見えない。

 ──確かに金色なんだけど……見間違いのはずはないって思うんだけど……何か、お嬢様みたいな女の人達に囲まれても平然としてるし……よりによって、何でこんな雲の上の人が金色なんだろう……。

 そう思う勇人が半ば呆然と男性を見つめていると、彼を囲む女性のうち一人が甘えるように口を開いた。

「機織さん、今度私と二人でお会い出来ません?」

「会食でしたら先日したでしょう?」

 果敢に誘いをかけてきた女性への、彼の言い方は冷たいくらいにそっけない。女性が拗ねた顔になる。

「お食事だけの席だったのですもの、はしたないですけれど物足りなくて。あの後、ワインバーにお連れしたくて予約してましたのに」

「それは存じ上げませんでしたが、若い女性を夜遅くまで外出させていては、ご家族に心配させてしまいますよ。それに、あいにく車の運転がありましたから」

「でしたら、私は機織さんの運転で帰りたかったです。なぜタクシーを呼んだのかしら」

「パーキングまで距離があったんですよ。ヒールの女性を歩かせるには申し訳なくて、致し方なく」

「もう……何を言っても響かないんですね」

 不満そうに溜め息をついた女性に、今度は他の女性達が口火を切った。

「──あなた、機織さんとお食事してきておきながら、厚かましくありません?」

「そうですよ、私なんて二人きりになった事すらないんですから」

「図々しいわ、家柄が恵まれていた事に感謝すべきでしょう?」

 いかにも険悪な雰囲気のやり取りだ。女の人の口撃は容赦なく怖いんだなと、勇人はすくみあがる。

「何ですって?」

 言われた女性は目尻を吊り上げて鼻白んだが、そこで彼がそつなく物柔らかな仲裁に入った。

「──皆様、私ごときを巡っての言い合いはやめましょう。争いの火種になることは、美しい方々の心を荒らすと思うと悲しくなりますしね」

 ごとき、などとは微塵も自認していないのが明白な尊大さだ。一体この人は、いつの時代と国の貴族だと思うくらい、悠然とした態度は偉そうに見える。

「すみません、機織さん。私達ったら勝手に熱くなってしまって」

「申し訳ないわ、みっともない姿を見せて恥ずかしいです」

「私も、図々しくお誘いして……先日は、お忙しい機織さんがわざわざお時間を作って下さったのに、不満を言うのはお門違いでした……」

 たったの一言で、女性達は一気にしおらしくなる。

 ──あの人のあしらい方が上手いのか、それとも言葉は悪いけど……女の人を都合よく調教する事に慣れているのかな。

 調教だなんて穏やかならぬ表現ではある。しかし彼は、勇人がそう感じてしまうくらいに涼しい顔をしていて、全く怯まないのだから多分かなり場数を踏んでいる。

 ──母さん、どうしてこんな人が金色に輝いてるんだろうね……。

 亡き母親に向かってぼやいても、現実に存在する姿や時間の流れは何も変わらない。

 ──だけど、これが金色の魂か……性別や人となりはともかく、魂がこんなに綺麗にきらきらして見えたのは初めてだ。濁りも見えないし、磨き上げた純金でもここまで輝かないと思う。

 あまりの見事な輝きに、仕事を忘れて見入ってしまう。すると、まじまじと見つめていたせいか、彼が勇人の眼差しに気づいた。

 ばち、と視線が噛み合う。澄んだ黒目がちの瞳に見られて、勇人は焦って目を逸らした。

 ──やばい、ずっと見てたから不快にさせたかも。僕は個人として呼ばれた身でもないのに、パーティー客に嫌な思いさせるなんて後で絶対叱られる。

 仕事人としては失格だと言われても、反論の余地がないミスだ。

 ──もう見たらいけない。いけないんだけど……でも彼が運命の人だったら、ここで逃げると出逢えた運命はどうなるんだろう?

 勇人の身分は一般家庭の男子高校生でしかない。

 そして彼は一流企業の御曹司、身分差も年の差も、普通に考えると大きくて遥か遠い。

 それもそうだ、高校生から見れば立派なスーツを着こなす社会人なんて、ものすごく大人に見えてしまう。

 ──どう見ても同性だし、なのに金色なのは変だけど、でも運命の人って……もしかしたら、結婚とか恋愛とかに捕らわれないような、人間としての特別な存在なのかも。それなら、彼とはここで離れたらいけない気がする。

「機織さん、今度私の家で茶会を致しますの。よろしければご招待させて下さらないかしら」

 付け下げの上品な和服姿で一歩近づいた女性が誘いを仕掛ける。それだけで空気がぴりっとひりつく。

「すみません、今は任された仕事に休日も専念していますので」

「……そうなのですね……」

 取り付く島もない。

 こう言われてしまうと、他の女性達も無理に誘えなくなる。

「代わりに今宵のパーティーでは、皆さん会話を楽しみませんか」

「機織さんが私達の話し相手になって下さるのですか?」

「気の利いた返事は出来兼ねる無作法者でよろしければ」

「そんな、ご謙遜を……」

 優和は洗練された所作でグラスを片手に持ち、女性達からの秋波を上手く受け流している。いかにも大人びていて上流階級の人っぽくて、勇人には近寄りがたいし挨拶すら思いつかない。

 ──どうしよう、今僕は仕事中で……でも……。

 思い悩んでいると、飾り時計がボーンと鳴り響いた。時間の数だけ鳴って、静まり返る。

「──失礼、お開きの時間になってしまったようです」

 ──え、これでパーティーは終わり?

「君、今夜は良く働いてくれたね。まだ未成年だろう、帰りの車を出すから乗って行きなさい」

 垂れた目の会長がどこからか現れ、勇人の肩をぽんと叩いて労う。

「あ、ありがとうございます……ですが……」

 ──もう仕事中じゃないなら、あの人に話しかけたい……!

「──会長、本日はお招き下さりありがとうございました」

「おお、機織君も気をつけて帰りなさい」

 彼は会長に丁寧なお辞儀をしてみせ、会場から出ていこうとする。

「──あのっ、すみません!待って下さい!」

 焦りと戸惑いと、思い悩んでいたものが、彼の背中を見て弾けてしまい、勇人は思わず声をかけてしまった。

「……君、何か私に用件でも?」

 怪訝そうに見られたが、ここまできて引き下がれない。

 ──ええと、確か父さんが言ってた、初めて触れ合った時に母さんの事が金色に見えたって……!

「すみません、あの、少しだけ待って下さい……!」

 勇人が引き留めようと彼の腕に触れた瞬間──胡乱な面持ちで勇人を睥睨していた彼の表情が、驚愕に変わった。

 ──とにかく何か伝われ!運命なら起きろ奇跡!母さんの遺伝子にも八百万の神にも頼むから!

 勇人は必死である。脳はパンクして混乱している。

「こら君、私の招待客に不躾な事をするものではないよ」

 会長に窘められても、縋るように彼を見あげるしか出来ない。

「やだ、何この子」

「機織さんにいきなり手を出すなんて、どこの家の子なのよ?」

 彼に背を向けられた女性達が憤慨している様子で、ピンク色の魂に赤黒い染みを広がらせているのが見えても、ここで諦めたら単なる失敗にしかならない。何も得られず失意だけで水泡に帰す。

 何とか頑張って踏み留まろうと努めていると、彼がやんわりと救いの言葉を発してくれた。

「──会長、大丈夫です。君、まだパーティーに参加するような歳には見えないが……呼ばれて来たのか?」

「えっ?──あ、はい!呼ばれました!」

 ──監視役として呼ばれました!お客さんになれる程偉くないです!

「聞きたいことがある。ここはまだ人目につくから場所を変えよう。──会長、申し訳ございませんが話が出来る部屋をお貸し願えませんか?」

「機織君?この子は呼ばれたと言っても……」

「どうか、お願い申し上げます」

 彼が深々と頭を下げる。先ほどまでとの落差がものすごくて、ただ必死だった勇人の情報処理能力ではついて行けない。

「……まあ、頼んだ事はやり遂げてもらった事だ。良いだろう、少し狭いが八階の突き当たりの部屋を使うといい」

「ありがとうございます。──君、一緒に来なさい」

「あ、え?──は、はい……!」

 こうして、勇人は彼に促されるまま、会場から連れ出された。

 ドナドナの如く。

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