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第5話 大地が咆哮した後に湧きいずる新世界

 彼の舌打ちが聞こえる。腕が解かれる。体温が離れる。息も出来ない抱擁は、痛みの余韻を残して終わる。

 勇人は恐怖を味わったからか、緊張が解けたせいか、膝ががくがくと笑うのを止められない。立っていられなくて、床に膝をついた。

「おい、どこか痛いのか?!」

「いえ、どこも……貴方が守ってくれたじゃないですか……だから……貴方こそ、怪我したんじゃないんですか……」

「……頭は打たずに済んだ。背中は単なる打ち身で済むだろ、骨に異常は感じない」

「……そうですか……ありがとうございます……」

 ──良かった、出逢って早々に永劫の別れとかじゃなくて良かった、けど。……痛い思いさせた。僕が子どもだから、守らなきゃいけなくて。本当に怖いのは、この人の本性がどうとかじゃない、自分の弱さだ。我が身を守る力もなかった。

「……ごめんなさい……」

「……謝んな、ガキが。俺は当然の事しかしてねえ」

「……ありがとうございます……」

「それはもう聞いた。繰り返すな。分かったか?」

「はい……」

「よし、なら場所を変えて改めて説明しろ。ここはまだ危ないからな。……あー……久しぶりに言葉が荒くなった、怖かったろ。怯えさせようって気はなかったが、つい感情的になって悪かった」

「いえ、守ってもらったので……」

 ありがとうございますと言いそうになり、唇を噛む。──繰り返したらいけない。

 ──もしかすると運命の人だからとか、まだ子どもだからとかで、守られるだけなんて、繰り返したらいけないんだよ。

「……場所、出来れば他の人に聞かれない所がいいです」

「分かった。建物の壁にヒビも入ってないんだ、多分道路は大丈夫だろうし、車を呼ぶから休んでな」

「……はい」

 彼がスマホを出して手短に話し、「じゃあ外に出るぞ」と勇人に声をかける。

「分かりました」

 言葉に従ってついて行くと、建物から出た時には既に高級そうな車が控えていた。

 車体が大きいし長い。しかもお決まりの黒だ。

「どうした?早く乗れ」

「あ、……はい」

 彼が先に後部座席の奥に座り、勇人にも乗るように言ってくる。

 恐る恐る乗り込むと、明らかに普通の車ではない。シートの柔らかい高級感だけでなく、車内で飲み物を飲めるように小型の冷蔵庫まで備わっている。

 ──この車、一台で田舎の家族向け中古マンション買えそうな感じだな……。

 勇人はそう予測したが、実際にはもっと高い。

 車内を遠慮がちに見回していると、彼は運転手に「いつもの店へ」と命じた。

「はい、かしこまりました」

 緩やかに走り始める車は、振動など感じさせない。

「──何か飲むか?クーラーは酒がほとんどだが、レモネードくらいならある」

「え、でも……」

「いいから、俺に付き合え」

 遠慮すると、強引そうでいてスマートに決められた。冷えたグラスにレモネードがそそがれて手渡される。彼は手慣れた様子でウイスキーのロックを用意した。

「じゃあ、お言葉に甘えて頂きます」

「ああ、蜂蜜が使われてるから疲労回復にも良いだろ」

「そうなんですね。……美味しいです」

 レモンの爽やかな酸味に、まろやかな蜂蜜の甘さが控えめに効いている。空腹の胃に沁みて、勇人は小さく息をついた。

 それから、車内は静寂に包まれていて会話もなく目的地まで走り続けた。

 時間にして二十分くらいだろうか?閑静な所に着いて、車から降りて店に入ると、どうやらイタリアンレストランらしかった。

「いらっしゃいませ、二名様で承っております」

「フルコースを二人分。──おい、メインは肉と魚から選べ」

 急に言われても、こういうレストランなんて勇人には経験がない。まごついていると、どうやら察したようだ。

「選べないなら、俺が肉でお前が魚にしておけ。シェアすればいいだろ」

「──では、個室にご案内致します」

「ああ、頼む」

 ──他の人に聞かれない場所を頼んだのは僕だけど、だからってレストランの個室?フルコースとか訳が分からない。

 個室の席についても、どうにも落ち着かない。すると、彼は何でもないように気遣いを見せた。

「どうせ狸爺の所で仕事してたなら、夕飯もまだだろ。時間も時間だし、ここで食ってから帰れ」

「……良いんですか?」

「悪ければ連れて来ない。成長期の子どもが食事を抜いて働くなんて、そんなもの見たら気分が良くない。遠慮するなよ」

「あの、ではありがたくご馳走になります」

 応えると、微かに目つきが満足そうになったのが見えた。

 前菜から、タイミングを見計らって料理が運ばれてくる。パスタもメインもガーリックとオリーブオイルが使われているのが分かるが、それだけではない複雑で美味しい味つけになっている。

「美味しいです」

「なら、良い。デザートも食えるだろ?」

「はい、大丈夫です」

「──話はしっかり食ってからだ。良いな?」

「あ……はい」

「食後の飲み物は……この時間にコーヒーはまずいか。ノンアルコールのカクテルかカフェインレスのものを出させる」

 ──あれ、この人何かと気遣いが上手いような。これなら女性の人にももてるのも納得いく。

 そもそも地震の時に、迷いなく勇人を庇ったような人だ。

 勇人もはじめのうちこそ慣れない環境の食事に緊張していたが、デザートが済んで温かいお茶が出される頃には、だいぶリラックス出来るようになっていた。

 ──でも、これから問題の説明しないといけないんだよな。

 当然ながら不安もある。しかし優しくされてきて、気持ちは穏やかになっていた。

「──さて、本題に入るか」

「はい。──金色に見えた事ですが、これは母から聞いていた事で……」

「思考や感情で色が変わるんだよな?ああいう場所じゃ、どうせろくな色の魂もなかっただろ」

「慣れていますから……」

「こんな年齢の奴が諦念してるなんて、世の中にむかつく」

「いえ、大丈夫ですから。──それで、母が経験した金色の魂が見えた事についてですが……父の魂が金色に輝いていたそうです」

「お前の父親は、そんな崇高な人物なのか?」

「優しいですが、普通の人間です。……それで、父が初めて母と触れ合った時に、異能のない父でも母が金色に輝いて見えたと聞きました」

「──そこに何の意味があるんだ?」

 話が核心に迫って、勇人は息を呑んだ。まだ言いにくいが、ここで言うしかない。

「運命の人──魂が見い出す運命の人こそが、魂を金色に見せるそうです」

「……運命の人?」

「……はい」

 ──ついに打ち明けてしまった。ここからは後戻り出来ない。

 彼は少し考え込む様子を見せてから、ウイスキーを口に含んで問いかけてきた。

「──俺もお前も男なのは分かってるよな?」

「……はい。だから、僕は自分の目を疑いました」

「……俺も別の意味で自分の目を疑ったが。金色に見えたのは確かだった。あれは錯覚だったなんて言えない」

 そう言って、グラスに残るウイスキーを飲み干す。

「運命の人──まるでおとぎ話だ。金色に見えたのには、他の意味はないんだな?」

 真っ直ぐに見つめられて、緊張がぶり返すものの、彼は見えたものも勇人の説明も全否定しなかった。

 だからこそ、ここで思い切って提案する。

「運命の人、と母は確かに言いました。──だけど簡単に信じてもらえない事も分かっています。目で見たものがまだ信じられないなら、……あの、出来たら友達から始めて欲しいんです。僕たちはお互いを知らなすぎるから」

「友達か──そんな子どもじみた提案なんて小学生の頃以来だ」

「駄目……でしょうか?」

「……いや、おかしくは思うが……あの金色に見えたものの正体は何だろうと考えれば、それも面白いかもしれない。──良いだろう、友達から初めてやる」

「──ありがとうございます!」

 勇人は思わず繰り返してしまったが、これは全く意味合いが異なる。それは彼も理解してくれているのが面持ちから分かる。

「スマホ持ってきてるよな?連絡先を交換しておこう」

「──はい!お願いします」

「じゃあ、今後は奇妙だが友達だ。お前、俺を貴方とか言うのも変えろよ」

「え……そしたら、機織さん?」

「群がる女ならまだしも、友達から家の名前で呼ばれるのは面白くない。──優和だ」

 呼び方が一足飛びだ。ずっと歳上の大人に気安く呼んで良いものか躊躇う。

 だが、彼はここで譲歩はしないだろうと、少し話し合っただけの関係でも分かってしまう。

「そうしたら……優和さん?」

「まあ、及第点だな。お前の事はあいにく名前も知らん。どう呼べばいい?」

「あの、では……勇人と呼び捨てにして下さい」

「分かった。──勇人、時間も遅いから親御さんが心配する。そろそろ店を出て、家まで送る」

「はい、お世話になります」

「……まあ、人の厚意を素直に受け取れるのは悪くない。おそらくお前を育てた親が良かったんだろう」

「そう言ってもらえると嬉しいです」

 そしてレストランを出て、例の黒塗りの車に乗り込んだ。再びレモネードを渡される。彼──優和は呑み足りないのか、ウイスキーをグラスにそそいだ。

「ほら、──友達の記念に乾杯だ」

「え?──あ、はい!」

 最初の頃と態度も印象も違う。優和の気持ちが単なる興味でも、心が軽い。

「まだ疑問は残るが、つまらないパーティーで女に囲まれるよりは、お前の方が楽しませてくれそうだからな。誰かに興味を持てたのも久々だから、せいぜい仲良くしてくれよ?」

「……ええと、努力します」

 かちん、と軽くグラスを合わせる。優和は機嫌も良さそうにウイスキーをあおった。

 帰りは行きと打って変わって──緊張はしていても、胃がきりきりするような固くてひりついた感じはしなかった。

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