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寿司屋の個室と言えば、和室に座布団に正座だとばかり思っていたが、予想に反してテーブルと椅子のある洋室だった。
窓からは手入れされた庭木が美しく見える。
店にメニュー表はなく、どうやら当日の仕入れに合わせて職人が握るらしい。
──この人、外食では毎回昨日や今日みたいなお店で食べてるのかな。エンゲル係数が庶民の僕には見当もつかない。
「──おい、苦手な魚はあるか?」
控えめに個室の様子を見ていると、不意に訊かれた。
「いえ、魚は何でも好きです」
──こういうお店で出される魚は、回転寿司で注文する魚とは全然違うんだろうけど。多分美味しいだろうし……問題は緊張で味が分からないかもしれない事だよ。
「好き嫌いがないのは良い事だ。──そんなガチガチに固まるな、美味いものは美味いって楽しまないと、店も出し甲斐がないしお前も面白くないだろ。デートなんだから楽しめ」
「……デート……って……」
「運命の二人が個室で食事するのを、デートだと思ってなかったか?」
「いえ、あの、……素敵なお店で嬉しいです。その、デート……とか初めてですし」
思わず顔を赤らめながら言うと、優和が直球を投げてきた。
「ん?もしかしてお前、初恋もまだなのか?」
「……はい……」
こんな異能を持って生まれれば、魂の色を見て躊躇する。しかも親からは金色の魂について聞かされていたのだ。勇人なりに思うことも憧れもあったのだから、気楽に誰かを好きにもなれない。
優和もそれを察したらしい。
「……まあ、せっかくの思春期に、仕事のせいでろくな魂も見られてなかっただろうしな。学校でも魂の色がちらついてたろ」
「そうなんです、仕事は母から引き継いだものなので、やっぱり大切なんですけど」
──不思議だ。踏み込んだ事言われてるのに、答えにくいと思わない。優和さんに対してネガティブな感情も湧いてこないし。
それはきっと、優和が遠慮なしに言っていても、心には思いやりがあるからだと感じる。
──優和さんが大人で視野が広いから?いや、大人でも視野が狭くて身勝手な人は嫌って程見てきた。
考えていると、綺麗な寿司が運ばれてきた。まるで海の宝石みたいに艶々していて、どれも美味しそうだ。
「すごい、こんな綺麗なお寿司初めて見ました」
思わず感嘆すると、優和の表情が満足そうにやわらいだ。
「よし、そういう素直さは美徳だからな。せっかく連れて来たんだ、今は食うのを楽しめ」
「はい、いただきます」
傲岸な言い方にも受け取れるはずなのに、やはり感じるのは優しさだ。なぜだろう、心が温かくなる。
寿司を箸で取り、そっと口に入れると、魚の旨みとシャリが調和していて美味しい。口の中でシャリがほろりと解けて、脂の乗った魚はとろける。
「美味しいです!」
「なら良かった。俺も気に入ってる店なんだよ」
「そういうお店に連れて来て下さって、ありがとうございます」
「ああ。──これも美味くてお勧めだぞ、食ってみな」
「はい」
二人で食事を楽しみながら、勇人はこうして楽しめる事を意外に思う。
──昨日の今日出逢った人と、一緒に食べてて気兼ねもないのって、やっぱり優和さんの魂が金色だからなのかな。
それにしては少し浮かれていると自覚している。
この居心地の良さと、どこか浮き足立っている自分は何なのだろうとも思う。
魂の色を信じているにしても、それだけでは根拠が足りないようにも感じてしまう。本当に自分が分からない。
「──すごく美味しかったです。ご馳走様でした」
「俺も、お前が綺麗に食うのは見てて気持ち良かったよ。親御さんはきちんと躾して教えてくれたんだな」
「そうですか?」
両親の躾が特別厳しかった記憶はない。あるのは温もりと優しさの記憶ばかりだ。
勇人は湯呑みの茶で舌を湿らせて、「甘やかされてたとは思わないんですけど、でも両親は僕を大事にしてくれてました」と、幼かった頃を思い出しながら言葉にした。
「そのバランスが案外難しいんだよ。お前の親御さんはきちんと愛せたんだろ」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
慕う親を認めてもらえるのは、自分が認められるように嬉しさで満たされる。
知らず笑顔になっていると──優和が手を伸ばしてきた。
いきなりの事に驚いて固まると、テーブルの上で湯呑みを包んでいた手に、優和が手のひらを重ねてきた。
「え、何……」
「……特に色は見えないな」
「色?……あ、あの金色……優和さんの目には見えてないんですね?」
「ただの空気があるだけだ。空気も見えるものじゃないが」
「何で今は見えないんでしょうか……」
まるで楽しかった時間の感覚が萎むようだ。
だけど、そこで父親の言葉を思い出す。──「初めて触れ合ったとき、お父さんは既にお母さん以外の相手なんて考えられないくらい惚れ込んでたからな」──確かにそう言っていた。
ならば、異能者以外が金色を見るには条件があるのかもしれない。
「父が話してくれた事なんですけど……」
そこで、勇人は父親の言葉を優和に打ち明けた。
「……惚れ込んでた、か……まあ、確かに俺はお前を面白いと思うし悪くも思ってないが、そこまでの思い入れが出来る程の時間や出来事を共有してないな」
「……そうですよね……」
否定はされていない。でも、優和の懐には入れてもいない。
「──なあ、考えたんだが。お互いに心底から想いあっていなければ、常に金色の魂を感じとることは不可能なのかもしれないな」
「心底から、ですか」
「運命ってだけじゃ、人間の感情は複雑で片づかないものだろ」
「それは……そうかもと僕も思います」
──なら、運命の金色を本気で信じてもらうには。第一、僕自身も心のどこかでまだ信じきれてないのに、それを優和さんに求めてもわがままだ。
お互いに認め合い、求め合えるようになるには。想い合える程深くなるには──。
「──優和さんが、良ければですけど。僕はこれから、出来るだけ優和さんと一緒に過ごしたいです」
「一緒に?」
「はい。その方が絆も深まりますよね?」
「絆、ね……」
そこで、優和は湯呑みに残っていた茶を一息に飲んだ。勇人はそれを見ながら答え合わせを待つしかない。
その一瞬は、重くて体を強ばらせた。
やがて、優和が淡々と言葉を紡ぐ。
「……今触れてみて、疑念が生まれなかったとは言えない。──でも、昨日見た金色も確かだ。俺の錯覚なんかじゃない」
優和は言い切り、そこで噛んで含めるように勇人へ話した。
「だがな、お前も分かってると思うが俺は仕事が忙しい。お前にも学校と仕事がある。生活の違う両者が一緒にいられる時間を作るのは、簡単な事じゃない」
もっともな言葉に、勇人はきゅっと唇を噛んだ。優和が言う事はもっともな現実論だ。勇人の夢や理想だけで、どうにかなるものではない。
しかし、優和は勇人が思いもよらない事を提案してきた。
「──それで、だ。俺は家柄や仕事の都合上、敵が多い。お前にはボディガードを兼ねて一緒にいてもらおうか」
「ボディガード……ですか?」
勇人は他人を守る技能どころか、護身術も習ってはいない。
そんなありさまで、一体どうやって優和を守るのか。
唐突な話に戸惑う勇人へ向けて、優和は明朗に説明した。
「お前の異能があれば、危険人物が俺に近づけば察知出来るしな。それに、大企業の御曹司である俺に対して悪意的な人間を見れば、クライアントにも──ここでは俺の父親だな、そこに報告する事が出来て仕事にもなるだろ」
「つまり、契約を結ぶわけですね?」
「表向きはそうなるな」
「──分かりました、契約します」
「言っておくが、お前も危険と隣り合わせになるかもしれないんだぞ?」
「ですが、最善の手段だとも思います。一緒にいられて、優和さんを危険から遠ざけられます。僕の与り知らないところで、優和さんを失う事はなくて済むんです」
母親を見てきた勇人にとっては、異能の仕事が危険と隣り合わせな事など認知出来ている。
まだ未成年の駆け出しだからと許されてきていたが、いずれは身を守る術も覚えなくてはならない。
優和は勇人の眼差しに決意を見たようだった。
「──よし、それならお前の親御さんにきちんと話を通さないとな。ちょうどいい、これから顔を合わせる事にもなってる事だし」
「話を通す……?」
「ボディガードなら、傍にいる必要が生まれるだろ?だからこその提案だったんだ。──お前には、俺の住むマンションで一緒に暮らす事にしてもらう」
「一緒に……暮らす?優和さんと?」
呆気に取られた勇人に、優和は口角を上げて企むように笑んだ。
「よろしくな、相棒」
それから店を出て、車は勇人の家に向かった。
勇人からすれば、昨日までの日々からは考えもつかない激変だが、もしかすると動き出した運命というのは、そういうものなのかもしれない。
家に着くと、仕事から帰宅していた父親が待っていた。
父親の気遣いだろう、リビングは掃除を済ませて整えられていた。
「機織さん、はじめまして。息子がお世話になっております」
「こちらこそ、勇人君には親しくして頂けて嬉しく思っています。出逢いは昨日のパーティーですが、意気投合して私から食事に誘わせて頂き、彼の帰宅が遅くなりました事をお詫び致します。──こちら、大した物でもありませんが」
優和があらかじめ用意していた老舗の和菓子屋で人気の菓子折りを差し出す。
「これは、お気を遣って頂いて。ありがとうございます。私としましては、息子の交友関係が広がる事も好意的に見て下さる方が増える事も喜ばしく思いますので。──狭い家ですが、お上がり下さい」
「ありがとうございます。お邪魔します。──実は、勇人君につきまして当家から仕事を依頼したく、ご挨拶を兼ねてお話をさせて頂けますか?」
「機織家より、仕事の依頼ですか?」
息子が異能者として仕事をするようになった事には慣れてきていた父親も、急な申し出には問い返さずにはいられなかったようだ。
そこを、優和がなるべく穏便に済むように説明した。まさか勇人に危険が及ぶかもしれない事まで彼の親に言う訳にもいかない。
「──勇人君には、魂の色を見抜いて逐一報告して頂きたいと思っております。怪しい者への対策は当家が取らせて頂きます」
「そう、ですか……。息子はそれで納得しているのですか?」
「父さん、僕なら大丈夫だよ。機織さんから説明を受けた上で、今回引き受けようと思ったんだ」
「なら良いんだが……」
「ご理解ありがとうございます。──そこで、効率化をはかって、勇人君には私が生活するマンションで、共同生活をお願いしたいと思います」
「勇人、家から離れてまで任務にあたるのか?学校はどうする?」
「学校には変わらずに通うよ。その為にも、仕事をこなす為にも、必要な事だと思ってる」
勇人が心配そうな父親へ向けて、身を乗り出して言い募る。
やがて、父親は息をついた。そして優和に頼む。
「機織さん、息子が意欲を出しているなら無理に止めようとは思いませんが……どうか、息子の心と体、成長に無理のないようにお願い致します。父として息子が己を酷使してまで仕事する事は望みません」
「はい、勇人君の事は当家と私自身で責任を持ちます」
「……ありがとうございます。息子を頼みます」
「父さん、ありがとう」
勇人の声が思わず弾んだ。父親は諦めも滲ませながらだが、勇人が強い意思を持っている事を認めて、薄く微笑んだ。
「やると決めたからには、納得のいくまで頑張るんだぞ」
「うん、分かった」
「勇人君のお父様からご理解を賜り、ありがたく思います。御礼申し上げます」
「……勇人は母親に似たんでしょうね」
ぽつりと、父親が独り言のように呟いた。
──新しい生活が始まる。これで、優和さんに見えた金色の運命の正体も、真実も分かるようになる。
勇人からすれば、期待の大きさが不安や心配よりも勝っていて、鼓動を高鳴らせていた。