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引っ越しの準備は進んで、勇人が優和の家に行く日が来た。
この日は幸い優和の仕事が休みで、荷物は引っ越し業者が運ぶが勇人の事は優和が車で連れて行ってくれるという。
それにしても、勇人には一流企業の御曹司が住まう家というのが想像もつかない。
──ご両親と同居してるとしたら、まず挨拶して、それから……。
慌ただしい中だが、心も忙しない。
──家を出る日は、もっとずっと先の話だと思ってた。いつか異能者として一人前になって、大人になって誰かと出逢って結婚して……そんな未来の話で。
そう考えているうちにも、引っ越し業者がてきぱきと荷物をトラックに積んでゆく。
優和が迎えに訪れたのは、それが一段落ついたところだった。
「優和さん、おはようございます」
「おはよう、本当はもっと早めに来たかったんだが、朝イチで目を通さないといけない書類を渡された。待たせたろ」
「いえ、心の準備をする時間が持てました」
「……かなり緊張してるな」
「それは、よそのお宅で暮らす事になりますし……僕は優和さんの家族構成も知らないですから」
「なるほど。そう言えば話してなかったな。──家族構成については、俺の家族と無理に親しくなろうとしなくていい。マンションで一人暮らししてる身だしな」
──え?て事は優和さんと二人きりで生活する?
余計に緊張してきた。
その勇人の狼狽を見て取った優和が、からかいがちに笑う。
「良かったな、邪魔者なしで二人の絆を深められるぞ?運命かどうかも、その分早くに分かるだろ」
「え、その……絆って……」
「おい、初対面の時と態度が違いすぎるぞ。あんなに必死に縋りついてきたくせに」
「それは、必死でしたけど!今と状況が違うと言うか、あの」
──この人実はドSスパダリとかなんじゃ……。
思わず疑惑を抱いてしまう。優和は余裕の笑みだ。
「──さて、ひとしきり遊んだ事だし行くか。お前の父親にも挨拶しておきたかったが、仕事で出てるんだろ?」
「あ、はい。よろしくお伝えして欲しいと言ってました」
「分かった。──ほら、乗れよ」
「はい」
言われた通り助手席に座り、シートベルトを着ける。優和はそれを確認してから走り出した。
下手なフレグランスで車内を誤魔化さないし、加速は緩やかで、スピードもそんなに出さない運転は乗っていて勇人の心に落ち着きをもたらす。
「──優和さんって安全運転ですよね」
「そうか?同乗者がいれば当たり前だろ。相手の命を預かってるようなもんだしな」
──こういう事、さらっと言えるところに見た目で分からない人柄が出るのかな。スパダリだし。
ドSが消えている。
「お前の家からマンションまでは車で三十分くらいだ。そう遠くもないから、都合が合えばたまには里帰りさせてやる」
「ありがとうございます、父も喜びます。案外近いんですね」
「いつでも元気な姿を見せられるように、無茶な仕事の受け方はするなよ?特に帰りが深夜になるような仕事は断れ。高校生を夜中まで働かせるような奴相手に、地盤作りとか人脈作りだなんて考えるだけ無駄だ」
──父さんの代わりに保護者が増えた……。
心配してくれているのはよく分かるし、それは嬉しいけれど、言い方が第二の父親だ。
「マンションの間取りに関しては、見せながら話した方が分かりやすい。二人でも狭苦しくはないだろうから、そこは安心しろ」
「分かりました」
それから車内で会話が弾んだ訳でもないけれど、ぽつぽつと交わす言葉からは、優和なりに新たな同居人を受け入れようとする気持ちが伝わってきた。
しかし、いざ優和の暮らすマンションに着くと、その高層ぶりに勇人は呆然と建物を見上げた。
──これ、明らかに億ション……意識高いセレブが暮らすタイプの。
「俺の部屋は十三階だ。案内するから付いて来い。──勇人、乗り物酔いでもしたか?」
「いえ、ただマンションが予想を超えて立派だったので驚いて」
「ちなみに5LDKの部屋に住んでる。お前の部屋も用意してある。バスルームは一つだが、お互いの生活時間帯がズレてるからな、自由に使うといい」
「ご……LDK……」
戸建てとはいえ3LDKの家に家族と暮らしていた勇人にとっては異次元に近い。
そこに今まで一人で暮らしていたのかと思うと、常に親と生活してきた勇人からすれば、心の隅で寂しそうだなとも思えてくる。
しかし言葉にはせず、入り口を抜けて優和がコンシェルジュから鍵を受け取るのを見て仰天した。
オートロックなら見慣れているものの、こんなホテルみたいな仕組みは勇人にとって未知の世界だ。
──敵が多いって言ってたし……これくらいセキュリティがしっかりしてないと、一人暮らしも出来ないものなんだろうか?
辺りを見渡しながらエレベーターに乗る。十三階が近づくにつれて、緊張がぶり返してきた。
「勇人、大丈夫か?」
「大丈夫、です……」
「まあ、早く慣れろとは言わないが。もうここはお前も暮らす家だからな。今日明日と土日だから、引っ越しの疲れを癒して自由にするといい」
エレベーターは十三階に着いてしまった。優和がもの慣れた様子で重厚な玄関を開ける。
──優和さん、部屋でお香でも焚くのかな?微かにムスクの香りがする。
そんな事を何とはなしに思っていた勇人に向かって、優和が「ここがお前の部屋だ」と指し示した。
「……広すぎませんか……」
明らかに十二畳はある。六畳の子供部屋で寝起きしていた勇人には過分な部屋だ。──が、運び込まれた荷物は既に整頓されているのに、その中に使い慣れたベッドがない。
──土日は荷解きで終わると思ってたけど、業者さんが全部済ませてくれたんだ……いや、でもベッドないんだよ。どうやって寝ればいいんだろ?
当惑した勇人の疑問には、優和が別方向から答えた。
「──あいにくだが、寝室を除いて他に空いている部屋がない。こればかりは慣れてくれ」
「寝室?」
「こっちだ」
──間取りが凄いからって、寝室を二部屋も作れるとは思えないけど……。
不思議に思いつつも、案内されるままに優和の後ろを歩く。
「──ここが俺達の寝室だ」
「俺……達?」
そこには、セミダブルのベッドが鎮座している。他にベッドや布団は見当たらない。
「優和さん、ベッドが一つしかないみたいですけど……」
「そりゃ、一緒に寝るからな」
「──えええ?!」
「どうかしたか?お前、壊滅的に寝相が悪かったりするのか?」
言葉を失う勇人に対し、優和は平然としている。
「……寝相は……普通だと思いますが……ですが一緒にって……」
「それがどうかしたか?──何しろ運命の人、なんだろ?」
「──っ!」
どうかしたか、ではない。勇人からすれば、いきなり貞操の危機である。