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第11話 思い切って提案してみる

「──あの、簡単なものなら作れるので、朝食だけでも僕に用意させてもらえますか?」

「朝はコーヒー以外口にしないが……」

「それじゃ健康に良くないです。一日の始まりには体に優しい食事が必要です。せめて、これくらいはさせて下さい」

「……勇人がそう言うなら、断る程の理由もないから構わないが。ただし、疲れてる時は絶対に無理するなよ?」

「分かってます」

 頷いてもらえて、少しほっとする。

 ──晩酌するなら、朝は体をリセット出来るもので始めないと。

 勇人は気を取り直して、父親と暮らしていた頃の経験から献立を考え始めた。

 簡単に作れて、口にしてもらいたい物なら、いくつか思い当たる。

 ──これで優和さんが喜ぶかは分からないけど。

 心は知らないが、肝臓になら喜ばれるはずだ。

「そうしたら、必要な物の買い出しですね。あ、今夜の夕飯は僕に作らせて下さい。作りたい物があるので」

「いやに意欲的だな。──近くにショッピングモールがある。そこで間に合うか?」

 ──モールで良かった、庶民に甘くないタイプのデパートじゃない。

「はい、大抵は揃います」

「なら、俺が車を出す」

「ありがたいです」

 その買い出しも、契約書の通りなら優和が財布を出す事になるのが気にかかるものの、いつまでもくよくよしていては、当の優和が不快になってしまう事なら予想出来る。

 ──ここは割り切ろう。

 勇人はそう考える事にした。

 そして買い出しに出る前に冷蔵庫を確認すると、見事に並べられたビールと簡単なツマミしかなかった。

 ──食事を一緒にしたのは二回だけだけど、もの慣れた雰囲気だったし……多分食事は外食がほとんどなんだろうな。いや、それでもこれはあんまり。

「……何で所狭しと瓶ビールが並んでるんですか……」

「ビールは缶より瓶の方が美味いだろ」

「美味しさの問題じゃありません、冷蔵庫の中身の問題です」

「言っておくが、食事では好き嫌いなんてしてないからな?野菜も全く美味く感じないが、出されれば残さない」

「その分自宅で不摂生ならマイナスです」

「風呂上がりの冷えたビールは譲らないぞ」

「……晩酌の他にも呑んでるって事ですね?」

「ビールは酒じゃない、炭酸麦茶だ」

「酒呑みの言い分は聞いてたらキリがありません。キッチンが片付いてるのは納得出来ましたが、綺麗に磨かれてる理由が分からなくなりました」

「精神統一したい時は水回りの掃除だろ」

 いやに堂々と言ってのける。だが、それが自炊する事に繋がらないのがよろしくない。清潔に保つ事は大事ではあるが、かといっていくら掃除をしたとして、それで料理が出てくるはずもない。

 朝はコーヒーだけなのといい、とりあえず優和が健康的な食生活を心がけているとは言えない。

 これは張り切らないといけないな、と勇人は健康的な食生活を習慣づける為にも、必要なものを頭の中でリストアップしてゆく。

 優和が社会人として働いているなら、朝食は肝心だし、御曹司と呼ばれるような身で仕事をこなしているとしたら、まして頭脳を使うだろう。朝はしっかり食べるべきだ。

 ──何でも子ども扱いさせていられない。

 それは、勇人なりの矜持だった。

 そして、モールの食品売り場では胃の負担にならずに、晩酌のアルコールが翌日にまで響かないよう、食材を選んで買い物かごに入れていった。

 ──まずは、ここから始めるんだ。

 優和はチョイスした食材の繋がりも理由も特に訊いてこなかったが、横やりを入れる気もないようで、勇人の選択に任せてくれた。

 用意するのが朝食だけならば、そんなに多くの買い物も必要ない。訪れた事のないモールの食品売り場で欲しいものを探すのには歩き回ったものの、収穫は十分にあって満足出来たし、作りたかった定番の引越し蕎麦にする乾麺や薬味も選べた。

 ──お蕎麦に合わせる天ぷらも、揚げられるくらい料理が出来れば良かったんだけど。

 あいにく、そこまで料理が得意なわけでもない。慣れない事をして失敗作を出すよりは、確実かつ無難に作れる方がいい。

 買い物を済ませた二人は、食材を冷蔵庫や棚にしまってから、優和の「俺は夕飯までに片付けないといけない仕事があるから」という言葉で、各々の部屋に入った。

 勇人も学校の宿題がある。予習や復習は明日でもいいとして、時間に余裕があるうちに済ませる事にした。

 広い部屋に置かれた、使い慣れてきたはずの勉強机が浮いているようで落ち着かないが、これもそのうち慣れてくるのだろう。

 ──あ、その前にキッチンでお湯を沸かしておかないと。用意しておきたいのがあるし。

 そう思い出して席を立ち、またキッチンへ向かう。やたらと整理整頓されたそこでヤカンを見つけてコンロに火をつけた。

 ──今やって冷蔵庫で冷やしておけば、明日の朝には上手く出来上がってるはず。

 仕込みに対する優和からの反応を想像して、出すぎた事かなとも思ったが、歩み寄りたくて始めた関係なのだから細かい事を気にするのはやめようと思い直した。

 やがてヤカンから湯気が立ってきて、沸騰を伝えてくる。火を止めて熱湯を使い用事を済ませ、今度こそ部屋の勉強机に向かう事にした。

 幸い、今日やるべき宿題に苦手科目はない。まだ慣れない部屋でも、それなりに集中しやすくて助かった。

 そうして宿題を済ませると、窓の向こうでは日が傾いてきている。少しだけ休んでから蕎麦を茹でる事にした。

 キッチンタイマーはなかったようなので、代わりにスマホで茹で時間をはかればいいかと考えて、いつもの癖で横になろうとしたものの、ベッドは寝室に一つしかない。

 諦めて机に突っ伏し、眠ってしまわないように気をつけながら目を閉じた。

 構造上遮音されているのか高層階だからなのか、部屋はしんと静まり、表を走る車の音も聞こえてこなかった。

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