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第15話 しあわせの朝と、勇人のために

 * * *



 早いもので、風変わりな同居生活が幕を開けて、もう二週間が経とうとしていた。

 とある土曜日の朝、優和が射し込む眩しい陽光で目を覚ますと、隣で眠っていた勇人の姿は既にない。

 学校も仕事もないのに早起きだ。たまの休日くらい惰眠を貪っても、バチは当たらないものをと優和は思う。

 多分、キッチンにいるだろうと当たりをつけて着替えをする。

 身だしなみを整えてから向かってみると、味噌汁の食欲をそそる匂いが漂ってきた。

「──おはよう、勇人」

 どうやら、朝食作りも仕上げまで進んでいるらしい。勇人がぱっと顔を向けて、にこやかに返事をしてきた。

「おはようございます。すぐに朝ご飯出来ますからね。昨日は鮭の切り身で良いのが買えたので……もう焼き上がりますから、座っていて下さい」

「何か手伝うよ」

「大丈夫です、手間がかかる事は何もないので。気持ちだけありがたく受け取りますね」

 勇人が女だったら、間違いなく良妻賢母になるところだろう。

 それか、気を許した相手には尽くすタイプだ。

 同居生活にも馴染んでくると、勇人の細やかな気配りが一つ一つ見えてくる。

「優和さん、どうぞ」

「ありがとうな、いつも」

 配膳された朝食の味噌汁には、明らかに手作りしたと分かる小さなつみれが浮いている。

「朝から手が込んでるな」

「いつもより早く起きたので」

 何でもない事のように言うが、勇人がこうしたものを作る時は、大抵の場合で根気強く細かく刻んだ野菜を混ぜている。

 こうされると、野菜のクセや青臭さに気づけない。美味いなと食べた後に種明かしをされる。

 初めて混ぜられた時こそ、してやられたと思ったものだが、もはや諦めと降参とで、やりたいようにさせている。

 実際、食べて不味かった事もないのだから、健康を案じてくれている勇人に対して、不愉快にもなりようがない。

「……うん、美味い」

「良かったです。頑張ってみじん切りした甲斐がありました」

「……お前には敵わないよ」

 出逢ったばかりの頃は、むしろ優和が勇人を連れて回り、振り回していたきらいがあった。

 大人としてリードしなければという気負いもあり、未成年者を預かる立場としての責任感も働いて、過剰に大人として振る舞おうとしていた。

 しかし、責任感こそ変わらず抱いているものの、勇人の自主性や自立心は確固たるものだし、下手に妨げとなるより見守る立ち位置が良いと考えるようになった。

「朝に和食も慣れたが、慣れても飽きがこないところが偉大だな」

 これは、勇人の努力を讃えている。本人は気づかないまま、向かい合って焼き鮭をほぐしているが。

 こんな満ち足りて平穏な朝の風景が、いつしか自然に思える程、優和の心持ちを変化させた。

 それがどれだけ、少し前までには考えられないものだったのか、変えた勇人は無自覚ににこにこして、あるいは時折はにかんで見せたりと──可愛いなと思わせるのだ。

「──ご馳走様。勇人、片付けは俺がやるから」

「優和さん、お仕事は?」

「今日は休みだ、気にするな」

「じゃあ、お言葉に甘えて。お願いします」

「勉強の続きは食休みしてからにしろよ?」

「はい。部屋で少し本でも読みます」

 ここで暇つぶしに動画を眺めようとならないのが、勇人の個性でもある。

 勇人を見送り、使った食器を食洗機に任せて、優和はふと呟かずにはいられなかった。

「……勇人には作ってもらってばかりだな」

 勇人だって、まだ高校生でも忙しい身だ。なのに、毎朝の朝食作りは手抜きなどしない。冷蔵庫には常にハーブティーを作り置きまでしていて、優和の事を労わっている。

 そんな勇人を見ていると、優和としても、たまには自分から何かをして労りたくもなる。

 幸い、今日は優和も勇人も休日の土曜日だ。たまには家でゆっくり昼食を摂るのも悪くない。

 そうと決まれば、行動あるのみだろう。

 勇人に昼食を作ってみてやろうと、優和は会社近くの書店に赴き、料理コーナーの書棚に並ぶポップな背表紙を真剣な目で見つめた。

 自炊経験のない優和は、自分が最初から主婦が使うようなレシピ本を買っても、上手く使いこなせるわけがない事を認めている。

 だから、そんな自分でも出来る料理を知りたいと、背表紙のタイトルを書棚の端から端までチェックした。

 ──すると、『包丁を使えなくても作れる簡単健康レシピ』と書いてあるレシピ本が目に止まった。

「……包丁を使わなくても作れる、か……」

 しかも、簡単。健康。いかにも勇人へ仕損じる事なくお返しをするにふさわしい。

 手に取ってページをめくる。材料に豚肉が多用されているのはともかく、多くのレシピで野菜が使われていて、優和は顔をしかめた。

 しかし、タイトルは大変魅力的だ。何より、これならば自分に無理なく、かつ失敗なく作れると思えるものも載っていた。

「……あいつは何でも働きすぎなんだ」

 そう口の中で呟いて、その本を手にレジへ進み、車に戻って改めてレシピを読み込む。

 それからショッピングモールへ向かい、買い物かごにレシピで読んだ材料をどんどん入れて、かごをいっぱいにして会計を済ませ、優和は両手に重くてパンパンに詰め込まれたレジ袋を下げて帰宅した。

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