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異能の仕事で重要なのは、不審者や悪意を持つ人間を魂の色で見つける事だけではない。
魂が黒ずみ濁ったクライアントのケアも必要になる。
その為には、これまで溜め込んでいたものを、クライアントに心が落ち着くまで話させて、ひたすら聞き役に徹する事が求められる。
──今日の依頼内容は、ここのところ情緒不安定で言動がおかしくなった人の魂を確かめて、話を聞く事だけど……。
純和風の屋敷に呼び出され、和室で正座して相手の登場を待つ勇人としては、足が痺れて生まれたての小鹿にならないか心配でもある。
──絶対、長話になるよなあ……。
出来るなら足を崩して座りたい。しかし、依頼主への失礼にあたる。
──それにしても待たされてる。もう湯呑みのお茶も冷めきってるし、正座してるの少しきつくなってきた。
「──どうして勝手な事するのよ!私はどこもおかしくない!」
「ですが、お部屋の物を投げて荒らしたりなど……旦那様も奥様も案じておられますので……」
「──本当に私を思ってくれるのなら、そこは話し相手なんかよりも、もっと呼ぶべき人がいるでしょう?!」
和室の外から、ヒステリックな声が聞こえてきた。
──これは……手こずりそうな相手としか予想出来ない。
耳を澄ませていると、どうやら使用人らしき人が何とか連れて来ようと必死になっているようだ。怒り任せか、荒い足音も混ざって近づいてくる。
勇人は息を呑んで背筋を伸ばした。
「──」
──この人、優和さんと出逢ったパーティーで付け下げを着てた……茶会に誘って、あっけなく振られてた人だ。
「お待たせ致しました」
「私が求めても呼んでもいない者に礼儀を尽くすより、私の意を汲みなさいよ!」
「──ご依頼主様より派遣された者でございます、本日は何とぞよろしくお願い申し上げます」
足は痺れていたものの立ち上がりお辞儀をして、それからまず相手の魂を見ると、赤に紫が混ざっている。
ちなみに、この魂の目視には条件や制約に反動もある。
その事に関する注意は、幼い頃から母に繰り返し言われてきていた。
まず、異能を発動するにあたり、一回の持続時間は三時間を、一日に発動させる回数は三回までを限度とする。
勇人は今、対象の魂を見ているが、こうして目視するにも相手を三秒以上注視していなければ色は確認出来ない。
異能といえど、万能でも無限でもないのだ。能力には条件と代償が伴う。
……それにしても、彼女の色を見るに、到底まともな精神状態とは言えない。
──いつからこうなんだろう?あのパーティーの夜から?この色なら、相当周りも困らせられただろうに。こんなになるまで手を打たないなんて、体裁を気にしすぎじゃないかな。
令嬢も成人済みの大人ではある。そこを考慮すれば、多少荒れても気を取り直せると思われたのかもしれない。
しかし、こうした憤りや不安定な感情の起伏は、そっとしておくだけで解決するものではない。勇人は無事で済まない事も覚悟して背筋を伸ばした。
「依頼主ですって?どうせお父様が勝手に呼んだだけでしょう。時間も取られて、いい迷惑だわ」
「ご両親は心より案じておりましたので……」
とにかく話し相手でも愚痴のサンドバッグでも、この女性が落ち着くように努めなければならない。
どう会話の糸口を見つけようかと思い巡らせていると、女性の方が不快そうに言葉を繰り出してきた。
「……あら、嫌だ。あんた、パーティーで機織さんの腕に馴れ馴れしく触れてた子どもじゃないの」
──気づかれた。しかも印象最悪だ。
ここはひたすら平身低頭で宥めるしかない。
勇人は声を落として、控えめに受け答えた。
「機織様には、なぜ声をかけたか厳しく問い詰められました……僕のような身の程知らずには、当然の事です」
──これ、優和さんと同居生活してるって知られたら、二度と日の目を拝めない……。
今の彼女ならば、いっそ物理的にやりかねない。
そうでなくとも、優和に言い寄る女性達の競走が苛烈な事はパーティー会場で実際に見て知っているのだ。
ここは、優和を住む世界が違う天上人扱いするのが最善だろう。
「そう。──あんた、機織さんと見合わないステータスでしかないって分かったのなら、今後は出過ぎた行為をしない事ね」
たいそう高圧的な物言いだが、般若のごとき顔つきだったのは少しだけましになり、鼻白んだ居丈高な態度を見せるだけになってきている。
勇人は徹頭徹尾、女性の機嫌を損ねないように頭を低くした。
「はい、肝に銘じておきます。居合わせた皆様方にもご不快な思いをさせてしまいました事、誠に申し訳なく存じます」
まだ相手が未成年の少年という事もあり、しかもその少年が恭順な姿勢でいる事で、気に食わないながらも女性は態度を軟化させてきた。
「……その過ちを認める素直さは評価してあげるわ」
──良かった。これで依頼された仕事に着手出来そうだし。
「ありがとうございます」
恭しく、そして控えめに頭を垂れる。
「──座りなさいよ、私の相手をしに来たんでしょう」
「はい、失礼致します。心より感謝申し上げます」
また正座しないといけないのか、と思うと早くも足が悲鳴を上げそうなものの、相手に従う。
上座に座った女性は、ここぞとばかりに勇人へ不満の言葉を向け始めた。
「全く……私でさえ、茶会を断られたのに……そうよ、なのに飯舘の娘なんて機織さんと食事が出来たなんて。家の権力でわがままを通したんだわ。あんな卑怯者が許されるなんておかしいじゃない。しかも、さらに誘いをかけるだなんて……どこまで厚顔無恥なのよ?」
早口でまくし立てる声はマシンガンだ。
怒りの銃弾が自分を標的にしていない事だけは救いだろうと、勇人は相槌を打ちながら──三時間にわたって女性の一方的な話を聞き続けた。
女性はというと、格下相手に腹のうちをぶちまける事がストレス発散になったらしい。段々と魂の色も赤が薄れて、沈鬱な紫のみになった。
この紫ばかりは、彼女が自分で自分のご機嫌を取るように心がけなければならない。
「──お嬢様には、さぞ憤りも味わわれた事と存じます。次に機織様とお顔を合わせる際には、どうかお美しい笑顔でおられますよう、鬱屈したお心は残さずお話し下さい」
自浄作用を促す為にも、勇人は物柔らかに促して、それから女性の話を根気強く聞いた。
「私の家だって、代々受け継がれてきた茶道の家元なのよ。由緒正しい家柄なの。飯舘の娘なんて、所詮は成金で財力だけが取り柄のくせに、その財力を作った親の威を借りて……恥というものを知らないのかしら?大体、機織さんのプライベートなお時間を使わせておきながら、なぜ欲深い態度に出られるのよ?」
延々と続く妬みには耳が痛くなるくらいだったが、何とか魂ももう大丈夫だと見極められて仕事を終えられた。