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またある土曜日の夕方、勇人が宅配便で届いたものをキッチンで容器に移し替えていると、珍しく優和が来て話しかけた。
「──そろそろ飯食いに……それ、砂糖か?」
「はい。実家では、料理には洗双糖を、飲み物には和三盆糖を使っていたんです。なので買ってみました」
答えると、優和が勇人の作業を見ながら何かを思い出した顔になる。
「洗双糖は上白糖より、精製されてない分サトウキビのミネラルも多く含まれてるんだったか?」
「そうなんです。あと、和三盆糖は飲み物に使うとコクや深みが出て美味しくなるんです」
「男所帯で砂糖ひとつにも使い分けするって、健康と味覚への意識が高かったんだな。……一応言うが、良い意味でだぞ?」
「そこは伝わってますよ、大丈夫です。うちの場合、母がこだわりあって好んでいたんです。それで、父や僕も使うようになって。実際美味しいので、母が他界してからも続けてきて……」
「なるほど、母親が伝えた味か。思い出や思い入れもあるだろうし、それはやめられないな」
「そうなんです。優和さんにも、そういうものがあるんですか?」
「どうしてだ?」
「あっさり理解してくれたので、共感出来る事だったのかなと」
「まあ、……俺は祖母に懐いていたからな。人間なら生きてる内は食から離れようもないし、積み重ねもあって、思い出はいつの間にか出来てるもんだ」
「──今でなくても良いので、いつか優和さんのお祖母さんのお話も聞かせて欲しいです」
「ああ、良いよ。──約束する」
優和が表情をやわらげたかと思うと、いたずらな笑みに変わった。ついと手を上げて、勇人に右手の小指を差し出す。
「……指切り?」
「何しろ約束だからな」
──いや、この距離感おかしい。近い。
心の中で慌てるものの、差し出された指は応えなければ離れそうにない。
つまり、勇人を見つめる優和も離れない。
──指切りなんて、子どもの頃は何の気なしにしてきたし!
手のひらに汗が滲むのを感じながら、勇気を振り絞って小指を絡める。
すると、その指も離れないうちに優和が顔を近づけて勇人の耳もとに囁きかけてきた。
「──祖母がコーヒーを飲む時、必ず洗双糖を使ってた。俺もホットミルクで付き合ってたが、真似して洗双糖を入れたもんだ。どうしてなのか、魔法をかけたみたいに美味かったのが記憶にある」
「……それ、今話しちゃいますか……」
「不満か?」
「いえ、お話を聞けるのは嬉しいですけど……指切りの意味……」
「指切りしたから話しただけだ、約束したなら守らないとな?」
──これだから、こういう大人って油断ならない。
この場合、勇人にちょっかいを出す優和が特殊なのだが、そうした大人に慣れていない勇人としては、全てが初めてで未知の体験だ。
「──あの、せっかくなので!この砂糖でコーヒー飲みませんか?淹れますから!」
優和はいつもコーヒーミルで豆を挽いて、ドリップしている。
勇人自身は使い慣れていないが、やり方は見てきて覚えたので、そんな不味いものにはならないはずだ。
「コーヒーは基本的にブラックで飲むが……たまには悪くないな。俺が淹れてもいいんだぞ?」
「いえ、優和さんは座っていて下さい」
そう言って、半ば強引にリビングのソファーへと送り出す。
それから、少し苦戦しつつコーヒーミルを使い、湯を沸かしてネルでコーヒーをドリップした。
どうやら、そこそこ上手く出来たらしい。コーヒーの香ばしく甘さを感じる匂いが立って、キッチンに漂う。
ブラックに慣れている優和に合わせて、気持ち程度に和三盆糖を加えてから、そのカップを両手にリビングへ行った。
優和はソファーで文庫本を開いて読書していた。勇人が来たのを認めて本を閉じ、テーブルに置く。
「優和さん、普段どんな本を読むんですか?」
「俺か?古典文学や哲学書が多いな」
「そうなんですね」
──難しそうな本読むなあ、僕がまねしたら余計に疲れそうだ。
「とりあえずひと息つきましょう」
「ああ、ありがとう」
ソファーに並んで座り、湯気の立つコーヒーを口に含む。豆が良いのか、素人の勇人が淹れたコーヒーだったが、香りと風味の良さは喫茶店のものみたいだった。
「何だか、こういう時間の過ごし方も贅沢な感じで良いですね。特に何かを考えるでもなく」
──これまでの僕なら、時間を無為に過ごすなんて出来なかった。限られた時間を惜しんで。
その思考を読んだわけではないだろうが、優和がカップを片手に持って僅かに揺らし、香りを楽しむようにしながら持論を展開した。
「休日ってのは、睡眠でも食事でも趣味でも何でも、とにかく心と体が癒されるなり満たされるなりすれば、それで十分に充実した一日だったって満足して良いんだ。休む事に罪悪感なんて必要ない」
「仕事人の優和さんから聞くと意外です」
「普段忙しいからこそ、休める時はとことん休むんだよ」
「なるほど……」
「勇人、お前もせっかくの休日だろ。今日は必要な勉強以外は休む時間にあてろよ」
「はい、そうしたいと思います。せっかくの仕事も入ってない休日ですし」
──そういえば。学校と優和さんのお仕事、この二つの休日が被った日は、どうしてか絶対に異能の仕事依頼が来なくなった。
そうなったのは、もちろん優和が裏でそうさせているからだが、それを打ち明ける優和ではない。
「──だから、頑張って炊事とかにも励むなよ?飯なら出前でも外食でも何とかなる」
「それは……優和さん、毎月の食費の重さとか考えてみた事は……」
「時は金なり、だ。言ったろ、休める時に休めって」
どうやら優和は勇人にのんびり過ごさせたいらしい。譲る気配は全くない。
──こんなに甘えてて、良いのかな。
それは、勇人が疑問を抱く程の甘やかしだった。
着実に、優和の勇人への意識は変わりつつあった。それを自認出来ない優和ではないだろうに、堂々として。
──優和さん、いつも僕と過ごしてるけど……恋人とかいないのかな。……いたら、こんな時間もないか。
そう考える勇人の気持ちにもまた、何かが萌芽している。