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第22話 愛情が枯渇したら人は

「真奈美だよー、幼稚園の時にいつも遊んでたじゃん」

 そう名乗られて、ようやく勇人も昔の思い出がよみがえった。だけど、あの頃とはあまりにも印象が変わっていた。

「あの……真奈美ちゃんは見た目変わったね」

「高一から地下アイドルしてるもん、磨かなきゃ売れないままでしょ?」

「アイドル?すごいね」

 勇人は気になる事を胸に抱えながらも感嘆してみせた。

 しかし、続けられた言葉はろくなものではない。

「お仕事は水着で色々やってみるのばっかりだけどねー、この間の水着なんて下乳出てたから、ハグ会の時にファンの人皆下乳の話しかしないの」

「えっ……それってアイドルの仕事なの?」

「お仕事は何でももらわないと、地下アイドルなんて赤字続きだよ?──あ、これからディレクターさんのお家に行かなきゃいけないんだった」

「……女の子一人で行くの?」

「男も女も何人かずつ集まるから安全だよー、それに現金払いで遊んでもらうパーティーだもん。──またね、元気でね」

 その説明が意味する事を、理解したくなくとも言葉の伝えてくる事実は残酷だ。

 何よりの証拠に、若い女性には魅力的な大人に見えているはずの優和を前にしても、食いつくどころか見向きもしない。

「うん、……真奈美ちゃんも」

 何とか声を振り絞ると、彼女は不自然な笑顔を浮かべて、厚底のヒールを鳴らしながら足早に立ち去ってしまった。

 残されたのは、どうにも後味が悪くて気まずい感じになった勇人と優和だ。

 変わり果てた幼なじみの話題は口に出来ずにいると、優和から訊ねてきた。

「……彼女とは古い付き合いなのか?」

「はい、幼稚園の頃に一番仲が良かった子なんです」

「もしかして初恋とかか?」

 優和なら、からかいがちに言いそうな言葉なのに、どことなく声のトーンが低い。

 あんな話を隣で聞けば、それも致し方ないと解釈して答えた。

「いえ、いつも黄緑色の魂で明るくて可愛かったですけど、それだけです。──あ、でも初めてのキスは奪われました」

「……ませた子どもだったんだな」

「一緒に砂場で遊んでたら、いきなりチュってされて。固まってたら彼女はにこにこ笑ってて。何だか面映ゆいような甘酸っぱい思い出ですね」

「……待てよ、やっぱり幼稚園児のキスなんてノーカンだろ」

 なぜ優和がいきなり否定に回ったのか謎だが、思い出そのものは今がどうであれ、汚れることなんてない。むしろ、彼女の為にも心の宝箱にしまって、ずっと憶えているべきに思える。

「いえ、可愛かったのでカウントに入れてます」

 勇人としては軽口を叩いたつもりなのに、声は沈んでいて笑えなかった。

「──それで?見たところ彼女は、明るそうでも業界に闇堕ちしてるようだが。魂は変わらず黄緑色なのか?」

 それこそが、久しぶりの邂逅でも素直に懐かしめなかった原因だった。

「……浅葱色に灰色を混ぜたような色でした」

 ──大人の後ろ暗い遊びに混ざって、黒くて暗い部分に染まったら……後はどうなるんだろう?

 彼女の魂の色が意味するのは、純真無垢ではいられなくなった、世俗の闇で生きる為の偽りの明るさだ。

 沈鬱な心持ちになり、言葉をなくした勇人に、優和が淡々と語った。

「……彼女には、今こそ彼女を純粋に愛する誰かが必要なんだろうな。他者から無償の愛情を注がれないと、子どもは自分を愛する方法も気持ちも上手く育てられない。人間は愛されている実感で愛する事を覚える」

 それなら、勇人にも分かるような気がする。

 今の真奈美には望めないものになっている事も。

「彼女も幼い内は愛されていたはずだろう。──でもな、愛されない世界に馴染めば変わる。自分を見失って、自分自身をどうすれば大事に出来るかも分からなくなっていく」

 ──優和さんが言うのは、残酷な現実だ。

 勇人は幸いにも恵まれている。仕事で薄汚れた魂を見ていても、そんな自分を労わってくれる存在があって、心は守られているから。

「……真奈美ちゃんは、ファンの人にすら心を癒してもらえてないんでしょうか……」

 それは、彼女が話した内容から伝わってきていた。地下アイドルという立場は、彼女に純朴な愛情を与えていない。あるのは欲求だ。

「癒しや愛情のインプットは常に大事なんだ。──家族でもペットでもゲームや読書でも良い、常に『慕われる感覚』をインプットしていないと、人間はすり減っていくばっかりなんだよ」

 優和からの言葉には重みがある。

「……そうですね……」

 ──いつか、次に会えた時。彼女が違う生き方を選んでくれていたら。

 そう願う心は、幼かった頃の思い出よりも淡く、そして切なさを帯びていた。

「……今の僕には……すり減らさずに済む環境があるから、なおさら真奈美ちゃんが痛々しく見えてしまうんでしょうね。こんなの、傲慢だとも思うんですけど……」

 ──優和さんに守られて……見守ってもらえて暮らせている僕には、彼女の日常が自分のそれと違いすぎるんだ。

 愛かどうか分からない。けれど、優和は勇人の心に何か温かいものをインプットしてくれている。

 それを、実感していた。


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