体育館はすでに演劇部が稽古を始めていた。
心配だったが、刀は違うものを用意しているようだった。模造品とはいえ、村正をずっと持っていたので、その気配で違いがわかるようになった。
体育館の隅に座って稽古を見ていると、頭の中に声が響いた。
[彦真]
この声は彦齋さんだった。無銘を鞘から抜き、精神世界に入る。
「彦齋さん、何かようですか?」
僕は少し緊張しながら声をかけた。
「いや、村正についてだ」
彦齋の声はどこか重く、彼の表情は真剣そのものだった。
「何か分かったんですか?」
僕は期待を込めて問いかける。
「村正が求めるものがなんなのか、考えてみた」
彼は遠くを見つめるように言った。
「村正は何を求めているのでしょうか?」
僕は胸の中に湧き上がる疑問を隠せずにいた。
「呪いとして長年扱われると言うのは、案外と疲れるのかもしれない」
彦齋は小さくため息をついた。
「疲れる?」
僕は首をかしげた。
「ああ、人から忌み嫌われると言うのは辛いものだからな」
その言葉にはどこか哀しみが滲んでいた。
「それが村正が求めるものと言うことでしょうか?」
僕はまだ理解できずにいる。
「分からん、ただ拙者は生きていた時は人斬りを生業にしていたが、人から恐怖され殺し続けると言うのは大分心に来るものがある」
彼の目には、かつての苦悩が映っていた。
「でも、彦齋さんが生きていた時代はしょうがなかったのでは?それに彦齋さんにしか出来ないこともあったはずだと思うのですが」
僕は彼を励ますように言った。
「維新のため。世を変えるためと思っていても現代の人間からすると理解出来ないものだったはずだ」
彦齋はぽつりと呟く。
「後悔しているんですか?」
僕はその言葉を飲み込み、静かに尋ねた。
「分からぬ。どうも、処刑され、あの世と言う場所に行ってから長い年月が経ち、どうしても考えてしまうのだ」
彼の声は弱々しくも、どこか切なさを含んでいた。
「拙者に斬られなければ、幸せを享受できた者もおるだろう」
彼は目を伏せ、過去の罪を背負うように言った。
「僕も犠牲はない方がいいと思うけど、時代を変えると言うことはそんな簡単なことではないのでは?」
僕は正直な気持ちを伝えた。
「そうだな、でもお主も人に嫌われるのは嫌だろう?」
彦齋はじっと僕を見つめる。
「そりゃ、出来れば好かれる人生がいいですけど」
僕は笑って答えた。
「そうだろう、まあ全員に好かれることは出来ないけどどちらが良いと言えば明白だ」
彼は苦笑した。
「結局、村正は何を求めているんですか?」
僕は問いを重ねる。
「それはお主が探さないといけないな」
彼は僕に答えを委ねた。
「僕が?」
戸惑いが隠せなかった。
「ああ、それがいい」
彦齋の声には期待が込められていた。
どういう事なんだ?と考えていると、時間切れのようだった。
「頼むぞ」
彼は静かに言った。
「なにをですか?」
僕は問い返す。
「村正を終わらせてやれ」
彦齋の言葉に胸がざわついた。
「終わらせる?」
僕はまだ意味が掴めずにいた。
「まあ時期に分かる」
彼はそう言って去っていった。
そこで精神世界から出た。村正が求める物とは何なのだろうか?
彦齋さんがああ言うということは、俺自身で考えるしかないのだろう。
ヒントはくれたけど俺が考えろとはどういう意味なのだろうか?
呪いを使い続けることが疲れる?村正は人の名前であると言うことは知ってはいるけど、その人が俺に話しかけたのだろうか?それとも村正の刀が意思をもっているのだろうか?そんな疑問が出て止まらない。
村正が求めるものを差し出す、それとも与えることが出来なければこの事件の本当の意味での終息はない気がしてきた。
そこで俺は一つの仮説を思いついた、でもそれは村正が使われてきた用途や今までの事件からすると、とてもかけ離れたものだったので後で龍馬さん辺りに聞いてみることにして、今は演劇部の稽古を見る事にした。
稽古はとても迫力があり、面白かった。時代劇と言うこともあり殺陣も高校生が演じているとは思えないくらい迫真の演技だった。
「じゃあ、そろそろ帰る準備してねー」
「はい」
神谷先生の一言で演劇部の面々は、帰る準備を始めた。
俺も帰ろうかと立ち上がった瞬間、電話が鳴った。相手は龍馬さんだった。
『神崎君!!』
『どうしたんですか?』
『相田がそっちに行った』
『え?』
『こっちは新維新志士で手一杯だから君が何とかしてくれ』
『えー』
『任せたよ』
電話を切って、体育館の入り口を見ると途轍もないオーラを感じた。
「来たのか?」
入って来たのは、この学校の制服を着た女子生徒だった。
制服は汚れていて、でも足元はしっかりとしていて歩いている、それを止めようと演劇部の人の前に立ってまだ鞘に収めている無銘を持ち前に立つ。
「聖ちゃん?!」
「え?相田さん?」
皆、一斉に相田さんの方に注目して相田さんに近づこうとした。
「全員その場から動くな!!」
「え?誰?」
皆、そんな感じだった。
俺は無銘を鞘から出した。
「刀?ちょっと神崎君何しているの?!」
「見たらわかるでしょう、相田さんは今おかしくなってる」
「おかしいのはお前だ!!聖ちゃんどこ行っていたの?」
田宮が近づいて相田さんの肩を触った瞬間、相田さんが村正で斬り付けた。
「え?」
「きゃー!!」
田宮から血が噴き出た。
「まずい」
俺は相田さんに向かって無銘をぶつけた。
「相田さん!!やめるんだ」
「うるさい、私は倉上を!!」
駄目だ完全に村正に乗っ取られている。
「倉上君!!早く逃げろ」
「え?俺?」
「いいから、君が狙われている!!」
頭を抱えながら倉上は逃げて行った。
それを追うように俺に向けられた刀を下げて、倉上の方へと走った。
相田さんは乗っ取られていて、その身体能力は追いつくのがやっとと言う感じだった。
「うわー!」
倉上が頭を抱えてうずくまっている所に相田さんは、村正で斬りつけた。が俺がギリギリの所で斬り筋を変えて倉上は腕を斬られただけだったが、酷く悲鳴を挙げていた。
「それが、本番で発揮できるといいな」
「は?!」
「お前はもう逃げろ!!」
「言われなくても!!」
倉上は誰よりも先に走って出ていった。
「倉上!!」
「もういいだろ、これで明日は倉上は本番に出られない」
「うるさい、私はもっと、うう。私は許せない!!」
「その気持ちは分かるけど、殺したら駄目だ」
「うるさい!!うるさい!!」
駄目だ完全に目がおかしい。なんとかしたいけど、同じ学校の人間を先生や演劇部の前で、斬りつける訳にはいかない。どうしたら。
[彦真]
[ちょっと今、手が離せないんですけど]
[刀を鞘に納めろ]
[どういう事ですか?]
[いいから]
[分かりました]
「相田さんごめん」
俺は相田さんを蹴りつけて距離を取り、すぐ後ろにあった鞘で刀を納めた。
「何の真似だ」
今、相田さんだが声の主は男の声だった。でも誰か直ぐに分かった。この声は一度聞いたことがあった。
「村正!!」
「またお前か、よく会うな」
「相田さんから離れろ」
「この娘が刀を握っている内は無理だな」
「そうか、じゃあ」
俺は相田さんに向かって刀を振るが村正で止められる。今の俺の実力では無理か。
どうすれば。
[彦真、あの技を使え]
[あれか、でもまだ完全には]
[大丈夫だお前ならそれに拙者を使っている時は身体能力も上がっている]
[分かった]
俺は精一杯のジャンプで無銘を挙げて振り下ろした。
それは相田さんの頭に直撃した。
これは以前の稽古で取得した天翔閃刃と言う、空中から急降下し、斬り下ろす飛翔剣技。
「う…」
相田さんはそのまま倒れた。
「見事だ」
「こいつまだ」
「もういい、このまま刀を離せば治まるだろう」
「分かったよ」
刀を離そうとした時だった。
「お前はこの騒ぎをどう収める気だ」
「最初はお前を全て封印するか破壊するつもりだっただが、今はお前を止めたい」
「ふ、まあいい。お前の名前は?」
「神崎彦真だ」
「覚えておこう」
答えに鼻で笑われたのは癪に障るがまあいい。現時点での俺の答えは決まっていたのでそれを伝えられた。
「相田さん?」
「え?」
相田さんは気を失いそうになりながら応えた。
「大丈夫?」
「はい」
「もう大丈夫、無理しないで寝ていていいよ」
「すいませ…」
そのまま寝てしまった。まあ無理もない村正の呪いに、三日間も当てられてこうして無事とは行かなくても此処にいる。
「神崎君」
「坂本さん」
「大丈夫?」
「はい、何とか」
「そっか」
「相田さん!!」
「聖ちゃん!!」
演劇部のメンバーがこちらに来た。
「もう大丈夫ですよ」
「大丈夫じゃないでしょ!!どういう事?」
「神崎君、相田さんをそのまま外へ」
「いや、でも」
「大丈夫、外に救急車も来ているから。それから先生達には僕が説明するよ」
「分かりました」
俺は相田さんを抱えて外に出た。先生達も職員室から来ていて騒ぎになっていた。
「神崎君、大丈夫だった?」
「沖田さん、新維新志士は?」
「もう警察に届けた」
「そうですか」
「じゃあ僕らはこっちで騒ぎを何とかするから。まあでも何とかするのは坂本さんと隼人さんだから」
「あはは、そうですか」
「お怪我は?」
救急隊員の人が声をかけて近づいてきた。
「この人です」
「変わります」
「お願いします」
「君も怪我しているみたいだから乗って」
「え?」
「ほら、腕」
腕を見たら腕から血が出ていた。
「早く」
「分かりました」
救急車に乗り、病院に向かった。途中で相田さんについて聞かれたけど名前をくらいしか知らなかったのでそれ以外の質問は殆ど答えられなかった。
救急隊員の見立てだと、三日間寝ていないようだった。
それ以外には外傷は切り傷程度で、そのまま病院に運ばれていった。
そのまま、相田さんは医者に任せて俺は、傷を治療してもらい相田さんご両親が来てその後は医者の先生に任せて俺は病院のロビーでジュースを飲んで休んでいた。
「神崎君?」
「はい?」
振り返ると龍馬さんがいた。
「隣、良いかい?」
「はい」
「最後の技、凄かったね」
「はい、彦齋さんの技を借りました」
「最近武蔵が痣を作ってくるなって思ったけど、神崎君に付き合っていたのか」
「分かっていたんですか?」
「まあ薄々ね、それでなんて技なの?」
「天翔閃刃って言って、上段から落ちる雷のような速さで相手を叩き斬る技です」
「そっか、相田さんを傷つけない為に鞘で納めた状態でやったんだね」
「はい、一人ならまだしも演劇部や先生の前で斬りつける訳にはいかなかったですし」
「そうだね」
「甘いですかね」
「いや、正しい判断だよ。よく考えたね」
「彦齋さんが助言してくれたんです」
「なるほど」
「武蔵さんがいたら甘いって怒られそうですね」
「そうでもないよ、彼は意外とそう言う気遣いはできる男だから」
「そうなんですか?」
「うん」
武蔵さんの事は名前で呼べるようになったし、強くなりたいって悩んでいた時に、ふと「稽古をつけてやる」と言ってもらいそれで偉人の技を借りて戦うやり方も教えてもらったがまだまだ厳しい人だって思っていたから意外だった。
「武蔵はそう怖い人じゃないから、そんなに怖い人って認識じゃなくてもいいよ」
「そうですか」
「うん、じゃあ前にとある出来事について話してあげるよ」
「前にあったこと?」
「うん、テーマパークで仕事があった日に子供がね、アイスを持って走っている所に武蔵とぶつかってアイスが服に付いてしまったんだ。でも笑顔で子供の心配して、新しくアイスを買ってあげたんだ」
「そんなことがあったんですね」
武蔵さんなら子供に怒鳴りつけそうだけど、俺が見ていたのは武蔵さんのほんの少しの部分だけだったのかもしれない。
「それで、学校はどうでしたか?」
「それは、隼人がなんとかしていると思う、あいつ、こう言うの得意だから」
「そうですか」
「うん、それ以外も心配いらないよ」
「相田さんは?」
「さっき僕と修二さんで病室に行った時に、意識が戻って少しだけ話を聞けたよ」
「どうでしたか?」
「記憶は断片的にしか残ってなかったみたい、自分がいたのは廃墟みたいな所だったらしいんだ」
「やっぱり、新維新志士のアジトですかね」
「そうだろうね、まあ今はもう使ってないだろうけど少しでも多くの情報が欲しいから、記憶も断片的だけど相田さんには退院したら道案内してもらう予定だよ」
「そうですか、じゃあ背後には新維新志士が関わっていたんですね」
「そうだね、僕らを妨害してきたし」
「それはどうなったんですか?」
「学校の周辺を見張っていたんだけどそしたら、相田さんが正門から入って来るのが確認したから全員でそっちに向かって正門についた瞬間、新維新志士達が邪魔をしてきたんだ」
「そうなんですか」
「まあ、全員圧倒したけどもう相田さんは、体育館に入ってしまった後だったから急いで神崎君に電話したんだ」
「そうだったんですか」
「うん、それでね、君に伝えないといけないことがあるんだ」
僕が返事を待つと、彼は続けた。
「この騒動の前に皇居で、神崎君、聞いてなかったことだよ」
「ああ、それですか。それで、なんだったんですか?」
「実はね、本物の村正は新維新志士が持っていることが分かったんだ」
「本物が?」
思わず僕は目を見開いた。
「うん、情報が入ってね。それともう一つ、君は村正の呪いが効かないんだ」
「え?効かないって、どういうことですか?」
「呪いは君がどうなるか判別したかったんだ。実は武蔵が、君が触れる前に触って、村正の呪いに抗えなかったんだよ」
「じゃあ、僕はどうして?」
「分からない。でも君は特別なんだ。君の『人を守りたい』という強い意思と、偉人である川上彦齋が人斬りとしての力が強くて、村正の意思すら断ち切ったからだと思う」
「彦齋さんが?」
「そう。そして、君に話さないといけないことはまだあるんだ」
「まだ?」
「かつて村正を使っていたレガシーホルダーがいた。でも突然、人を斬り殺して消えてしまった。そいつが使う前に、武蔵が一度『呪いなんて馬鹿馬鹿しい』と言って使ったことがある」
武蔵さんの大胆さに、僕は思わず感心した。
「それで、消えた人は?」
「新維新志士として活動していることが確認されている」
「そんな……なんで?」
「やはり、村正の呪いに抗えなかったのだろう」
「じゃあ、そいつから刀を奪えば?」
「でも、村正の呪いは置いてあるだけでも効力を発揮してしまう」
「じゃあどうすれば?」
「最終手段は君だ」
「え?」
「君は村正の呪いに抗える。だから回収して、君が使うことが出来れば――」
「待ってください。いくら抗えると言っても、本物は触ったことがないし……」
「大丈夫だと思うよ」
「そんな簡単に」
「ただ、懸念点はまだある」
「なんですか?」
「レガシーホルダーは基本的に偉人の力を一つしか使えない。だから、君が村正を使うとどうなるか分からないんだ」
そうか。二つも三つも偉人の力を使えたら、もっと大変なことになっているはずだ。それに、新維新志士と均衡を保っていられるのも、その理由だったのか。
「そして、これが一番重要だ」
「なんですか?」
「新維新志士に潜入している、こっち側の人間がどうやら潜入がバレてしまったらしく、連絡が途絶えた」
「それじゃあ今は?」
「こっちが持っているレガシーホルダーの情報と引き換えに、その人間の交換を条件に解放すると連絡があった」
「じゃあ、今すぐにでも」
「でも、そう簡単ではない」
「どうして?」
「上の連中が条件は飲まないと言っている」
「でも、見殺しにはできません」
「それは僕も同じ意見だ。だから僕も上と話して、全員の情報じゃなくて半分の情報を渡すことで手を打った」
「その人たちの安全は?」
「大丈夫。全員、今は安全な場所にいるし、交渉の場には新維新志士の幹部も来るだろう。だから、その場にいる幹部を捕まえればいいだけの話だ」
「それなら話は早いですね」
「でも、妙なのは場所が渋谷のスクランブル交差点ということだ」
「どこが変なんですか?」
「わざわざ人が犇めく渋谷で、逃げ場もないスクランブル交差点に幹部が来るとは思えない」
「確かに」
「それに人が多すぎる場所だ。だから何か起きるかもしれない」
「何が起こるのでしょうか?」
「分からない。でも、まだ交渉の時間まで時間がある。今回は神崎君も多くの危険が伴う。だから、今以上に力をつけて欲しいんだ」
「分かりました」
もう、無銘を持った時から覚悟は決めている。もう相田さんの時みたいに迷わない。