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第1話 引き金

 私、坂木さかき優はその日、新学期の朝礼で講堂にいた。クラス分けで見事に友人と離れてしまい、ちょっと憂鬱。もう受験が迫っていて、進路によってクラスが決まるから仕方がないけどさ。


ちらりと視線を移すと、他のクラスに並ぶ友人が隣りの子とコソコソ笑い合っている。


(もう、友達できたんだ……)


朝礼の前に教室へ一旦集まっていたから、おかしな話ではない。それに、元々友達だった可能性もあるのだし。帰りに一緒だったのを見た気もする。


ふぅ、と溜息を吐いて視線を戻すと、長い校長先生の話が終わりを告げていた。校長先生の話は長いと相場は決まっているけど、うちの校長は軍を抜いていると思う。今日は始業式で午前中だけなのに、腕時計を見るともう11時を回っていた。このままじゃお昼になっちゃうよ。他の先生達も同じ考えのようで、安心したように顔が緩んでいる。舞台から降りかけたのに戻ろうとする校長を制して、それぞれの学年主任先導の元、黒い制服の群れは移動を開始した。


教室につくと、みんなが自分の席へと向かう。私も着席して、人心地付いた。机を見れば、所々に落書きが彫られている。小さく笑みが零れ、少しだけ踏ん切りがつく。せっかく新しいクラスなんだし、新生活を楽しもう。


このクラスは専門学校を目指す生徒が集められている。それだけに個性が際立っていて面白いんだよね。最近は専門学校の種類も増えているし、ハードルも緩やかになってきている。一昔前はイラストレータ―になるって言うと笑われていたって、お母さんが言っていた。漫画特化の高校ができたって話も聞いた事がある。


昨日、丁度そのニュースを観てお母さんがぼやいていた。


「あんた達はいいわね。夢を追える場所が近くにあって。あーあ、私も今の時代に生まれたかったわ~」


 そんな風に言うから、私は今からでも始めたらって、なんの悪気もなく口に出したんだ。それなのに、お母さんはヒステリックに『あんたの学費だけで手いっぱいよ!』なんて……。つい私も言い返して喧嘩になってしまった。今朝もお母さんの機嫌はなおっていなくて、気まずいまま家を出た。


 はぁ、と思い溜息が零れる。


 いかんいかん。また気が滅入ってきた。溜息の数だけ不幸になるっていうし、前向きにいかなきゃ人生損しちゃう。


私が目指すのは、幼い頃からずっと料理人。今もバイトをしているレストランで、店長のお誘いも受けている。家族とよく行く個人経営のお店で、初めて食べたオムライスに感動して以来、そこで働くのが目標になっていた。そして最終的には調理師免許を取って、自分の店を持つのが夢だ。暖簾分けも考えてくれるって店長が言っていたから、期待を裏切らないように頑張らないと。


受験は大変だろうけど、同じ目標を持つ人達だもの。きっと仲良くなれるはず。友達になれたら、一緒に勉強するのもいいな。浪人なんて御免だし、親に負担をかけたくない。


先生の声を聴きながら、志を新たにする。ここがその一歩目だ。


難関はまだまだ控えている。模擬試験に、中間、期末テスト。面接にも備えなきゃだし、実技試験用のメニューも考えないと。一年なんてあっという間、くよくよしたって始まらないもんね。


先生の話が終わって号令がかかり、私は気合を入れ直す。


礼の挨拶と共に、さあ帰ろうと鞄を手にした、その時だった。ひとりの女の子が声をかけてきたのは。


そして今。


私は数人の女の子達と、カラオケ屋がある商店街へ向かっていた。今まで違うクラスで顔だけ知っていた子や、中学校で一緒だった子もいる。前に2人、後ろに2人。私を含め、全部で4人が並んで歩いている。偶数だからちょうどいいバランスで、懐かしい話をしたり、知らない事を聞いたり、楽しく話していた。


表向きは。


「ね、優ちゃんはどんな曲が好き?」


そう言って問いかけてきたのは、ストレートの黒髪が綺麗な柏木由紀ちゃん。ついさっき、HRの終わりに声をかけてきた子だ。学校では可愛いと評判で、その噂は私の耳にも届いていた。


話している内に、現実にこんな子がいるんだと驚いていると、あれよあれよという間にこの状況。由紀ちゃん以外の2人はHRが終わってから合流した。


 ベリーショートと、日に焼けた肌がいかにも運動部といった風情の子は、松田麻美ちゃん。陸上部で、県大会にも出場した実力者だ。朝礼で登壇していたから、私も知っている。


 もうひとりは安澤あざわ絵里ちゃん。赤い縁の眼鏡をかけたボブカットで、正に委員長って感じの子。この子は中学校が同じだったけど、クラスは別で今まで接点が無かった。


 2人は由紀ちゃんとは違って、少し冷たい気がしたけど、どちらかと言うと由紀ちゃんが人懐っこいんだと思う。私に話題を振るのは、決まって由紀ちゃんだ。少し引っ掛かりは感じるけど、事を荒立てても亀裂を生むだけだし、気付かないフリをして答える。


「私? 私はAmberアンバーっていうバンドが好きなんだ。知ってる?」


 Amberは若手のバンドで、まだあまり知名度はない。私もたまたま流れてきた動画で知って、それ以来ファンになった。多分知らないだろうなと思って言ってみたけど、何故か麻美ちゃんが割って入り答える。


「何それ。聞いたことないな。絵里、知ってる?」


 絵里ちゃんは、肩を竦めて麻美ちゃんに賛同した。


「私も知らない。なに、アニメの歌手とか?」


 どこか悪意を感じながらも、私は笑う。


「違うよ。最近デビューしたバンドなんだ。声が綺麗で、曲もいいの。聴いてみる?」


 そう言って鞄からスマホを出そうとすると、2人は薄く笑って遮った。


「え~、興味無いからいい。それより由紀、進路票出した?」


 それっきり私を見ようとしない2人に、由紀ちゃんは苦笑いで応えていた。そしてまた視線を戻し、私を気遣ってくれる。


「ごめんね、優ちゃん。2人とも悪気はないの。ちょっと人見知りって言うか……私は聴いてみたいな。そのAmberの曲。動画あるんだよね。観せてくれる?」


 由紀ちゃんはきっと、人を放っておけない子なんだろうな。麻美ちゃんも、絵里ちゃんも、あんまり人付き合い上手くなさそうだし。チラリと2人を見ると、コソコソと何か囁きあっていた。


 しばらくすれば仲良くなれる。私は楽観しつつ由紀ちゃんとの会話に戻った。3年生は受験があるから、深い付き合いにはならないだろうけど、できるだけ穏便に暮らしたいものだ。


 新しい生活に想いを馳せて、友人達と笑い合う穏やかな日常。


 そんな他愛ない時間にも、理不尽な暴力は突如として襲い掛かってくる。


 にわかに背後が騒々しくなり振り返ると、慌てた様子で何人かがこちらに駆けてきた。口々に『逃げろ』『警察呼べ』と叫んでいる。訳も分からず狼狽うろたえる私達は、押し寄せる人波に揉まれ、いつの間にか先頭に出てしまっていた。


 そこに飛び込んできたのは、一台の軽自動車。尋常じゃないスピードでこちらに向かってくる。


(ここって、車は乗り入れ禁止のはずじゃ……)


 状況が呑み込めず、立ち尽くす私の手を由紀ちゃんが引っ張った。


「優ちゃん! 逃げよ!」


 見れば、麻美ちゃんと絵里ちゃんは既に走り出している。それに続いて、私達も駆けだした。


 響き渡る悲鳴。逃げ惑う人々。地獄絵図と化した書店街で、暴走車はスピードを緩めるどころか、更に勢いを増して私達に向かってくる。もちろん逃げようと必死に走ったけど、由紀ちゃんが転んでしまって、助けようと引き返し手を伸ばした、その瞬間。おそらく狙ったのだろう。上向きに切り替えられた眩しいヘッドライトに目を焼かれ、視界が一気に白く染まる。たまらずうずくまった私の耳に、横をすり抜ける小さな足音がやけに大きく響いた。


「え、嘘……待って……由紀ちゃん!?」


 私は助けようとした子に見捨てられた事を、瞬時に悟った。さっきは手を引いてくれたのに、いざとなればこんなにも非情になれるのか。


 そして迫り来る金切り音。視界を取り戻してきた、その目前に車体は肉薄していた。


 近頃よく聞く巻き込み自殺だと気づく間もなく、私の体は跳ね飛ばされ、視界が赤く染まっていく。よく走馬灯を見る時は行くりと感じるって聞くけど、本当にそんな感じ。空が見えたかと思うと、そこに両親や兄弟の笑顔が輝いた。


 ――お母さんとは昨日喧嘩してしまったのに、ごめんも言えないの?


 ――お父さんと最後に話したのはいつだったっけ。


 ――弟の和也には、勉強を教えるって約束してた。


 浮かんでは消える面影に手を伸ばすけど、届くはずもなく、次の瞬間には地面に叩きつけられ、全身が軋みを上げる。その勢いのまま電柱にぶつかると、ごぼりと血を吐いた。


 虚ろな目で最後に見たのは、雑貨屋の窓を突き破り、テールランプが点滅する車の残骸と、そこに群がる野次馬の群れ。


 血と一緒に体温が失われていくのを感じながら、友人達の声を耳が拾う。


「由紀ちゃん、大丈夫!?」

「怪我はない!?」


 血まみれで倒れる私が見えないのか、2人は由紀ちゃんの元へ駆け寄った。


「うん、大丈夫。2人共、怪我はないみたいだね。よかった……」


 その言葉は、徐々に力を失っていく心臓に重く響く。優しいと思っていた由紀ちゃんは、助けようとした私を完全に無視していた。


(そういえば……あの子達、1年の頃から……仲、よかったって……)


 遠くに救急車のサイレンが響く。


 そこに、私はもう存在しなかった。


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