話し終わって、殿下は何か考え込んでいるようだった。エノハ様も、眉をひそめて唸っている。
「その、ユキとかいう少女は赦しがたいですね。確かに女性には、他人より上に立とうとする者は少なくありません。幼少の頃のお茶会は、それは酷いものでしたから。騎士団に入ってからも、令嬢達に何度泣かされたか……」
昔のことを思い出したのか、エノハ様の目が死んでいた。しかし小さく頭を振ると、ひたと私を見つめ、労わるように声をかけてくださる。
「そのような目に遭いながら、更に女性から男性へ転生とは、辛かったでしょう……逆の場合、喜ぶ輩も多いですが、女性は繊細ですから。それに、まだお若かったとなれば、アレは大層気持ちの悪いものですしね……」
さすがエノハ様、よく分かって下さっている。私は小さく頷き、変人と呼ばれるに至った経緯を語った。
「はい……自分で体を洗うこともできず、メイド達には大変助けてもらいました。実家の自室ではドレスに身を包んで、その時間だけが、自分でいられるように感じていたのです。でも、騎士団に入ってからは、毎日息が詰まるようで……そんな中、殿下やエノハ様に出会えたことは、私にとってこの上ない喜びでした」
お2人に出会ってから、私は笑顔を取り戻せた。ガインに立ち向かう勇気も、逃亡に身を投じようと、芯を持って立っていられる。
なのに。
「……でした? 何故過去形なんだ。今は違うのか?」
殿下は頬を膨らませ、口を尖らせた。
「い、いえ、過去形なのは当時がそうだったということで、もちろん今も幸せです。こうしてお供できていることも、料理を美味しいと言ってくださることも、私にはもったいないくらい」
そう言ってみても、殿下の機嫌は治らない。何が気に障ったのか、エノハ様に視線で尋ねてみるも、肩をすくめるだけだった。オロオロとする私に、エノハ様は溜息を吐いて、殿下に進言する。
「殿下、その態度は逆効果です。ちゃんと仰いなさい。ファルスが女性で良かったと」
え?
女性で、良かった?
それはどういう意味かと殿下に視線を移すと、頬を染めそっぽを向いている。そんな殿下に、エノハ様の鉄拳が落ちた。
「え!? エノハ様!?」
いくら気の置けない仲とはいえ、臣下が王族を殴るなんてあってはならない。だけど当の本人は涼しい顔、殿下も文句を言いつつ受け入れていた。
「エノハ、お前な! 物には順序ってものがあるだろう!? 今言っても、ぬか喜びさせるだけだ。確信が持てるまでは言えない」
確信?
なんの話をしているんだろう。多分、仲間はずれとか、そういうんじゃない。殿下がそう言うなら、まだ時期じゃないんだろう。それは、この数日間で理解できている。
(でも、なんだか言い方が……)
『女性で良かった』なんて聞いたら、いやでも期待してしまう。小さく鳴る胸が苦しい。いくら前世が女でも、今は男だから、そんな未来なんてあるはずもないのに。
「そ、そういえば、今回の計画は三つ巴を崩すことでしたよね。王太子殿下が失踪しなければ、継承権は殿下に回ってこなかったはずです。なんというか……できすぎな気がするのですが……」
私は話の流れを変えようと、半ば無理やり問いかけた。気になっていた事でもあるし、理解しておいた方がいいだろう。殿下は少し安堵した様子でエノハ様を見る。
「あぁ、それに関してはエノハが動いていたんだが、お前何やったんだ?」
私達の視線を受けて、エノハ様はスープを飲みながらなんの気負いもなく告げた。
「私は特に何もしていませんよ。ただ、巷で噂の書物をお渡ししただけです」
流行りの書物と聞いて、私はハッとする。
「それって、まさか『薔薇の誓い』じゃ……?」
驚く私を、エノハ様は感心したように見つめた。いつもの無表情なのに、何故か悪い顔に見えてしまう。
「おや、ご存知でしたか。確かに、女性の間で特に人気ですから、貴方が知っていてもおかしくはありませんね」
その言葉を聞いて、背筋に冷たいものが伝う。
唖然とする私の態度が理解できないのだろう、殿下が私達を交互に見ながら拗ねたように問いかけた。
「おい、なんだよ? その『薔薇の誓い』って。俺は聞いたことないぞ。そんなに流行っているのか?」
そんな殿下に、私はどう言おうか悩んでしまった。だって、内容を知れば王太子失踪がエノハ様の企みによるものだと暴露することになってしまう。つまり、殿下に王座に就くよう仕向けたのが、誰でもないエノハ様だということだ。
果たして正直に言っていいものなのか。
「ファルス、貴方が切羽詰まってどうするんですか。別にどうということでもないでしょう。ただ、豪商の息子と町娘の駆け落ちを扱った、恋愛ものの大衆小説というだけですよ」
私の考えなんてお見通しなのか、エノハ様はサラリと流してしまった。そろりと殿下に視線を向けると、ぽかんと口を半開きにしたまま絶句している。
それもそうだろうな。きっと王太子殿下は『薔薇の誓い』を読んで、メイドとの駆け落ちに踏み切った。『薔薇の誓い』では豪商の息子と町娘だけど、身分として見れば王太子殿下達にも通じる。身分差を飛び越え、愛を貫く姿に共感を覚えたのだろう。
だけど、実行に移した行動力は
後に残される私の殿下や、国のことさえも、2人にとってはお互い以上の存在ではなかったのだろう。