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第4話

ペットボトルのキャップを開け、プシューっという音と同時に空気に混ざる炭酸が空を舞う。

シュワシュワの炭酸がゴクリと喉を通り、商品のラベルを見せながら「今日もフェリっていこう」

笑顔でそう言う椎名と藍沢。

2人が起用されてから一気に売れたこの炭酸飲料は現在彼女たちの笑顔がデザインされた特別ラベルで、それ欲しさに買う人も多くいる。さらに抽選で彼女たちの缶バッジが当たるキャンペーン中。

『フェリってる』とはラテン語のFelizフェリス=幸せという意味の言語を略した言葉で、藍沢 凛陽がライブで言い始めてから一気に流行った。

とくに若い世代の女子の間では日常的に使われるようになり、推しのライブチケットが当たったときや恋人ができたときなどに使われていて、今年の流行語大賞にノミネートされている。


あの日僕を救ってくれて受け入れてくれた彼女への想いはたしかなものになっていた。

それを凪に話したとき釘を刺された。

正式に付き合っているわけでもないし、特別なことをしているわけでもない。

椎名も好意は寄せてくれているけれど、それは昔からの知り合いということであって特別な感情ではない。

なにより相手はスーパーアイドル。

いまグループとしての活動はできなくても個々の人気はあり、先日、藍沢と2人でのユニット曲を出しそれが一気に売れたことで改めて彼女が人気者であることを知った。


そんな、ある日のネットニュースを見て思わず目を見開いた。

『MellowDearz.の椎名 美波、熱愛報道‼︎ 相手は某制作会社社長か?』

スーツを着た男性と若い女性がカフェから出てくる瞬間だった。

画面を拡大し、目を凝らして見てみると、帽子とサングラス姿だが間違いない。椎名だ。

この前二人乗りデートしたときと同じ帽子を被っている。

その横には30代くらいのスーツ姿の男の人と歩いている。

写真からでもわかる高そうな服とアクセサリー。

背丈や雰囲気からマネージャーの忽那さんではないことはわかる。

以前、椎名は年上の人が好きって言っていたのを思い出した。

それに最近また連絡の頻度が減ってきていた気がする。

まさかこの人と?

広告などで耳にしたことのある制作企業の社長と超有名アイドルの密会デートが事実なら、いち高校生が敵う相手じゃない。

冷静になって考えてみる。

そう、そもそもステージが違うのだ。

たまたま連絡取り合って何度か食事に行っているけれど、ステータスの低い僕と金持ち年上会社員じゃ月とすっぽん。

彼女はきっと久しぶりの再会が嬉しくて、仕事の愚痴を訊いてくれる人が欲しかっただけだろう。

僕に求めているものは友情なのだ。

そう思ったらなんとも言えない複雑な心境になった。

仮にこちらの勘違いだったとして、これから椎名が芸能人として上り詰めていくとしたらそこに僕は必要なのだろうか。

僕といることで彼女を傷つけてしまい、登れる山も登れなくなってしまうのではないか。

椎名とは距離を置いたほうがいい。そう思った。

人は心に深い傷を負うと臆病になり慎重になる。

これ以上傷つかないためには一定の距離を保つことが一番いい。

でないと小さなことで傷ついてしまう気がするし、心の傷が深くなるだけだと思うから。

片想いしているときが一番楽しいというけれど、叶わぬ恋ほど苦しいものはない。

届かぬ想いほどむなしいものはない。

スマホを裏返しにしようとしたそのとき、着信が鳴った。


「もしもし?いま大丈夫?」


「どうしたの?」


「お仕事お休みになったからご飯でもどうかなって」


椎名からの誘いはいまに始まったことではない。

かといって何か特別なことをしているわけではなく一緒にご飯を食べて最近の流行りのものや椎名の仕事の愚痴を訊いているだけ。

そう、これはあくまでクラスメイトとしての誘いだ。

特別な感情はない。

会いたい気持ちとこれ以上会ってはいけないという葛藤かっとう心を揺さぶる。

数秒間の逡巡の後、「わかった」と答えた。


マップを開いて駅から歩くこと15分。

やってきたのは閑静な住宅街の中にたたずむ小さな洋館。

表札のない一軒家の前に立ち、本当にここで合っているのか何度もマップと照らし合わせた。


「着いたよ」とメッセージを送るとすぐに既読がつく。


「インターホン鳴らしたらそのまま入ってきて」


椎名に言われた通りにすると中には数席分の椅子が並んでいて、挽き立ての豆の香が店内に馥郁ふくいくと漂っている。

60代くらいの夫婦が2人で経営していて、10人も入れないような小さな空間だがすごく落ち着いた。

平日ということもあって椎名以外のお客さんはいなかった。

スマホ片手にコーヒーを飲む彼女の後ろ姿は同い年とは思えないくらいに大人びていて、歳月の中に人生の濃さを感じさせた。

そんな椎名もこの前学校に忍び込んだときのようにたまに子供っぽい一面を見せるからそのギャップがたまらなくかわいい。

ここは数10年前に脱サラしてカフェを経営しようとした際に知り合いから譲り受けた場所らしく完全予約制で一限さんお断り。

椎名の両親とも仲が良くたまに家族で来ているそうだ。


「コーヒーでいい?」


ブラックでと言えたら格好良かったのだが、残念ながら苦くて飲めないのでココアを注文する。


訊くべきか迷った。


「何か言いたそうね」


いつも思うが、彼女は察しが良い。

僕が顔に出やすいタイプであることは否定できないが、それにしてもこんなにも早く勘づくなんてさすがだ。


「昨日、ネットニュース見て」


「あぁ、あれね」


そう言って少し呆れた様子でコーヒーを口に運ぶ。


「週刊誌って本当に見せ方上手」


どういう意味だろう。


「あれは社長じゃなくて制作会社の企画部の人。新しいCMの出演依頼をしたいって言われて、忽那さんと挨拶も兼ねて会いに行ったの。先方の役員の人が店の入り口がわからないって言うから一緒に探してあげようと思って店を出た瞬間の写真」


たしかにスーツの男性はカバンを持っていなかったし、耳にスマホを当てて誰かと話している様子にも見える。


「まったくさ、週刊誌もタチ悪いよね。一瞬外に出ただけであんな書き方するんだもの」


いまをときめく人は何をしても話題になる。

大物芸能人の熱愛や歌手の麻薬、スポーツ選手の賭博とばくに政治家の汚職など。それが事実かどうかは別として人はそういったものに対してああだこうだ言いたいのだ。

だから売上のためなら事実を捻じ曲げることはあるのかもしれない。

でももしそれが当たり前なら決して赦されることではない。

それによって誰かが傷つくのだから。


今回の記事は制作会社側が多くのメディアでコメントをし、週刊誌側が謝罪したことで終息した。


軽く食事を済ませ店を出ると、椎名が行きたいところにあると言ったのでタクシーに乗ってそこに向かう。

乗り慣れた彼女と違い、普段自転車がメインの僕はどこか落ち着かなかった。

もちろん隣に彼女がいるからというものあるが、高校生がタクシーに乗る機会なんてほとんどない。

気持ちを落ち着かせるため、移動中MellowDearz.の動画を流すと、


「ねぇ、恥ずかしいから見ないで」


伸ばした手で僕のスマホを隠そうとする。

住宅街の光が当たった彼女の頬は少し赤くなっているように見えた。


「一緒に見ちゃダメ?」


「皓月くんが見てるって思うと恥ずかしいの」


何度かまばたきをしながらもじもじする彼女がしおらしくて、全然気持ちが落ち着かなかった。


着いた場所はバイト先から少し離れた港の見えるベンチだった。

気づけば夕日は暗闇の中に眠っていた。

夜空を見上げながら口を開く。


「私ね、この世界に入って良かったと思ってる」


椎名の家は決して貧しいわけではない。

でも、両親が自分のためにあくせく働いていることを知っていた椎名は早く恩返しをしたいと考えていた。

もちろん、プライベートは制限されるし、変な噂が飛び交うこともある。

それでも自分という存在がこの世界で認められ、誰かの心の支えになっているのを感じる度に良かったと思えるそうだ。


多くの人が光の浴びない場所で誰かの役に立っている。

光と闇、明と暗、相反あいはんするものがあるからこそ映える。


「でもね、たまにすごく不安になるの。いつか歳を重ねておばさんになったとき、支えたいって思う人と一緒にいるのかなって」


すべてを手に入れたはずの彼女にもそんな悩みがあるなんて知らなかった。

以前、同業者には心を開かないって言ってたけれど、どこで恋をするのだろう。

もしかしたらいまはそういう感情はない可能性もある。

考えすぎだろうか。


「皓月くんはさ、将来どうなりたいとかある?」


将来のこと真剣に考えたことなんてなかったかもしれない。

夢とか持っているわけではないし、誰かを幸せにできるような器じゃない。

いや、待てよ。これは告白待ち?


(僕は椎名と一緒におはようやおやすみを言い合って、たまに喧嘩しても結局仲良しで、おじいちゃんおばあちゃんになっても手をつなぎながら歩きたい)


いや、それはないか。

凪のようなイケメンならまだしも、何の取り柄もない僕とあの椎名が?

横を見ると椎名と目が合った。

少しばかり不安そうな表情をしていた。


「誰かを守れる存在になりたい」


なんとも曖昧な回答をしてしまった。


「誰かって誰?」


それは椎名だ。なんて言えない。

言ってすぐに気まずくなるのは目に見えているから。


「私だと嬉しいな」


それはどういう意味だ?

素直に受け止めていいのか?

濁すべき?流すべき?


「私ね、こうやって日常を共有できる人が好きなの。お仕事の悩みとか愚痴とか言えて、たまに喧嘩してもちゃんとごめんねとありがとうが言えて。芸能界って良くも悪くも勘違いされる世界でしょ?仮面被ってても本音でも見せ方によって捉え方が変わる。でもそんなことを感じさせないくらい素でいられてわがままになれる人がいいの。そういう人との何気ない日常が一番幸せだと思うんだ」


その中に僕は入っているのだろうか。

ドライブしたり、旅行したり、おしゃれなレストランに行くことも雰囲気の良いバーでお酒を飲むこともいまの状態じゃ叶わない。


「もしかして気にしてる?」


「うん、まぁ」


「私がアイドルじゃなかったら良かった?」


そうじゃない。そうじゃないけれど、僕には椎名 美波という存在が眩しくて偉大すぎるんだ。

椎名からもらったブレスレットが目に入る。


「皓月くん、髪の長い人が好きって言ってたでしょ?」


「それって……」


「はじめて好きになった人だもん。ずっと皓月くん好みになろうと頑張ってきたの」


13年前に言った幼いころのほんの一言。

それをずっと覚えていて前に進み続けていた。

こうもはっきり好きと言われるとどう反応していいか戸惑う。

とってつけたようなものではなく、心からの言葉だということが伝わってきた。

椎名はいつも自分の気持ちに素直だ。

それなのに僕は何かと固辞つけて釣り合わないと決めつけていた。

相手を信じようとしながら自分自身を信じきれていなかった。

でももうやめよう。

相手の立場とか自分がまがいものだとかそんなことよりも大事にするべきは気持ちだ。

まっすぐで素直な気持ち。

触れたくて伸ばした手を引いてはいけない。

そう、僕が好きなのは目の前にいる彼女だけ。


「僕も好きだ」


彼女は俯いたまま何も答えない。


「し、椎名?」


覗きこもうとすると、両手で顔を隠し出した。

「いますごく恥ずかしいから顔見ないで」


どういうこと?


「嬉しいの。嬉しすぎて顔見れないの」


ステージの上ではクールビューティーな椎名 美波が顔を赤らめながら身体をくねくねさせている。

とてつもなく乙女な姿は僕の心を躍動やくどうさせた。


「急に引っ越すことになってお別れも言えなかった。でも、どうしても会いたかったの。アイドルになって有名になれば会えると思って必死にレッスンした。どうしたら振り向いてくれるか考えて……不安だったの。13年も経ってるし、久しぶりに会って彼女とかいたらどうしようって。でも、もし彼女がいてもいつか振り向かせてやるって思ってね」


こんなにも覚悟を持っていたことに驚いた。

僕も椎名の曲で、椎名の笑顔でたくさん元気をもらった。勇気をもらった。


「ずっと想ってくれててありがとう」


「こんなに待たせたんだからちゃんと幸せにしてよね」


「約束するよ、椎名」


そう言ってぎゅっと手を握ると、急に不満げな表情を浮かべた。


「いい加減下の名前で呼んでくれないかな?」


「いいのか?」


こくりと首肯しゅこうする椎名。


「み、み、美波」


普段言い慣れてないせいか、うまく言おうとしてどもってしまった。

そんな僕を見て「かわいい」と言いながらくすくす笑う美波の表情は柔らかく美しかった。


本当はクローンなんてなかったのかもしれない。

いまとなってはどっちでも良い。そう思わせるほどに彼女の存在は大きかった。

こうやって熱を帯びた違いの手に触れ合うことで命を感じていられるのだから。


「ね、あの鐘、鳴らしてみない?」


日付が変わると同時に一緒に鳴らすと願いが叶うといわれているラ・カンパネラ。

時計は23時59分だった。


「急いで」


あと1分しかない。

彼女の手が離れないようぎゅっと握り、プロムナードを駆け2人でカンパネラのぜつを持つ。


これを鳴らす日が来るなんて思わなかった。


時計が24時を回ったとき、せーので鐘を鳴らした。


願い事は、内緒だ。


**


家族と美波で食卓を囲む。

これからまた撮影やライブ活動で忙しくなる前の束の間の休みを新羅家と過ごしたいと言ってくれたので、母さんに話したら快諾してくれた。

父さんも妹もスーパーアイドルが家にいることに慣れていないのか、どことなくそわそわしている。

僕らが付き合っていることは誰にも話していない。

あくまで昔からの友達ということにしている。

美波のためにも、彼女が芸能界を引退するまでは秘密にしておくと約束した。

もし妹が知ったらどこでばらくかわからないし。

それにまた辛くなったときにはこのブレスレットを見て元気をもらおう。

ここ最近、不思議と頭痛が減ってきた気がする。

僕が本当のヒトでなくてもここに生きている事実は変わらないし、僕を必要としてくれている人がいるのだから。

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