田舎町からティエリーの位置が移動していた。
それを確かめてサイモンとレミ、イポリートとジルベルトは方向転換をする。
発信機が示す場所は、田舎町から一番近い町のホテルだった。
「番を持っているオメガは他の相手に触れられると拒絶反応を起こすのに……」
心配で気が気ではないサイモンに、レミとジルベルトが言う。
「ティエリーが無事だと信じよう」
「無事じゃなかったら、あなたの愛は変わるの?」
「変わるわけない」
ティエリーに何が起きてもサイモンの愛は変わらない。
はっきりと告げるとジルベルトは「それならいいわ。さっさと行くわよ」とサイモンたちを促した。
ジルベルトはオメガで黒幕はアルファなのでフェロモンが効いてしまう場合がある。ジルベルトもアルファのフェロモンに強いオメガということで警察に採用されたのだが、それでもものすごいフェロモンを浴びればヒートを誘発されることもある。
ホテルの従業員に警察だということを伝えて、部屋を聞く。部屋に向かうと、ジルベルトは廊下に残して、サイモンとレミは突入の構えを取った。
イポリートは地元警察をこのホテルまで誘導してくれている。
地元警察がこのホテルを完全に包囲して脱出できないようにしてからしか突入はできない。
ドアを隔ててティエリーのフェロモンの香りが漂ってくる。
ヒートのときのように激しいものではないが、不安だからだろうか、番を呼ぶようにサイモンの鼻腔にティエリーの香りが満ちる。
「まだなのか?」
「今包囲網が整った。突入する」
地元警察と合流しているイポリートに通信で伝えたレミの言葉を聞いて、サイモンはホテルの安っぽいドアを蹴り破った。
「警察だ! 動くな! 手を頭に置いて膝を突け!」
椅子に座らされているティエリーはサイモンの姿を見て菫色の目を見開いてこちらに駆け寄ろうとする。その腕を掴んでアルファらしき男がティエリーの腹にショルダーホルスターから抜き取った銃を突きつけた。
サイモンとレミも素早く銃を構える。
「このオメガの命が惜しければ、わたしを逃がすのだな」
「このホテルは警察が包囲している。逃げ場はない」
「では、このオメガは死んでもいいというのか?」
銃口を突きつけられてティエリーは呆然と突っ立っている。身長的に頭に届かなかったのだろうが、腹を狙われると、銃を打ち落とそうとしてもティエリーに当たる可能性があるのでできない。
「サイモン……わたしは、平気です! この男を……」
「おれが平気じゃない! ティエリーに傷一つでもついたら正気でいられない」
自分を犠牲にするようなことを言うティエリーにサイモンが言い返すと、男の顔が愉悦に歪んだ。
「そうか、お前がこのオメガの番か。警察官だと言っていた。こんなに早く居場所を突き止めたのも、何か仕込んでいたんだろう?」
「ティエリー、その男の話は聞かなくていい。後でおれとゆっくり話そう」
「このオメガが大事なんだよな? 交渉してやってもいい。膝を突いて床に額をこすり付けて命乞いするなら、このオメガを撃たないでおいてやる」
「撃てば、おれたちがお前を撃つ」
「残念ながら、このオメガは頑強なんだ。銃弾一発で死ぬとは思えない。何発も死ぬまで銃弾を叩きこまれ続けるのはつらいだろうなぁ。なぁ、ティエリー?」
わざとサイモンを煽るために男がティエリーの名前を呼んだのも分かっている。それでもサイモンは男に従うしかなかった。
「銃を捨てて、床に這いつくばれ」
「サイモン、ダメだ」
「悪い、レミ。おれはティエリーに怪我をさせたくない」
男の言う通りに銃を捨てて床に膝を突いたサイモンに、男は高笑いをしながら促す。
「床に額をこすり付けろと言っているだろう!」
じりじりと床に頭を近付けるサイモンに、男の銃口が向いた。
その瞬間、ティエリーが男の腕を思い切り殴って上に向かせる。銃口が天井に向いた瞬間、レミの銃が男の腕を打ち抜いていた。
銃を取り落とす男に、ティエリーが素早く銃を拾ってサイモンのところに駆けてくる。
「ティエリー!」
「サイモン……怖かった……。わたし、ひとを殴ったのなんて、初めてで」
暴力を振るわれる側で、振るう側ではなかったティエリーにとっては、男を殴ったのが初めての暴力だったようだ。
「サイモンが撃たれると思ったら、必死になってしまって……こ、怖かった……」
腰を抜かしそうになっているティエリーを立ち上がって抱き留めると、その間に突入してきた地元警察が男を拘束していた。
ティエリーとは話さなければいけないが、まずは男の取り調べと被害者であるティエリーの証言を行わなければいけない。
震えてサイモンから離れたがらないティエリーの背中を撫で、涙で濡れる頬や瞼をハンカチで拭って、サイモンは優しく語り掛ける。
「後で迎えに来る。ゆっくり話をしよう。それまでジルベルトと一緒に頑張れるね?」
「は、はい。待っています。サイモン、あなたが助けに来てくれると信じていました。ありがとうございます」
発信機を付けていたことに関しては後でティエリーに正直に言って怒られようと決めて、サイモンは黒幕の男の取り調べに入った。
黒幕の男は人身売買組織が摘発されて解体していく中で、自分だけでも国外に逃げようと足掻いていたようで、警察の関与する施設に保護されたオメガを奪い取ろうとしたり、ティエリーの居場所を突き止めて逃亡資金のために売ろうとしたりしていたようだ。
ティエリーには既に買い手が付いていて、近くで潜伏していた買い手も人身売買に関与したということで逮捕されていた。
「あの売れ残りのオメガに執着する客がいたんだ。どれだけ痛めつけても頑丈だし、子どもを孕ませて胎から引きずり出すのも楽しいだろうと……」
「とんだ
人身売買の罪は重い。最低でも無期懲役か終身刑である。
人身売買組織の他の構成員はともかく、この男は黒幕なのである。全ての指示をこの男がしていた。それを考えると終身刑が妥当なところだろう。
冷たく言ったサイモンに、男が歪んだ笑みを浮かべる。
「抱き心地は悪かったが、あのオメガの嫌がって泣く姿は最高だったぞ? どれだけでも抵抗できる腕力があったのに、抵抗しなかった。それは合意だったってことだよな? わたしは合意の上であのオメガを抱いたんだ」
「不同意性交罪も付けてほしいのか? 刑期はこれ以上伸びようがないぞ」
冷静に対処しているつもりでも、サイモンは嫉妬ではらわたが煮えくり返りそうになっていた。抱き締めたティエリーに他のアルファの匂いはしていなかった。サイモンに嫌がらせをして、動揺させるためだけにこの男が嘘をついているのも分かっていた。
簡単な取り調べを終えると、黒幕の男を連れてサイモンとレミとイポリートとジルベルトは自分たちの管轄の町に戻らなくてはいけない。
ティエリーも証言者として一度来てもらわなくてはいけなかったが、今日だけで帰れるわけではなさそうだったので、ジルベルトとも話して、ティエリーを一度ティエリーの暮らしている一番近くの町に送ってもらうことになった。
そこで勤め先に話をして、荷物も準備してティエリーには来てもらうことになる。
本当ならばティエリーが一人で暮らして落ち着いて、自分から連絡をしてきたところで冷静に話し合うつもりだったが、人身売買組織の黒幕の出現によってそれは早まってしまった。
まだティエリーの心が決まっていないのならば、サイモンはまたティエリーを田舎町に戻してどれだけでも待つつもりだった。
「ティエリーがサイモンの車に乗りたがっているのだけれど、構わない?」
「いいよ。おれが車を出そう」
ジルベルトではなくサイモンに頼ってくれたというのは嬉しいが、ティエリーが住んでいる場所まで自分が送っていいのかサイモンは少しだけ迷う。ティエリーは自分の居場所を知られたくないのではないだろうか。
そんな心配もティエリーの顔を見たら吹き飛んだ。
殴られたのだろう、少し腫れた頬を治療されているティエリーはサイモンを見た瞬間その菫色の目を輝かせた。
「サイモン! サイモンのフェロモンの香りがする。落ち着きます」
「それはよかった。ティエリーは変わらずいい匂いだ」
「はい。サイモン、信じてほしいんです。わたしはあの男と何もありませんでした」
「分かってるよ。ティエリーに他人に匂いはついてない」
「サイモンだけです」
はっきりと言うティエリーに安心しつつも、ティエリーを送っていくと、ティエリーは働いているパン屋の店主とその妻にサイモンを紹介したがった。
「とてもいい方たちなんです。サイモンのことを紹介させてください」
「いいよ。なんて言えばいい?」
「番で……夫だと言ってもいいですか?」
「もちろん。おれはティエリーの夫だよ」
離婚するつもりはなかったし、離婚届はティエリーのサインもなければ受理されないので出していない。
まだティエリーに見限られていないのならば、サイモンはティエリーの夫のままだろう。
「こちらが、わたしの夫で番のサイモンです」
「サイモン・ジュネといいます。おれの夫がお世話になっています」
挨拶をすれば、店主とその妻は泣きそうな顔になっている。
「旦那さんが迎えに来てくれたのか」
「ティエリーが働いてくれた期間は助かったけれど、旦那さんとまた一緒に暮らせるなら、それが一番だね」
「それは……」
「もう一度話し合ってみようと思います。わたしは夫を愛しているし、離れられないと思いました」
サイモンが否定しようとするとティエリーの方がきっぱりと店主とその妻に告げる。
「荷物は送ろうか?」
「夫夫で仲良くやるんだよ」
祝福されて送り出されて、ティエリーの住んでいた部屋に行くと、ティエリーはボストンバッグに荷物を纏めた。
「いいのか?」
「ダメですか?」
「話し合って、ティエリーはやっぱりおれから離れたいと思うかもしれない」
「そしたら、またここに送ってください。サイモンはそうしてくれるでしょう?」
全幅の信頼を寄せられているが、ティエリーが戻ってきたら閉じ込めてどこにも行けないようにしてしまうそうな自分がいて、サイモンは素直に頷けない。そんなサイモンにティエリーは笑って手を繋いで車に戻って行った。