ホテルの部屋を取ってもよかったのだが、ティエリーはサイモンの部屋に帰りたいと言ったので、サイモンはティエリーと共にマンションの部屋に戻った。
マンションの部屋はティエリーが出て行ったときのまま何も変えていない。ティエリー用のスリッパに履き替えて、ティエリーはソファに座って足元にボストンバッグを置いた。
紅茶を入れると、嬉しそうな表情になる。
「ずっとこの紅茶が恋しかったです」
「恋しかったのは紅茶だけか?」
「この部屋も、サイモンも、ずっと恋しかった」
甘いことを言っているが、これからティエリーと真剣に話し合わなければいけない。
サイモンがティエリーにどれだけ独占欲を持っていて、ティエリーの携帯端末の情報を覗いたり、ティエリーのチョーカーに発信機を付けたりしていたことを白状しなければいけない。
先に夕食を準備して、食べてからティエリーと話をすることにした。
「帰ってきてくれないか? ティエリーのことを愛してる。おれに至らないところがあるならどれだけでも努力して直すから、帰ってきてほしい」
土下座する勢いで頭を下げると、ティエリーはサイモンの様子に驚いている。
「サイモンに至らないところなんてありません。最高の夫です」
「それなら、どうしておれのそばを離れるようなことをしたんだ?」
最高の夫という認識が変わってしまうかもしれないが、まずはティエリーの話を聞きたい。サイモンが問いかけると、ティエリーが答えてくれる。
「サイモンは、女性にしか欲情しないのだと思っていて……」
「はぁ!?」
思わず大きな声が出てしまった。誰が何を行ったのか知らないが、サイモンは実際のところ、女性と付き合ったことはあるが、欲情していたかは怪しい。そういう雰囲気になったから抱いていたところがあるし、好んで行為をしていたかといえば、溜まっていたからついでに発散したくらいの最低の感覚しかなかった。
それなのにティエリーは勘違いしている。
「ご家族に挨拶をしに行ったときにレイモンに聞いたんです。サイモンの付き合っていた相手は可愛い系の小柄な女性だったと。わたしは男性で、大柄で、可愛くもありません。サイモンの好みではなかったのではないかと思ったのです」
「待って! おれはでかいから、おれと並んだらほとんどの女性は小柄に見えるし、可愛い系って、女性を可愛くないとかいうような奴じゃないから、レイモンは」
サイモンは百九十センチ超えの大柄なアルファである。ティエリーは更に大きな二メートル超えのオメガだが、サイモンの隣りにいれば大抵の女性は小柄に見える。それだけでなく、レイモンは女性に対して甘いので、女性を可愛くないなんて発言することはない。
単純に比較対象として小柄に見えていただけだし、可愛いか可愛くないかに関してはサイモンは付き合った相手の顔も覚えていない。
「ティエリーはおれが初めて抱いた男性であることは確かだけど、おれが女性を好きだったかどうかに関しては、それほど確かじゃないんだ。ただ言い寄られた中で面倒がなさそうな相手と付き合ってただけで、積極的に抱きたいとも思わなかったし、適当に付き合ってたから相手から振られることもよくあった」
サイモンにとってティエリーは初めて抱いた男性だったが、嫌悪感は全くなかった。それどころか興奮するし、自分を抑えるのが大変なくらいだった。
「わたしを抱いてみて幻滅したんじゃないですか?」
「逆だよ。抱き合うってこんなに素晴らしくて、気持ちよくて、溺れそうになるようなものなのかと思った。ティエリーが好みじゃないなんてありえない。これまで付き合った女性の方が好みじゃなくて、おれの好みはティエリーだ」
小さくて折れそうでふわふわした女性よりも、大きくて頼りがいがあって弾力のあるティエリーの方がずっとサイモンには合っていたし、抱き心地もよかった。好みを聞かれればティエリー一択だったのでそう伝えればティエリーは顔を赤くして頬を押さえている。
「好みなんですか?」
「好みじゃなければ、ヒート期間中にあんなに執拗に抱いてない。理性を保つのに必死だったんだからな」
そこまで言ってもティエリーはまだサイモンを疑う気持ちがあるようだった。
この際だからすべて聞いてみようとサイモンはティエリーを促す。
「ヒート期間以外は抱いてくれなかったじゃないですか。わたし、抱いてもらえるかと思って、一緒に寝たいと言ったり、バスルームで準備してベッドに入ったりしたのに、サイモンはすぐに眠ってしまいました」
「あれは、ティエリーはおれが求めたら命令みたいになって、拒むことができないだろうと思っていたからだよ。本当は毎日でも抱きたかったし、口付けもしたかった」
すぐに眠れるのは警察官の特技だ。あれがなければティエリーが同じベッドでいい香りをさせているのに、抱かないなんてことはできなかっただろう。襲わないために必死に意識をシャットダウンさせていた自分が間抜けのようで、サイモンは額に手をやる。
「それなら、ヒート期間以外でも抱いてくれますか?」
「ティエリーが望むのなら」
「シャワーを浴びてきます」
「待って待って待って! 今日はやめておこう? 明日も証言があるからね」
「ダメですか?」
「ダメじゃないけど、なし崩しに関係を持つのはよくない。落ち着いて、ティエリー」
サイモンの答えを聞いたティエリーの決断は早くて、サイモンは焦ってしまった。ティエリーの方は思っていることを全部話してくれたのかもしれないが、サイモンはまだ話していないことがある。
サイモンはティエリーに自分のしたことを話さなければいけなかった。
「いつならいいですか?」
「証言が終わって、落ち着いてから、ティエリーが抱かれてもいいと思うときに」
「わたしは今からでもいいんですけど」
「ティエリー、君はまだこの部屋に戻ってきたばかりだし、あんな事件があった後だ。冷静になれてないかもしれない。それに、これからおれが話すことを聞いたら、おれが怖くなって逃げ出したくなるかもしれない」
やっと諦めてくれたティエリーにサイモンは紅茶のお代わりを入れて、自分のやったことを話すことにした。
「おれはティエリーを監視していた」
「それは知っています。サイモンに監視されているのを別った上でサイモンに買ってもらった携帯端末を持ってここを出ました」
分かっていたのだろうが、それだけではない。
サイモンは全てを話すことにした。
「元々ティエリーの携帯端末の情報は、おれの作ったサーバーに自動的にバックアップされて、おれはいつでも見れる状況にあった。ジルベルトと連絡を取っていたメッセージのアプリもパスワードをかけて、定期的に変えていたようだけど、おれのプログラムで簡単にパスワードを解くことができた」
「警察の情報部ってそんなこともできるんですね。メッセージは見られているだろうと思って、サイモンにも報告しているつもりで書いていました」
「気にしてないのか? ジルベルトにはストーカーって言われてドン引きされたよ?」
「わたしも気付いていましたし、サイモンに情報を知られて困ることはなにもありませんでした」
ジルベルトにはストーカーだの、怖いだの言われていたが、ティエリーはサイモンのしたことを冷静に受け止めてくれているようだ。
それもティエリーがこれまでプライバシーなど守られたことがなかったからかもしれないと思うのだが、ひとまずはティエリーが怒っていなかったことに安堵する。
「今後はティエリーの携帯端末に干渉しないようにする」
「それは嫌です。サイモンに見ていてもらった方が安心します。サイモンに連絡する勇気はなかったけれど、サイモンがメッセージを見ていてくれるかもしれないと思ったから、日々のことをジルベルトに送っていました。サイモンに報告しているような気分だったんです」
怒っていないどころか、今後も同じようなことをしても許すとティエリーは言っている。
「それはちょっと寛大すぎないか?」
「わたしがいいと言うんだからいいんです。サイモンは、いつものように『ティエリーが望むなら』って言ってくれないんですか?」
「言った方がいいなら言うよ。ティエリーが望むなら、これまで通りにしよう」
答えるとティエリーが嬉しそうに笑う。
「それ、好きなんです。サイモンに『ティエリーが望むなら』って言ってもらうの。わたしのことを考えてくれているのが分かるから」
ティエリーはこんなにも純粋で素直で大丈夫なのだろうか。
やはりサイモンが守らなければいけないのではないか。サイモンは強く思った。
まだサイモンには言っていないことがある。
「ティエリーのチョーカーなんだが」
「お返しした方がいいですか?」
「そうじゃないよ。そこにおれは発信機を仕込んだ。ティエリーがどこに連れ去られても分かるように」
「それであんなにすぐ来てくれたんですね。サイモンに来てほしいと思っていました。サイモンが発信機を取り付けてくれていてよかったです」
「よかった? それで済ませていいのか?」
これに関してもジルベルトからストーカーと言われたのだが、ティエリーは笑顔でチョーカーを撫でて嬉しそうにしている。
「サイモンのおかげでわたしは助かりました。ありがとうございます」
「おれが独占欲の塊でストーカーだというのに……」
「番のアルファに独占欲を見せられて嬉しくないオメガはいないんですよ。サイモンはストーカーなんかじゃありません。わたしの愛する番で、夫です」
うっとりと答えられてしまって、サイモンはそれ以上謝ることもできなくなってしまった。
「サイモンが望むなら、離婚届にサインをするつもりでした。愛人でいいので近くに住ませてほしいとお願いするところでした」
「離婚はする気はない。おれと離れて暮らしたいなら、場所を探すけど、できればおれが行きやすい場所にしてくれて、ヒート期間中だけでもおれと過ごしてほしい」
「わたしもサイモンと離婚したくないです。離れても暮らしたくない。サイモン、もう一度お願いします」
「何を?」
問いかけたサイモンに、ティエリーは真剣な眼差しをサイモンに向けた。
「今度こそ、あなたの家族にしてください」
「もうティエリーはおれの夫で、大事な番だ」
「それなら、お願いがあるのですが」
ティエリーのお願いならば何でも聞くつもりだったが、サイモンは姿勢を正す。
「サイモンの赤ちゃんがほしいです。まだ時期が早いと言うなら、サイモンのいい時期でいいので、わたしにサイモンの赤ちゃんをください」
腹筋の割れた逞しい腹を撫でるティエリーにサイモンは身を乗り出した。
「おれの子どもを産んでくれるのか?」
「離れたときに、泣いて縋ってでもサイモンに赤ちゃんを作ってもらっておけばよかったと思いました。わたしが望んでいいのなら、サイモンとの間に赤ちゃんが欲しいです」
その件に関してサイモンが反対するはずがなかった。
「ティエリーが妊娠しても大丈夫か医者に聞こう。証言が終わったら病院に行こう」
「お願いします、サイモン。愛しています」
「おれも愛してるよ、ティエリー」
やっと心が繋がった気がして、サイモンは全身の力が抜けていくのを感じていた。