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2箇所目 伊達家の子孫と都市伝説

 携帯アラームが鳴る1時間15分前。

 肌寒さを感じて目を覚ますと、雀が鳴き、朝を知らせていた。


 体を起こしながら、頭上にぶら下がっていたナースコールを押した。このルーティンも今朝が最後だ。

 視界に入った変わらぬ景色は、殺風景で重たく、少し死の匂いを感じさせる世界だった。


 見慣れた白いベッドの掛け布団を手で払うように整える。払う手には、数ヶ月間刺しっぱなしだった点滴針の痕が青黒く咲いている。

 昨日までは腕に鋭い針が入っていたのに、今日からは無い。なんだか寂しい気もしたけれど、それを上回る期待が早く目を覚ました理由だったりする。


 今日もまた、朝日が昇った――。


 カーテンの隙間から差し込む眩しくて刺さるような日差しはほんのり温かいだけで、空気はひんやり。


 嗅ぎ慣れた病院独特の消毒液の匂いもわかる。ドクンドクンと動く心臓の鼓動も、何もかも特別に感じられるんだ。


 そうだ、僕は今日も


 幼い頃から何度も「死」に怯えてきた僕は、今日、死の匂いがする此処から離れることができる。


 産まれた瞬間から生死を彷徨った僕は、重い心臓病を患ったのち、様々な感染症にかかり、病院漬けの人生を送っていた。

 幼い頃から入退院を繰り返してきたけれど、なんとか今日まで生きてくることができた。


 非常につまらなくて、文字通り具合の悪い人生だと思う。


 生死を彷徨う度に「死にたくない」と願うだけの人生。

 テレビに映る健康な人たちが羨ましくて仕方がなかった。生きている楽しさを実感できるのは、どんなに素晴らしいことか。


 けどね、もう羨ましがる必要はない。


 今日から、その人たちの仲間入りをするのだ。高ぶる胸のドキドキは何よりの薬だ。安定してきた自身の体で人生を謳歌する。まるで不老不死の体を手に入れたような気分さ。


 病室に運ばれてきた朝食。ドロドロの素っ気ないお粥と少しのおかずに、薄味の味噌汁。健康を考えたこの朝食も、食べるのは最後だ。

 この部屋を出たら何を食べようか。昼食は何にしようか。


 僕はこの部屋を出る喜びに浸りきっていた。暇つぶしに読み漁ったラノベや、壁に穴を開けて怒られたダーツを片付ける。


 部屋さえ出てしまえば、きっと夢に見た人間関係や環境が出迎えてくれるんだと疑わなかったんだ。


 朝食を済ませてすぐに、着慣れない私服に身を包んで、慣れた病室を見渡す。忘れ物はない。


 部屋を出れば振り返ることなく、廊下を足早に歩く。長い間僕の世話を焼いてくれた先生や看護師に別れを告げてから、病院のロビーを出て、外の空気を吸った。


 体に悪そうな排気ガスと、空気が温まった生ぬるい春風。


 ああ、やっと。やっと――外に出られたんだ!


 そう感じられたのは、普段あまり見舞いに来ることがなかった家族全員が、大学病院のロータリーに顔を揃えていたからでもある。


「おかえり、衛宗もりむね


 ずっと聞きたかった言葉だ。父さん、母さん、お婆ちゃん、お爺ちゃん、そして、2歳差の兄。僕が共に生活するべき人たち。

 今日からは家族と共に生活することができる。長い間病院で過ごし、離れていた時間を埋めていこう。


「みんな、ただいま」


 春の訪れ、新しい門出に相応しいであろう笑顔。

「ただいま」から始まる僕の新しい薔薇色の人生は、今日始まったばかりだ。


 ――その、はずが。


「ひ、暇だぁ……」


 退院から1週間経っただろうか。まるで曜日感覚がない。


 伊達政宗の子孫に当たる僕の家は、皆忙しそうに毎日をパタパタと、あっちへこっちへ出かけて行く。仕事、行事、付き合い……。


 僕が入院している間、他の家族は社会の一員として生活していた。

 僕には入院するという使命があって、それを全うすることしか許されていなかった。


 なので、他の家族が参加できている社会でも、当然僕の居場所なんてものはなく、退院日の朝に思い描いた生活とは無縁の場所にいる。部屋に篭りきりで、人とまるで関わらない。


 伊達家の人間なのだから、とか。もう22歳になったのだから、とか。男なんだから、とか。


 気がつけば、どれも言われたことがない。


 あの伊達政宗の子孫・伊達衛宗だて もりむねなのに。

 伊達家のことはあまり知らない。自分の家のことなのに。


 学校にも通えなかった。それどころか高校にも行っていない。つまり僕は中卒ということになる。中学校もまともに通えていない。何も持っちゃいない、ただの病弱人間でしかなかったんだ。

 世間的にはもう「いい大人」になった僕だけど、歳だけ食って、できることはまるでないのだ。


 情けない。何もできないくせに社会に出たがっていたなんて。


 不甲斐なさと、抑えきれない悔しさに、僕は畳の引かれた和室を激しく転がり回った。こんな風にしてたって、何も変わるわけじゃないのに。


「む……ね……ろ……」


 ほら見ろ、こんな自分が嫌すぎて幻聴まで聞こえる。そして人の気配がする。誰もいないはずの家に、人の気配がね。


 もしかしたら、何もない僕にも霊感があれば、人の役に――社会に出られるかもしれない。霊媒師とかに就けたらラッキーだ。さあ、見えてくれ! 人の気配はきっと霊だ!


 転がり回るのをやめ、がっつり瞑っていた目を開けてみれば、幽霊ではなく、見慣れた自分の祖父の顔が、僕を心配そうに見ているではないか。


「衛宗、大丈夫か」


 幻聴ではなく、祖父が僕を呼んでいた声。なあんだと落ち込んだあと、すぐに恥ずかしくなって「だ、大丈夫だよ」と寝転んでいた体を起こし、ピシッと正座をして祖父を見た。


 祖父は頷くだけにして、手に持っていた何冊かの古い書物を、白い手袋で壊さないように丁寧に座卓に並べ始めた。


 一体これはなんだろうか。


 藁半紙よりももっと古い色――と言ったらいいのか。今の時代の紙でないことはわかる。並べ終えると、祖父はその中の一冊を開いた。


「衛宗にも伊達家について知ってもらわないといけないね。読める文字ではないかもしれないが、目を通すだけ通しなさい。まずは書物に触れることから。ゆっくりで構わない。これも衛宗の仕事だよ」


 祖父の優しい口調、そして、さっきまでの僕を救うかのような心遣い。

 身にしみる優しさに、僕は感謝しかできなかった。何もできない僕に「仕事」と言って何かをさせてくれる、その優しさに応えたい。


 伊達家を知る。それが今の僕にとっての大事な仕事ならば、やる以外はないんだ。


 白い手袋をはめ、ゆっくり傷物に触れるように慎重に書物のページを一枚一枚めくっていく。現代では読める人こそ少ないであろう書物の内容を、乏しい知識で必死に理解しようとしながら。


 一冊読み終われば、別の一冊に手を伸ばす。それを何度も繰り返した時だった。とある一冊を手に持つと、書物からスルッと古びた紙が何枚か、ひらひらと抜け落ちたのだ。


 え――、ま、まさか、壊した?


 黙って見てくれていた祖父も、さすがに慌てている。

 僕が手に持ったから、きっとページが取れてしまったんだろう。まずい。これは非常にまずい!


「じ、じ、おじ、お爺ちゃん! ぼ、僕! その、ごめんなさい!」


 慌てふためき、すぐさま土下座。おでこを畳に擦り付けながら土下座。

 やっぱり僕にできることは土下座くらいしかないんだ。この役立たず!


 ジリジリと音を立てながらおでこを擦り付けていると、祖父は小さな声で呟いた。


「なんだ、この紙か……」

「……お爺ちゃん?」


 切なげにその紙を見つめていた。その紙たちだけ、明らかに何かが違ったのだ。

 祖父は何も言わずにその紙を僕に渡し、内容を読むようにと促した。


 言われるままに文字を読むと、感じたことのない衝撃が走った。

 雷に撃たれると言ったらいいんだろうか。


薩日内永さっぴない よう


 ハッキリ読み取れるその文字を見た途端、世界が変えられてしまった気がした。

 名前と地名だろうか。なんでもなさそうな紙から目が離せなくなった。


 どの紙にも同じことが書いてあって、一部には年数まで記されている。

 1500年代や1800年代、つい最近のものだと、1945年のものが最後らしい。


 何の紙だろうと不思議に思っていると、今度は確実に知らない女性の幻聴が聴こえる。


 ――何故、私は死ねない!


 耳元で叫ばれたような、息詰まった苦しい叫び声が聞こえたのだ。

 明らかに僕の声でも、家族の声でもない。それがはっきりと、怒りと悲しみを含んで届いた。


 体が飛び跳ねてしまうくらいの迫力に、なぜかワクワクしてしまう。


「お、お爺ちゃん! 今、何か話した!?」

「いや、何も……何か聞こえたか?」

「なんか、苦しそうな女の人の声」

「……いや?」


 祖父は辺りを見渡したが、何も、誰もいない。

 祖父は耳が遠くなってきているから、聞こえなかったんだろうか。

 それとも、やっぱり……僕だけに聞こえた――?


「この、紙に書いてあるのは、なに?」


 続けて祖父に問う。

 しかし祖父は難しい顔をして、なかなか答えてくれそうにない。

 僕はじれったくて、何度も何度も質問を重ねた。


 あまりのしつこさに折れたのだろうか。急に畏まって正座をすると、僕の目をまっすぐに見て言った。


「どうしても信じられないだろう。きっと、そうさ。あり得ない話だし、お爺ちゃんも御伽噺みたいで半信半疑なんだよ」

「それでもいいよ、お爺ちゃん、話してほしいな。僕はこの紙が何か、知りたいんだ」


 あり得なくてもいい。知りたい。

 ただの何でもない紙を大袈裟なきっかけにしたがるのは、僕の人生がつまらなくて、何かで色づけしたいから。


 幻聴だって、僕が作り出したまやかしかもしれない……そう、わかっている。


「薩日内永さん……死にたくても死ねない、悲しい人がいるのさ。珍しい苗字だからね。その家系の人を1人にまとめて長く生きているように見せ、昔からある都市伝説にしたいだけだと思うがね」


 祖父はその後に「信じないほうがいい」と言った。何百年も生きる人がいる訳がない、と。


 僕もそう思う――と、頭では思っていても、好奇心が体中の細胞を起こすように電流を走らせる。ビリビリと走る興奮。


「その人が本当に生きてたらどうする?」

「まさか。生きている訳ないさ。あぁ、同じ名前の人なら、仙台の観光案内所にいると聞いたことがあるよ。ビジネスネームかもしれないけど」


 こんな感覚は、きっと人の限界や真実を超える“何か”に違いない。


 「何故、死ねない!」と、何百年という月日を長く生きる人を結びつけようとすれば、パズルがハマったようにしっくりくる。


 話を聞いて思ったことは山ほどあるが、やることはもう既に決めていた。


 都市伝説でもなんでもいい。僕の人生を変える何かになるかもしれない。


 だから――


 薩日内永さんに会いに行く。



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