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第3話:その偽善くせぇ笑顔のうらがわ①

 私はバスに揺られている。


 久しぶりに会った小学校時代の友達は、みんな少しだけ大人になってた。


 いい思い出がいっぱい。


 悲しい思い出もちょっとだけ。


 そんな子供の頃を思い出しながら、私はバスの揺れに身を任せてる。


 そんなセンチな気持ちが――バスの急ブレーキで打ち消された。


 ガヤガヤと騒ぐ乗客。


 青い顔をしてバスを飛び出す運転手さん。


 ……しばらくして運転席に戻ってきた運転手さんは、首を傾げながら呟く。


「バスの前に、誰かが立ってたんだけどな……」


 その呟きは、近くに座ってる私の耳にだけ届いた。


 アナウンスで急ブレーキについての謝罪があってから、バスは再び走りだした。


 私はドキドキ波打つ心臓に手を当てて、窓の外に目を向けた。陽が落ちかけた時間帯の窓には、赤く染まる外の景色と、薄く色褪せたみたいな自分の顔が映っている。


 そこに、赤い何かが映り込んだ。


 人の輪郭をした、赤い色の何かが――


 息が苦しい。


 掠れた自分の息遣いが、すごくうるさく聞こえる。


 窓に映った赤いナニカは呟いた。


『やっと、みつけた』



   *   *   *



 昼休みだ。


 どうせ暇だし図書室にでも行こうと、僕――阿部あべ康平こうへいは立ち上がる。そこで、ドアのあたりがわいわい騒がしいことに気付いて、何の気無しにそちらを見た。


「あー! ニコリちゃん、どったのー?」


「遊びにきたのー?」


 女性陣がキャッキャとはしゃいでいる。

 中2女子で作られた壁の中心には、頭ひとつ抜きん出た女子が、ニコニコしながら女子一人一人と笑い合ったり、手と手を合わせたり……なんだか忙しそうに動き回っている。


 2組の松原まつばら仁瑚里にこりさんだ。


 僕は女子事情に詳しいわけじゃないけど、松原さんの事はよくよく耳にする。僕のでもある服部はっとりさんも、よく彼女の事を話していた。


 容姿端麗、成績優秀、運動神経抜群。それでいてそれを鼻に掛けない人当たりの良さ。いつも明るい栗色の髪を靡かせながら、群がる下々の生徒に笑顔を振りまいている――


 松原仁瑚里さんは、そんな陽キャの姫みたいな女子だった。


 群がる女子達から少し離れて、男子達も松原さんに見惚れている。

 胸がでかいとか、くびれがエロいとか、唇が柔らかそうとか、ほっぺが白いとか、いちゃいちゃしてーとか、クラスの陽キャ男子グループが小声で囁いている。

 教室の隅でアニメの話をしている系男子は、小声でデュフフ、デュフフと言っている……。


 なんとも異様な空間になってきたので、僕は時空の歪みに巻き込まれる前に……と、急いで図書室に避難しようとして――


「あ、阿部くん、待って!」


 星のエフェクトでもついてそうな、可憐な声に呼び止められる。


「え?」


 足を止めて、声のした方を見る。

 松原さんが少し強張った笑顔で、僕を見ていた。


 何で呼び止められたのかわからず、首を傾げる。ていうか松原さん、僕の名前を知っているんだ。自慢じゃないけど、クラスの背景みたいな存在なのに。


「阿部くん、ちょっと時間いいかな? 相談したいことがあって」


「はあ、いっすけど……」


 相談とか言われても、僕にはなんの事か見当もつかない。僕のような小市民に、松原さんのようなカースト最上位の女子が、なにをどんなふうに相談するというのか。


『え、なに、相談だって?』


『まさか、告白?』


『なんで阿部?』


 蓋を開けたコーラの泡みたいに、密かに沸き立つ教室の空気。僕は自分に注がれる好奇の視線が痛くて、足早に廊下へと避難した。

 それを追って松原さんも教室を出る。


 そのまま、人気の少ない階段の踊り場のところまで誘導された。その間も僕は何がなんだかさっぱりだ。

 足を止めた松原さんは僕へと向き直る。

 その表情はいつも通りの笑顔。


 しかし、その目の奥が揺らいでいた。

 まるで何かに怯えるみたいに。


絵里えりから聞いたんだけど、阿部くんってその、悪霊とかに強いの?」


「はい?」


 予想外の質問に僕は困惑する。ちなみに絵里とは、僕の元カノである服部さんの下の名前だ。僕は一度もその名前で呼ぶことなく、フラれてしまったけど。


「悪霊に強いとか、べつにそんなことないけど……」


「絵里が呪われた時、助けてくれたって」


「ああ、『キミコ』さんの件かな」


 それに関してはぶっちゃけ僕は何もしていない。

 8組の影山さんがキミコさんと対峙して、一方的にボコボコにしただけだ。僕はただそれをあっけらかんと眺めていただけである。


「それは僕じゃないっていうか、たしかに僕は一番近くでその様子を見ていたけど、基本的には部外者というか」


「??」


 松原さんの頭にハテナが浮かぶ。

 その顔も恐ろしいほどにかわいい。ダメだ、しばらく彼女とかいいやって思っていたのに、好きになってしまいそうだ。

 松原さんという存在は、男を魅惑し虜にする、悪魔的な何かなのかもしれない。知らんけど。


「えっと、それは僕っていうか、別の人がやった事で……」


 影山さんの名前を出そうとして、思いとどまる。

 彼女はきっと、こういういざこざに巻き込まれるのは嫌がりそうだ。だったら、ちゃんと影山さんに確認を取ってからにしないとね。


 下手すると呪い殺されるかもしれないしね。


「その人に聞いてみるから、明日まで待ってもらえないかな?」


「明日……うん、そうだよね……」


 急に松原さんの声が小さくしぼむ。

 いつもの笑顔は崩していない。

 しかし、その目はキョロキョロとあたりの様子を伺い、そして階段踊り場にある採光窓のところで止まった。


 目が見開かれる。


 唇が小刻みに震えている。


「どうしたの?」


 僕の問いかけに松原さんは気付かない。

 もう一度声をかけたところで、松原さんは我に返ったように、僕の方へと目を向けた。


「あのさ」


「はい?」


「明日じゃなくて、その、もう少し早く、できないかな……」


 松原さんは恐る恐るといった様子で、視線を再び窓の方に向ける。


「もしかして、窓の外に何か見えてるの?」


「うん……」


「なにが?」


「赤い、人の形した、なにか……窓に映ってる……」


 僕の背筋に悪寒が走る。昼過ぎの喧騒が、一瞬で消えてしまったような感覚。


「昨日からずっと、私の後ろの方にいるの。遠くから監視するみたいに、ずっと……」


 少し前の僕なら、きっと不自然に怯える松原さんを一笑し、気のせいだよって的外れな慰めの言葉を繰り出していたかもしれない。

 でも今の僕は違う。

 悪霊に遭遇し、身近な人が呪われ、その顛末まで自分の目でしっかり見てきている。


 この世に悪霊は存在するんだ。


「影山さんに相談しよう」


「影山さんって、8組の影山蕪太郎さん?」


「うん、彼女は本当に悪霊を退治できるんだ。急だから、相談にのってくれるかはわかんないけど……今日の放課後、行ってみよう」


 もし彼女を怒らせたら、僕は死を受け入れるしかいだろう。しかし、恐怖に苛まれている松原さんを、このまま放っておくわけにもいかない。


 松原さんを勇気づけようと、僕は微笑む。


 彼女は小さく頷いた。



   *   *   *



「は? バカ言ってんじゃねえよ、クソが……」


 放課後。


 霊界に通じていると噂の影山かげやま蕪太郎かぶたろうさん(女子)は明らかにイラついていた。


 いや、普段からこんな物言いではあるけれど、今回はいつもよりが違う。


 僕はすでに死を覚悟している。

 首の皮一枚で繋がっている感覚だ。


「てめえ……。この前、彼女と別れたとか言ってたのに、また女を連れ歩いてんのかよ……。このスケコマシ野郎が……」


「いや、違うって!」


 僕は首と両手を横に振って全力で否定する。


「まあ……。てめえがどんだけイチャつこうが、あたしには全然関係ないんだけどな……」


 そう言って影山さんは僕の隣に立つ松原さんを見た。松原さんはと言えば、影山さんの一挙手一投足を興味深そうに見つめていた。


「私、影山さんとずっと話したかったの。うれしい」


「あっそ……。あたしはてめえみたいな陽キャ野郎、興味ねえけどな……」


「本当は、こんな変な相談じゃなくて、ちゃんと友達として、影山さんと話したかったよ」


「あたしは、話したくない……」


 話が平行線を辿りそうだったので、僕が助け舟で事のあらましを説明する。


 かくかく。


 しかじか。


「また悪霊に巻き込まれてんのかよ……。てめえは女たらしで、バケモンたらしだな……」


 反論したいけど、なんかそこまで言われると、本当に自分が女たらしでバケモンたらしな気がしてくる。


「で、その赤いやろうを、あたしに退治して欲しいと……」


 松原さんが遠慮気味に頷く。


「慈善事業じゃねーんだよ……。あたし、今日は用事があって、忙しいんだ……」


 やっぱりか……。予想はしていたけど、影山さんがそう簡単に悪霊退治を受けてくれるわけがない。この前のキミコさんだって、個人的に気に食わないからぶっ倒しただけなんだから。


 さてどうするか。

 次の作戦を考えようとする僕の横で、意外な事に松原さんは笑顔を崩さない。


「その用事って、『ちょんちょこネコ太郎』だよね」


 ん?


 松原さんの返しの意味がわからなくて、僕は彼女の方を見る。松原さんは何かに納得したみたいに、ひとりで大きく頷いている。


「今日は、『ちょんちょこネコ太郎』の放送日だから、それが見たいんでしょ? 影山さん、ネコ好きだもんね」


 長い前髪の後ろで、影山さんの目が見開いた気がした。


「なんで、その事を……知ってるんだ……?」


 本当にそうだ。

 僕は『キミコさん』の一件から、たまに影山さんと話すようになったけど……、彼女の趣味嗜好までは全然知らない。そもそも、影山さんが好き好んで自分の情報をひけらかすとは思えない。


「なんでって、一年生の時に授業で書いた詩で、影山さんネコの事を書いてたでしょ? それに、カバンにネコ太郎のキーホルダー付けてたもんね」


「そんな事、よく覚えて……」


「当たり前だよ。だって、同じ学校の仲間でしょ。漏らさず知っとかないと、いざって時に仲良くなれないもん」


「同じ学校の仲間って……。まさかてめえ、生徒全員の好きなものを……?」


「もちろん、嫌いなものも、趣味も、その他諸々も――その人が公言してる範囲では、全部把握してるつもりだよ。だって私、みんなと仲良くなりたいから」


 僕と影山さんは、同時に言葉を失う。

 お昼休みの時、松原さんがクラスの背景でしかない僕の名前を知っていたのには驚いたけど、それどころじゃない。この人は、本当に学校全員と仲良くなりたいんだ。


 純然たる、陽キャだ。

 そして流石にイカれてる。


「ネコ太郎、私も好きで録画してるんだ。だから今日の放送分、あとでブルーレイに落として影山さんにあげるから! あと、ネコ太郎の限定ぬいぐるみも、お礼であげるよ。こんなんじゃ割に合わないと思うけど……私には、それくらいしか出来ないから!」


「ははっ……!」


 影山さんは笑った。

 さっきまでの凄みはどこか薄れてる。


「あたしは、陽キャが嫌いなんだよ……。あいつらはバカで、考えなしで、相手の気持ちも考えないで、すぐに『仲間』だ『友情』だ『ファミリー』だって言い出す低脳だからな……」


 松原さんの笑顔が曇る。


「でも、イカれたやろうには興味あるな……。特にてめーみてえな、真性のイカれ陽キャ野郎は……な」


「それじゃあ……」


「限定ぬいぐるみ、絶対だぜ……? あと、ブルーレイは見れねぇから、DVDか、VHSだ」


 VHS? なんだそれ?


「うん、約束する!」


 松原さんの顔に笑顔が戻る。

 頬に少し赤みがさして、柔らかな唇が薄く引き伸ばされる。彼女が何度も頷くたびに、栗色の髪が光の波みたいに揺れた。


 不覚にも僕は、それに見惚れてしまった。



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