一旦家に戻ってから、17時にバス停近くのコンビニ前で待ち合わせた。
僕の隣には松原さん。
ぐるぐる巻きにした長いマフラーの隙間から、白い息が漏れている。
客観的に見て、めっちゃかわいい。
「中で待とうか? 寒いし」
そう僕が提案すると、松原さんは僕の方を向いて、申し訳なさそうに笑った。
「阿部くんは中で待ちなよ。私は……外の方がいいからさ」
そして、背後の大きなコンビニガラスを意識するように、何度かチラ見する。その行動でなんとなく理解できた。
「やっぱり見えるんだね」
「うん、コンビニの中はガラスが多いから……」
松原さんの話では、その赤いやつは鏡やガラスなどに映り込むことで見えるらしい。すぐ背後ではなく、少し離れた位置から、松原さんの行動を監視している――ように感じるらしい。
放課後の教室で、彼女の示す場所を僕と影山さんで見てみたが、そこには何も見えなかった。
『あたしはべつに……霊視能力があるとかじゃねーんだ……』そう影山さんは言う。『陰キャ野郎(悪霊)の放つオーラみたいなのに……共感しているだけ。……ああ、この前のキミコさんみたいな自分を見せたがる野郎は、てめぇらと同じで普通に見えるけどな……』
なるほど、影山さんも幽霊が見えるわけではないらしい。ならば、この前のようなガチンコバトルに持ち込むなら、悪霊には姿を現してもらわないと困る。
どうしようか考えた挙句、とりあえず松原さんがその悪霊に取り憑かれた場所に行ってみよう、と言う事になった。
悪霊を拾ってきてしまったのなら、そいつがいた場所には何か手がかりがあるかもしれない。もしかしたら落とし主さんがいて『それ私が落とした悪霊なんですよーありがとうございますー』で、一件落着するかもしれない。
……いや、さすがにそれはないか。
「監視してるみたいって……その悪霊、松原さんの何を見ようとしてるんだろ?」
一人だけコンビニの中に入るのも気が引けるので、僕も外で待つ事にする。影山さん、現時点で5分の遅刻だぞ……。
「学校帰りに買い食いしてないか、とか?」
無理に作ったような笑顔で、松原さんが言う。
「してるの?」
「たまに」
「まあ、自分のお小遣いの範囲内なら、いいんじゃないかな」
悪行なんて言えないような、どうでもいい行為だ。でも、松原さんがするような不良行為なんて、その程度だろう。
「笑顔が明るくて、誰からも好かれてる松原さんに、やましい事なんて――」
「誰からも好かれてなんて、ないよ」
僕が言い終わる前に、松原さんがかぶせる。彼女の方を見ると、困ったような笑みを浮かべていた。
「そうなの?」
「影山さんにだって嫌われてるだろうし……、小学校の時だって、仲良くなれないまま会えなくなっちゃった子だっているの」
影山さんのアレは、わざと他人に距離を取ってるだけだから……、そう元気付けようとして、やっぱりやめた。
『学校全員と仲良くなりたい』
そんな夢みたいな事を真剣な顔で悩んでいる松原さんに対して、なんも考えてない僕が言える言葉なんて、きっとないと思ったからだ
しばらく無言で灰色の空を眺めていると、道の反対側から影山さんがやってきた。
「15分遅刻だよ」
「うるせーよ……こっちに……調べ……こと……んだよ……」
車や人や風の音でごちゃごちゃした街の中だと、影山さんの掠れた小声は本当に聞き取りづらい。
「ごめんよく聞こえない。ていうかさ、制服のままじゃん」
僕と松原さんは、一応私服に着替えてきたんだけど。
「……そんな事言われたって……、あたしは、制服以外に、外に着てける服がねーんだよ……クソが……」
少し声を張って、影山さんが反論する。その声が少し震えているような気もしたけど、この寒さだからしょうがない。
「でもさ、遅い時間に出歩くわけだから、中学生だってバレたら怒られるんじゃ――」
「これ着なよ」
いつの間にか松原さんが自分のコートを脱いで、影山さんに手渡した。
「はあ……?」
戸惑う影山さん。
「私のサイズなら、影山さんのスカートが隠れるから、制服だってバレないと思うよ!」
「はあ? 他人の服なんて、着れねーよ……」
「いいからいいから」
「あたしが着ると……臭くなるかもよ……?」
「え? 全然そんなことないよ。ほらほら」
松原さんは影山さんの肩に無理矢理コートを被せる。ラクダ色のコートを羽織った影山さんは、なんだか目に眩しかった。いつも真っ黒な格好をしているから、不思議な感覚。
女子同士のいちゃいちゃ(?)なやり取りを、なんだかよくわからないモヤモヤでムラムラした気分で眺める僕。なんとも不健全で、やるせない……。
「よし、みんな揃ったし、行こう」
だから、強引にそのやり取りを切り上げさせて、出発の号令を発した
バスの時間にはギリギリ間に合いそうだ。
* * *
バスのルートと、地図アプリを照らし合わせて、取り憑かれたっぽいおおよその場所は掴めていた。
その手前のバス停で降りて、徒歩でルートを遡りながら、手がかりを探すつもりだ。
時刻はすでに18時。
夏場であればまだまだ明るいけど、冬のこの時期は、夜が駆け足で訪れる。
なんだかドキドキした。
それは、これから悪霊退治に向かうって恐怖もあるけれど、それだけじゃない。
非日常的な時間帯に、女子二人と一緒という非日常的なシチュエーションで、非日常的な場所へと向かう。その非日常感が、不謹慎ながら僕の胸を昂らせていた。
バスの窓を見る。
あれ? 車窓に映る僕の顔って、けっこうイケてるのかもしれない。
通路を挟んで隣のイスに座った松原さんは、ずっと俯いている。車窓にあの赤いやつが映るのが怖いのだろう。
やつの目的はなんなんだ?
襲うでもなく、ただ遠くから、松原さんの行動を観察している。その行動に、なんの意味が?
やがてバスは目当てのバス停に停まった。
「影山さんごめん、ちょっと、手を繋いでもらっていい?」
顔を上げられない松原さんは、手をヒラヒラさせて影山さんにお願いする。
「……ちっ……」嫌々そうな素振りを見せながら、影山さんは松原さんの手を握った。「これで……コートの借りはチャラだかんな……」
バスを降りると、冬の空気に包まれた。商店街から漂ってくる揚げ物の匂いが芳しい。
ここから商店街を離れる方向に歩いていく。数分ほど歩けば、松原さんが赤いやつに遭遇した場所に着くはずだった。
慣れない町の空気は、少なからず僕を不安にさせた。自分の住んでいる町しか知らない僕にとって、ここは未知の世界だ。
そんな僕を気遣ってか、松原さんは歩きながら、この町の思い出を語ってくれた。
松原さんはこの近辺の小学校に通っていて、卒業と同時に僕たちの学区に引っ越して来たらしい。
そして悪霊に取り憑かれたのも、こっちの友人たちと久しぶりに遊んで、その帰りだったらしい。
松原さんはそんなことをポツポツ話す。
そのたびに、首にグルグルに巻いたマフラーの隙間から、漫画の回想シーンのホワホワみたいな息が漏れる。影山さんと交換で着ている黒いジャンパーが、彼女を夜の闇に溶け込ませる。
きっといろんな事があったんだろう。
いい事も、よくない事も。
松原さんが、その思い出の中に溶けていきそうな気がした。
「小学校の時、私のこと嫌っていた子がいたんだ。その子には
自分の罪を懺悔するみたいに、松原さんは言う。
「だから、阿部くんが思うほど、私はちゃんとした人間じゃ無い」
町から外れた海沿いの県道。
車通りのは少なくて、数分おきに1台くらい、大きなトラックがスピードを上げて通り過ぎていく。
日本海から吹いてくる風は、やけに冷たい。
「そんな事ない! 松原さんが、泥棒なんて!」
なんだかしんみりしてきてしまった空気を一掃しようと、僕は無理矢理に声を張る。
「松原さんは誰にでも優しいし、誰にだって笑顔じゃないか! だからみんなに好かれてるじゃん! そんな松原さんはやっぱりすごいよ! 素晴らしいよ! もう最高だよ! そう思うでしょ、影山さん!?」
前を歩く影山さんに問いかける。
無言……。
無言……。
あれ、どうしたのさ! せめていつもみたいな小声でいいから、フォローしてよ影山さん!
「ああ……そうだな、クソが……」
え? なんでそんなに不機嫌そうなの?
そりゃ影山さんは、誰にでも無愛想で、誰にだって仏頂面で、だからみんなに怖がられてるけど……、それに輪をかけて、なんかめちゃくちゃ機嫌損ねてない?
僕はどうしようもなくなって、隣を歩く松原さんを見た。苦笑いの松原さんが何かしゃべろうとして――
『やっぱり、どろぼうだ』
僕と松原さんのすぐ後ろから、声がした。
それは心に直接触れてくるような、冷たい触覚をもった声だった。
そして赤い手が伸びて、松原さんの手を掴む。
血に染まった――真っ赤な手だ。
『かえせ』
そう、繰り返す。
『わたしからとった、だいじなものを、かえせ』
影山さん!
僕は前を歩く影山さんを見た。振り向いた影山さんは、上り始めた月の光を受けて、にやりと笑った。
「やっと、出て来やがったな……」影山さんの背後に、銀色の髪を振り乱した鬼が見える。「さっさと終わらせるぜ……今あたしは、機嫌が悪いんだ……」