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第5話:その偽善くせぇ笑顔のうらがわ③

 誰だって、みんな違った魅力を持ってるんだ。


 いろんな色の魅力があって、その色の違いによって、この世界は鮮やかに彩られているんだ。


 私はそう信じてるの。


 クラスメイトの赤塚あかつか章子しょうこちゃんは、ノートにすごく上手な絵を描くんだ。将来は漫画家になりたいんだって。赤塚さんの友達の、手塚さんや石ノ森さんが言ってたんだ。


 すごくかっこいいなって思った。


 だから、お友達になりたかった。一緒に赤塚さんの描いた漫画を読んで、一緒に笑い合いたかった。

 赤塚さんは私の事、嫌いみたいだったけど……きっといつか誤解は解ける。


 私が、本当に赤塚さんとお友達になりたんだって、いつかきっと、信じてもらえるはず!


「赤塚さん、それ可愛いペンだね!」


 私は今日も赤塚さんの席に向かう。


 ちょうちょのイラストのついたピンク色のペンをノートに走らせていた赤塚さんは、怒った目で私を睨んだ。


 怖かった。


 でも、負けちゃいけないと思った。


 私はみんなと仲良くなりたい。

 みんなで手を問い合い、励まし合って、みんなが楽しい学校にしたいんだ。

 もちろん、赤塚さんとだって――



   *   *   *



「一体何が目的だ……? 赤塚あかつか章子しょうこ……!」


 影山さんが鋭い視線を、俺達の後ろに立っているであろう悪霊に向ける。

 影山さんの背後では、銀色の髪を振り乱した鬼が、今にも襲い掛からんとばかりに荒い息を吐いている。


「赤塚さん!?」


 影山さんの告げた名前に驚き、松原さんは後ろを振り返る。それと同時に僕も――


 そこには、赤い血に塗れた少女が立っていた。


 髪は乱れ、衣服は擦り切れ、左腕は肘から先がちぎれていた。


「!!!」


 声にならない悲鳴を発して、松原さんは後ずさった。僕は一度『キミコさん』を見ているから、なんとかパニックにはならずに済んでいる。でも松原さんはそうじゃない。悲鳴をあげて失神したって、おかしくない。


「そんな、赤塚さん? 本当に、赤塚さんなの?」


 でも松原さんは、退きそうになる足を踏み止め、その赤塚さんという名の悪霊と向き合った。


「陽キャ野郎は……その腐れ陰キャの事を知ってるみてぇだな……」


「知ってるも何も、赤塚さんは私の友達――大事なクラスメイトだよ!!」


「そう。そして、この場所でトラックに轢かれ、亡くなった……な」


 松原さんは両手で顔を覆う。

 俺は影山さんと松原さん、そしてこの悪霊――赤塚さんを交互に見た。


「影山さん、なんでそんな事まで知ってるの?」


 返ってくる言葉はある程度予想できたが、僕は尋ねずにはいられなかった。


「少し気になったからな……ここにくる前に調べて来たんだ……」


「調べたって――」


「そう、ダーク・ウェブ――8ちゃんねるでな……」


 やっぱり予想した通りだった。


「ほら……さっさとそこをどきな……、その赤い陰キャ野郎を、手短かにぶち殺してやる」


「ダメっ!」


 松原さんが叫んだ。

 俺は驚いて松原さんを見る。


「それって、赤塚さんをやっつけるって事でしょ? そんなのダメ!」


「松原さん!」


 松原さんの気持ちはわかる。僕にとってこいつは不気味な悪霊でしかないけれど、松原さんにとっては大事なクラスメイトなんだ。


 でも――


 僕にはこの悪霊が、人畜無害な友人の霊には到底見えなかった。その目は血走り、逸らす事なく松原さんを睨みつけているのだから。


『どろぼう――』


『ゆるさない――』


 そう繰り返しながら、悪霊――赤塚さんは身体を霧のように広げ、松原さんに迫った。

 咄嗟に体が動いてくれた。

 呆然とする松原さんと押し倒して、俺は赤塚さんの突撃の逃れる。


「この状況もわきまえず、またイチャつきやがるとは……てめーマジで、くそスケコマシらしいな……」


「バカなこと言うなよ影山さん! こいつ、やっぱり松原さんを狙ってるよ!」


「んなことはわかってるよ……こいつから憎しみの感情がドバドバ溢れてきやがるぜ……」


 影山さんの背後に浮かぶ銀髪の鬼が、拳を振り上げる。


「章子とかいうマトモな名前をつけてもらえただけで、あたしからしてみりゃテメエはリア充なんだよ!!」


 しかし、振り下ろされた拳は、何もない空間を掠める。身軽に一撃をかわした赤塚さんは、銀髪の鬼の顔に覆い被さる。


「くそっ! 気持ちわりい真似すんなよ!」


 赤塚さんを振り払おうとする銀髪の鬼。

 片手で口元を覆っていた影山さんは、荒い息使いでつぶやいた。


「ちっ……こいつの記憶が……流れ込んできやがる……」



   *   *   *



 手塚さんと、石ノ森さんは、友達だった。

 内気な私にとって、たった2人の友達だった。


 それなのに、あの女――松原ニコリは、私から大事な2人を奪い取ったんだ。


 松原が私たちに絡んでくるようになってから、2人はどんどん、あの女にのめり込んでいった。私のマンガを面白いって読んでくれていたのに、気付いたら2人とも、私よりも松原の周りへ集まるようになっていた。


「松原さんも、赤塚さんのマンガを読んでみたいんだって! だから良かったら、こんどマンガを見せてあげようよ!」


「松原さんがおすすめのマンガを教えてほしいって! 今度4人で本屋さんに行ってみない?」


 2人はあろうことか、私までもあの女の元に引き込もうとして来やがった。あんな女、偽善者に違いない。きっと私の事をバカにして、3人で笑ってるに違いない。


 2人に酷い言葉を投げつけてやったら、それっきり私の席には寄り付かなくなった。クラスの中心で、憐れむような蔑むような目で、クラスの隅っこに座る私を見ている。


 でも、それでもよかった。


 松原に奪われ、洗脳されてしまった2人なんて、友達じゃない。


 それに私には――密かに育んだ、大切な大切が想いがある。


 その彼は、私の家の斜向かいに住んでいた。幼稚園の頃からの顔見知りで、もちろん登校班だって一緒。

 班長として先頭を歩く彼の後ろ姿を、副班長の私はいつも見つめている。そこは私だけの特等席。彼の紺色のランドセルが揺れて踊るたび、私の恋心もまた踊る。


 私は、彼との幸せな恋を願い、それをマンガで描いた。お気に入りの、蝶々柄でピンク色のペンで、彼の輪郭を何度もなぞる。そして、温かな気持ちで眠る。

 そこは誰にも汚されない、私だけの聖域だった。


 それなのに――


 ある日、学校帰りだった私は彼に呼び止められた。


「どうしたの?」


 自分が出来うる最高の笑顔とやわらかな声音を作り、しとやかに小首を傾げ、私は彼を見た。

 彼は頬を赤らめて、もじもじと身体を揺らす。上目遣いのその表情に、私の心は高鳴った。

 きっとこれは、私が夢見た世界への入り口だ。

 これから夢の世界の門が開き、現実を桃色に塗りかえていく。 


 唇が震える。


 胸が締め付けられて、声が出ない。


「あのさ、赤塚って、松原ニコリさんと同じクラスじゃん?」


 嫌な予感がした。


「松原さんって、好きな人……いるのかな?」


 夢にヒビが入る音がする。


「なんで?」


 私の声は、ちゃんと空気を震わせているだろうか?


 何も聞きたくない。

 何も感じたくない。


 それなのに――


「なんでってそりゃ……松原さんって、かわいいからさ、ちょっと気になっちゃって……」


 まただ。


 またあいつは、私から大事なのもを奪っていく。


 友達も、ささやかな望みでさえ……


 気付いたら私は走っていた。彼に何を言ったのか、全くわからない。ただとめどなく流れる涙が、私の視界をぼやけさせ、夢と現を曖昧にしていく。


 許せない。


 絶対に許せない。


 私はあのおんなを――


 やかましい音が私の思考をかき乱す。うるさい、耳障りだ、黙れ、頼むから黙ってくれ。


 私は音のする方を見る。


 巨大な何かが私の前に迫り――



   *   *   *



「だとよ……。なるほど……陰キャ野郎らしい、クソみたいな逆恨みだな……」


 鬼の手が、顔面にまとわりついた赤塚さんの背中を掴み、引き剥がそうとしてる。


「おい陽キャ……てめえがやってきたお節介が、こいつはたいそう気に食わなかったらしいな……これだから考えなしの陽キャは、クソなんだよ……」


「私が……」松原さんは唇を噛み締め、再び口を開く。「ごめんね赤塚さん! 私、あなたをそんなに傷つけていたなんて知らなかったの!」


『ぬすんだ―― ぬすんだ――』


「違う、違うの! 私はただ、友達になりたかっただけなの!」


『うそだ! わたしのことなんて――ほんとはどうでもいいくせに――』


 赤塚さんが松原さんを睨みつけ、そちらに飛びかかろうとした。その首根っこを影山さんの鬼が掴み、ギチギチと離さない。


「クソったれが……」


 キミコさんの時は、一握りで霊体の蛇をねじ伏せたはずだ。でも、今の影山さんは、なんだか苦戦しているようにも見える。


 僕は松原さんに駆け寄り、赤塚さんと彼女の間に割って入る。見上げた赤塚さんの顔は、怒りと憎悪が溢れ、その恐ろしさで眩暈がしそうだ。


 どうする?


 どうすればいい?


 混乱する僕の後ろで、スニーカーが地面を擦る音。


 振り向くと、松原さんが駆け出していた。真後ろの、路肩の土手に鎮座する大きな岩の下――そこに小さなピンク色の何かが見える。


 それは宵闇の中、ヘンゼルとグレーテルが道標に落とした光る石みたいに、ささやかに輝いていた。


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