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第6話:その偽善くせぇ笑顔のうらがわ④

 影山さんの化身である銀髪の鬼は、左手で悪霊『赤塚さん』の首を掴み、再び右の拳を振り下ろそうと構える。


 しかし――


『おまえも、このおんなにぬすまれただろ!? おまえの、きになるおとこ――』


「あああああああ! うっせええええ! そんなんじゃねええええええ!」 


 なんだかわからないけど、真っ赤になって狼狽する影山さん。その隙をついて、赤塚さんは鬼は指をすり抜けた。


 ヤバい!!


 悪霊が向かう先には松原さん。

 土手に鎮座した大きな石の前に屈み込んでいる。


 僕は再び駆け出そうとしたけど、間に合わない。


 逃げて!!


 足がもつれそうになりながらも懸命に手を伸ばし、そのまま無様にすっ転ぶ。

 顔面を覆う、湿ったアスファルトの匂い。


 そして松原さんの悲鳴が――


 聞こえなかった。


 うつ伏せの僕は、恐る恐る顔を上げる。


 松原さんを目の前にしながら、赤塚さんは右手を振り上げたまま動きを止めていた。そして、目の前に掲げられたピンク色の何かを見つめている。


 細長い、ペンみたいな形の何かだ。


 ゆらゆらと揺れる赤塚さんの後ろ姿に、驚きと戸惑いの感情が見え隠れする。


『それは……』


 呼吸を忘れていた事に気付いたみたいな、溜め息のような声で赤塚さんは尋ねる。


「これ、赤塚さんの大事なものでしょ?」


『わたしの、だいじなもの……』


「いつもマンガに使っていたペンだよ。きっと事故にあった時、ここに飛ばされて、忘れられていたんだよ」


 歯をガチガチと鳴らしながら、それでも気丈な笑みを浮かべて、松原さんが言う。


『なんで、それがわたしのぺんだって、しってるんだ……?』


 赤塚さんは、振り上げてい右手を下ろし、呆然とした様子でピンク色のペンを眺めた。


 かつてのクラスメイトから投げかけられた疑問に、松原さんは俯き、重たい息を何度も吐き出しながら、痛みに耐えるような声で言った。


「だって、私ずっと見てたもん……」


 そして松原さんは鼻を啜った。気が付けば、その目には涙が溜まっている。


「わたし、赤塚さんと友達になりたくて、ずっと見てたもん! このペンですごく綺麗な絵を描いてるの、ずっとずっと見てたもん!」


 ギリギリで耐えていた笑顔が、崩壊する。


「それなのに、赤塚さんひどいよ……。なんでいつも私の事を睨むの? なんで殺そうとするの!? 私はずっと、友達になりたかっただけなのに!」


『うそだ! ずっと、みじめなわたしをばかにして――』


「バカにするわけないじゃん! 私は赤塚さんみたいにきれいな絵を描けないもん! 赤塚さんはすごいんだよ!? だから、すごくかっこいいなって、ステキだな――そう思ってたんだよ!?」


『ちがう――』


「違わないよ! 赤塚さんに私のなにがわかるの!? 赤塚さんが死んじゃって、私すごく悲しかったんだからね!? そんなことだって知らないくせに!」


 唾を飛ばして叫び散らかす松原さん。

 その姿はがむしゃらで、みっともなくて、いつも明るい笑顔で周りを元気づけている彼女とは、程遠いものだった。

 でも僕は、この場に立って初めて気付いた。

 彼女もただの中学2年生なんだ。

 大人びていても、陽キャだとしても、僕たちと同じで、まだまだ未熟で不安定な子供なんだ。


「陽キャって輩は……本当にうぜえよな……」


 そのやり取りを聞いていた影山さんが、うざったそうに前髪をかきあげた。黒髪で隠れた大きくて鋭い目が露わになる。


「奴らは、『みんな仲良く』が絶対的な正義だと信じ込んでやがる……。そして、その大義名分を後ろ盾にすりゃ、勝手に他人のテリトリーに踏み込む事だって、正しい事だと決め付ける……。本当にクソだ。そう思うだろ? 赤塚章子……」


 両手を垂らし、困惑した様子で、号泣する少女を見つめる赤塚さん。そんな彼女に、影山さんは言う。


「そういう輩ってのは、偽善くせぇ笑顔の裏で、きっと他人を見下して笑ってるんだよ……。そんなお前の主張は、おおむね正しいと思うぜ……?」


 影山さん、なにを言ってるんだよ!


 語りに割って入ろうとする僕を、彼女は横目で見た。その目がすごく優しく見えたから、僕は言いかけた言葉を飲み込む。


「でもな――」


 影山さんは俯き、照れたように頬を掻く。


「残念ながら――見ての通り、この『松原ニコリ』って女は、どっかイカれてやがるんだ……。偽善くせえ笑顔の裏には、何もねぇ……。友達になりたいって感情以外に、どうやらマジで何もねぇんだよ……」


 そう言って自嘲気味に笑った。


『わたしは、まちがってたの……?』


 声のトーンを落として、血だらけの少女の霊が振り向く。その目には、ゆっくりと歩み寄る影山さんの姿が映っているんだろう。


「正しいか間違ってるかなんて、しらねーよ。生きてる時に感じたお前の気持ちは、お前のもんだ……。それを他人が、正しかったか、間違ってたかなんて、言えるわけねーだろ……」


 影山さんの言葉は冷たい。

 でも、彼女が過去に感じた絶望を『勘違いだった』って否定してしまったら……、それは自責と後悔の念となって、彼女をより深い闇へと叩き落としてしまうかもしれない。


 だからきっと、影山さんは「しらねーよ」とそっぽを向くんだ。


「とはいえ、てめえは調子こいて暴れすぎなんだよ……。陰キャの癇癪ほど、みっともないもんはねーんだ……」


 銀髪の鬼が片手を振り上げーー


「本来いるべき世界で、おとなしくマンガでも描いてる方が、てめえには似合ってる……」


 優しく赤塚さんの背中を撫でる。

 その瞬間、赤塚さんの身体が弾けた。そして光の粒へと姿を変え、夜空へと昇っていく。


 僕は消えゆく光を眺めながらも、横目でちらりと松原さんを見る。涙で濡れたその瞳はに、光の粒が反射していた。


 星のない空に、いくつもの光が吸い込まれていく。


 まるで星が夜空に還るかのように。


「影山さん、私……間違ってたのかな?」


 夜空を見上げながら松原さんが呟いた。

 影山さんも同じように夜空を見ながら、その静けさを確かめるように、言った。


「……しらねーよ」



   *   *   *



 赤塚さんは松原さんを憎んでいて、その憎しみを晴らすために彼女を待っていた。

 たしかに表向きは、そうなのかもしれない。


 でも僕は思うんだ。


 赤塚さんは心のどこかで、自分の大事なものを見つけて欲しかったんじゃないか……って。

 そして、それを見つけられるのは、自分の事をいつも気にかけていた松原さんしかいない、そう感じてなんじゃないだろうか……って。


 本当のことはわからない。


 でも、そんな天邪鬼で、ひねくれていて、でもちょっとだけ温かな裏話があったって、いいんじゃないだろうか。


 だって僕たちはまだ、未熟で不安定な子供なのだから。



   *   *   *



 寒いと思ったら雪が降り出した。


 この町の空は、すぐに泣き出すから困る。


 涙を拭った松原さんは、手の中のペンを指先で撫でている。こびり付いた土汚れが取り除かれて、思い出が少しでも輝くように――


 きゅるるる……


 急に、何かが鳴いた。

 可愛らしい小動物のようなその鳴き声に、僕はついつい目を細めて、うっとりとした溜め息を吐く。なに今の、子ネコ? 子犬? 子フクロウ? めっちゃかわいい声……

 ふやけた顔のまま松原さんを見ると、真っ赤な顔でお腹を押さえている。

 あれ?

 今のって、松原さんの?


「ごめん、お腹すいちゃったみたい」


 かわいい松原さんは、腹の音もかわいいらしい。 


「そろそろ帰ろっか。バス停の近くにコンビニがあったから、唐揚げ棒でも買おうよ」


 松原さんの恥ずかしさを誤魔化すように僕は言う。


「そうだね、私は肉まんにしようかな」


「おい……そんな悠長なこといってられねーぜ……?」


 影山さんが腕時計を見る。

 あわてて僕も時計を確認する。あ、バスの時間がヤバい。

 田舎のバスは1〜2時間に1本しかない。ましてや日も沈みきっているこの時間帯は、次のバスを逃したら何時に帰れる事やら……。


「さっさといくぞ……スケコマシ、陽キャ……」


 すぐに踵を返す影山さん。


「影山さん!」


 そして、それを呼び止める松原さん。


「ああ……?」


 振り返った影山さんが苛立たしげに唸る。


「私の名前、知ってるよね?」


 松原さんが尋ねる。


「しらね……」


 影山さんは興味なさげに適当な返事をする。


松原まつばら仁瑚里にこりって言うんだよ」


「あっそ……」


「私の事は、陽キャじゃなくて……ニコリってよんでよ」


 松原さんに笑顔が戻っている。

 でも、上目遣いに影山さんを見るその表情は、どこか緊張しているようにも見える。


「やだよ……さっさといくぞ」


 それを無視して数歩進んだ影山さんは、立ち止まり、振り返る。


 松原さんはとぼけた表情で、そっぽを向いている。

 どうやら動く気はないらしい。


「おい、陽キャ……?」


「……」


「くっそ……松原、サン……?」


「……」


 影山さんが舌打ちする。

 そして松原さんに背を向けると、海風にかき消されそうなほどか細い声で、言った。


「帰ろう……ニコリ……」


 松原さんのぎこちない笑顔が、破顔する。


「うん! 今日はありがとう、!」


 顔を真っ赤にしてスタスタ歩く影山さん。


 その後ろをピョコピョコついていく松原さん。


 そして僕は、そんな2人の様子を眺めながら、なんでか知らないけど自然と笑顔がこぼれていた。


 そう、これはあれだ――気難しい野良ネコと、天真爛漫な小型犬が、夜の海沿いを仲良く散歩してる絵面だ。

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