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第8話:服を買いに行く服がねぇんだよ②

 他人は嫌いだ。


 特に、群れを作った他人どもは、不気味で、冷たくて、恐ろしくて……大嫌いなんだ。


 やつらは集まると、ベタベタと凝り固まって、赤黒くてブヨブヨのスライムみたいなモンスターへと変貌する。


 そして、いつも教室の隅にいる――あたしみたいな邪魔者を、押し潰そうとしてくるんだ。



   *   *   *



「ごめんね蕪太郎かぶたろうさん、大事なデートの邪魔しちゃって」服部さんは嘲笑の顔を崩さない。「でも、私たちもびっくりしちゃったのよ。友達と遊んでて、幽霊に出くわしたら、びっくりしちゃうでしょ。ね? さん」


 僕は、服部さんがわざと影山さんの下の名前を連呼している事に気が付いた。


 影山さんは自分の名前を気に入っていない。親から適当につけられたおかしな名前を、生まれた時からの呪いみたいに忌々しく思っている。

 服部さんはそういう人の弱みにすぐ気付く。親しい人に『優しさ』として向ければ、それは彼女の魅力になるだろう。でも嫌いな人へ『攻撃』として向ければ、切れ味鋭い刃にもなる。


 服部さんの周りのクラスメイト達も、服部さんの感情に同調するみたいに、不気味な嘲笑を浮かべていた。

 一人一人の顔を見て、僕は言葉を失った。みんな同じように、口の端が不自然な角度に吊り上がっていて、笑っているはずなのに、笑っていない……。


 背筋に寒気が走る。

 こんな表情のクラスメイト達を、僕は初めて見た。


 そしてこれが、影山さんがいつも見ている世界なんだって気付いた。

 自分に向けられる、たくさんの悪い感情。怖いとか、不気味だとか、幽霊だとか――そうい嫌な視線をを一身に受けながら、影山さんはいつも教室の隅に座ってるんだ。


 影山さんは何も言い返さず、ただ俯いている。

 怒りを我慢しているのかもしれないし、怯えているのかもしれない。

 前髪で隠れたその顔から、気持ちを読み取る事は難しい。でも、黒くて重たい感情が心を満たしているだろうってのは、鈍感な僕にだって想像がつく。


 こんなの、絶対おかしい。

 なんだか腹が立ってきた。


「服部さん」


 気が付くと、僕は服部さんに向かって一歩踏み出していた。


「服部さんが、今こうして遊んでられるのも、影山さんのお陰なんだよ」


 そう、服部さんの呪いを解いてくれたのは、影山さんなんだ。そりゃ『キミコさんがムカつく』っていう私怨が発端ではあったけど、結果的に影山さんは服部さんを救っている。


「それに影山さんは、すごく優しいんだよ。ちょっと声が小さくて、口が悪いから、気付いてもらいにくいけど……」


 そうだよね、影山さん。

 僕に対する暴言も、ちょっとした照れ隠しなんだって、マジで信じているからね。


「はあ? 意味わかんない!」服部さんが首を横に振る。「こんな幽霊みたいなやつのどこがいいの?」


「どこがいいとかわるいとか、そういうのじゃないだろ? なんでそんなに、影山さんを目の敵にするのさ。僕としては服部さんが言ってる意地悪の方が、意味わかんないよ」


 そう僕に返されて、服部さんは歯をギリギリ言わせる。そして僕の隣で俯いている影山さんを指差し、声を荒げて言った。


「阿部くんはね、いちおう私の元カレなんだよ!? 元カレがこんな幽霊みたいな子と付き合ってたら、私まで同レベルみたいに思われちゃうじゃん! それがムカつくの!」


 は?

 なにその理由。

 その言い分が理解できず、僕は唖然とする。

 影山さんを見た。小さな手が、紺色ジャージの太ももあたりを強く握っている。


 胸が、締め付けられるように痛い。


「僕と影山さんは、そんなんじゃないよ……」もう一度服部さんを見て、僕は語気を強める。「でもさ、すごく大事な友達だって思ってるから」


「それが嫌だって言ってんの!!」


 僕の視線と、服部さんの視線がぶつかり合い、火花を散らす。その辺にダイナマイトが転がっていたら、確実に着火すると思う。


 そこに――


「ごめーん! かぶちゃん、阿部くん、お待たせー!」


 陽キャの星である松原さんが戻ってきた。


「あれ? 絵里に、山川くんに、まっちんに、涼子に、さとやんに、みーちゃん? 奇遇だねー!」


 一人一人に声をかけながら、松原さんは嬉しそうに飛び跳ねる。

 この人は、この一触即発のピリついた空気感に気付いていないのだろうか? それとも、気付いていて無視しているのだろうか?


「ニコリ? 何でここに……?」


 服部さんが訊ねる。


「何でって――かぶちゃんや阿部くんと買い物だよ?」


 皆が俺たち2人と、松原さんを交互に見る。そりゃそうだ。陰キャの影山さん(そして僕)と、陽キャの松原さんが一緒に仲良く買い物だなんて、信じられないだろう。

 2週間前の僕だって、そんな未来が来ると聞かされたら、きっと信じられない。


「かぶちゃん! 3000円で服を選んでみたから、試着室行こ! 予算内に収めるの、めっちゃ大変だったよー」


 松原さんは、強引に影山さんの手を引き、その場を離れようとして――振り返る。


「あ、みんなも見てみる? きっと、びっくりすると思うよ」


 松原さんは笑ってる。

 でもその目の奥には、何か得体の知れない炎が燃えている。



   *   *   *



 更衣室の中からヒソヒソ声が聞こえる。


『え、やだよこんなの……似合わねーよ……』


『大丈夫だって、私のセンスを信じて!』


『ていうか……お前がいる前で、脱ぐの……?』


『じゃあ、かぶちゃん、後ろのボタン、自分で出来る?』


『いや、ううん……』


 ゴソゴソ


『うわぁ、かぶちゃんって、肌キレイだね。白くて、アナ雪のエルサみたい』


『うっせえよ……やめろよ……外に聞こえんだろ?』


 腕組みをして不機嫌そうに待つ服部さん。興味なさげなクラスメイトの面々。不本意とはいえ、松原さんの提案をむげに断るのは気がひけるらしい。

 そして僕はといえば、更衣室内の光景を想像してしまい、なんかモゾモゾした気分になっていた。


『できたー! やっぱり似合うー! かぶちゃんって、こういう女の子らしいのも似合うと思ったんだよね! すごいでしょ、私のセンス! そしたら、私の髪留めで前髪をとめて……』


 途中から松原さんのはしゃいだ声しか聞こえなくなる。くそっ! 中で一体どんな光景が繰り広げられているんだ?


「あ、着替え終わりましたー! お披露目いきまーす!」


 カーテンの隙間から松原さんが顔を出した。イタズラっぽい笑みが、男子連中の目を釘付けにする。もちろん、その中には僕も含まれている……。


 松原さんはカーテンの隙間から3本指を出して、カウントダウンを開始――


「3、2、1、開店!」


 勢いよくカーテンが開かれる。


 そこには――黒髪の美少女がいた。


 影山さんは、目にかかる長い前髪を流して髪留めでとめていた。いつも隠れている黒くて大きな目が露わになると、それだけで白百合が咲いたみたいな慎ましい華やかさがある。

 それに合わせた、淡い水色に白い花柄のワンピース。しなやかな体の曲線を、ゆるやかな服のラインが包み込む。

 中学生らしいはつらつとした可愛らしさとは違う、どこか物憂げな大人びた美しさ。

 女の子って、服装と髪型だけでここまで変わるのか?

 胸がドキドキする。

 口から心臓が飛び出しそうだ。


「どう? かぶちゃんって、実はすごいんだよ?」


 なぜか自慢げに胸を張る松原さん。


「……はあ? た、大した事ないし」服部さんは明らかに動揺している。「だって、なんか陰気臭いじゃん。ね、みんなもそう思うでしょ?」


 両脇のクラスメイトに同意を求めるも、女子は服部さんから目を背け、男子は影山さんに釘付けになっている。その反応が、クラスメイトたちの評価を物語っていた。


「阿部くん、どう?」


「え、いや、その……」


 松原さんから意見を求められ僕はまごつく。そりゃ、影山さんがそこそこかわいいって事は知ってたさ。でも、これは反則でしょ……。


「えっと、すっごい、似合ってる……と思う……」


「!!!!」


 その瞬間、影山さんの頭が爆発した――ように見えた。


「うっせええええええ! このスケコマシがああああ! あたしはだまされねえぞおおおお!」


 叫び声と一緒に、勢いよくカーテンが引かれる。


『ちょっと! どうしたのかぶちゃん!?』


『うっせええ! もう脱ぐ! これ脱ぐからな!』


『あ、暴れちゃダメだよ! カーテンが開いちゃう――』


『うああああああ……』


 中のドタバタでカーテンがひらめく。その隙間から、影山さんの水色のパンツが見えたような気がした。

 僕はもう、色々あって、なんかダメだ。



   *   *   *



 2人と別れて、あたしは自転車を押しながら歩道を歩いた。

 自転車のカゴには袋に包まれたワンピース。初めて買った、女の子らしい洋服だ。それに、スケコマシもニコリも『似合う』って言ってくれた。どうせお世辞だろうけど、悪い気はしない。


 今日の出来事を一つ一つ思い出す。


 自然と頬が緩んでしまう自分がイヤだ。


 歩き慣れた住宅街を通り、最近建てられた新築の家の横を曲がる。途端に家並みが色褪せ、錆が目立つトタン壁の借家がいくつも並んでいる。

 そのうちの一つに自転車を止め、ドアの前でため息を吐いた。


 入りたくない。


 でも、玄関の前にぼけっとつっ立っていても、時間だけが無駄に過ぎていく。


 ドアを開けた。

 タバコの臭いが溢れてきた。


 逃げるように廊下を走り、突き当たりの自分の部屋へ向かう。


「おい、かぶ」


 ゴミ袋みたいにガサガサの掠れ声。吐き気がするほど聞き慣れた声。

 あたしは立ち止まる。

 でも、声がする方には振り向かない。


「3000円やっただろ。タバコ、買ってきたよな?」


 クソ親父は性懲りも無く、いつものようにタバコをねだる。


「うるせえよ……これは、お母さんがあたしのために残してくれた金だなんだ……服ぐらい、買ったっていいだろ……」


「服? そんなものに使ってしまったのか? なんて、くだらない……」


「テメーのタバコよりはましだろクソ親父!」


 あたしは自室に駆け込んで勢いよくドアを閉めた。

 親父はそれっきり何も言ってこない。

 あいつは自分自身にしか興味がないんだ。自分の娘にも、娘が何に金を使ったかも、さしたる興味を持っていない。


 ゴミ袋で作った人形と暮らしているようなものだ。


 あたしは湿って潰れた敷布団に座る。

 買ってきたワンピースは……袋から取り出す気にもなれなかった。



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