影山さんの『陰の気』に呼応し出現する銀髪の鬼。
いわゆる『鬼』というイメージを具現化したような筋骨隆々で猛々しいのその姿は、小柄で細身の影山さんとは似ても似つかない。
そして、その姿が影山さんの中に渦巻く陰の気を投影したものなのだとしたら……それは、とても悲しいことなのかもしれない。
僕に背を向ける影山さん。
その後ろに佇んでいる銀髪の鬼。
カマキリに噛みつかれた首元の傷から、破片のようなものが落下し、小さな音を立てた。
「あれ? 影山さん」
「なんだよ……」
「影山さんの鬼が……」
そこから先の言葉は、急激な鬼の崩壊によって堰き止められ、出てこない。落下する破片はどんどんその数を増し、鬼のシルエットがどんどん崩れていく。
影山さんは振り向き、自分の生み出した銀髪の鬼を見上げた。そして、困惑の表情を浮かべる。
鬼が壊れていく?
あのカマキリの攻撃が致命傷だったのか?
僕と影山さんは顔を見合わせる。
「ああああ……かぶちゃんの鬼が崩れてくぅ……」
そこに松原さんが駆け寄って、三人で崩れゆく鬼を呆然と眺めた。事態を全く飲み込めない僕らには、その崩壊をただ呆然と眺めるしかなかった。
鬼の外皮が崩れたところから、白い光が漏れ出す。その光は徐々に弱まり、その中に別のシルエットを浮かび上がらせる。
身体中の破片が全て崩れ落ちた。
光は更に弱まり、やがて消える。
そこには、銀髪の女の鬼が立っていた。
長い銀髪の隙間から伸びた2本の角。細身だけど大人の女性らしい丸みを帯びた身体は、黒い焔のような布地で覆われていた。強者の貫禄はある。でも、今までの鬼のような全てを壊し尽くすような力強さ弱まり、代わりに理性的な雰囲気が漂っていた。
「鬼が……変身した?」
答えを求めるように僕は影山さんを見るけど、影山さんも『よくわからない』と言いたげな様子で、傍に立つ鬼を見ながら呆然と首を横に振った。
「すっごくキレイ。かぶちゃんのお姉さんみたい」
松原さんがウットリとした声でトロリと呟く。
やがて銀髪の鬼は、霧のように消えていった。
あとには夜と、静寂だけが残った。
予期せぬ事態の連続で混乱した僕らは、置き物みたいにその場に佇んで、鬼が消えていった空間をただただ見ていた。
影山さんの心の『陰』が鬼の姿で出現しているのなら、ムキムキマッチョから美しい女性へと変貌したあの姿は、一体何を意味しているのだろう。
地面を抉るような荒れ狂う大嵐が、大地を泥濘ませる大雨に変わった。そこに、どんな意味が隠れているのだろうか。
考えてみたけど、僕なんかにその意味がわかるわけもなく――
アラームが鳴った。
そこで我に帰った僕は、時計を確認する。
9時50分。
ヤバい! 小田さんの推しVtuberのライブがそろそろ終わる時間じゃないか!
ライブが終わった小田さんは、イヤホンとスマホを放り投げ、イヤイヤながら校内の巡回を開始するに違いない。
校舎をウロウロしてるところを見つかったら、絶対に大事になる!
「みんな! 目的は果たしたし、急いでここを離れよう! 時間がない!」
「あ、え? もうそんな時間?」
「……ちっ、最後までドタバタだな……」
走り出した僕と、その後ろを慌てて追いかける松原さん。影山さんも面倒臭そうに早足で歩き出す。
その時――
『おい!』
急に呼び止められ、僕は反射的に身をすくませた。
え、小田さん!? ちょっと業務への復帰が早くない? なんでこういう時だけ真面目なの!
「すみません! これには訳があって!」
振り返ってブンブンと頭を下げる。ブンブン振りながらも薄目を開けて、怒った顔で僕達を睨んでいであろう小田さんを探す。
そこには誰もいない。
「あれ?」
今の声は――
『ここまでボコボコにしといて、俺を放っとくわけねえよな?』
再び声がした。
なにこれ幻聴? こわい……
「阿部くん、足もと足もと!」
松原さんが大きな目を更に見開いて、僕の足元を指さしている。相変わらずかわいいな。いやそうじゃなくて……僕は松原さんが指差す先を見る。
そこには小さなカマキリがいた。
いや、さっきまでバカでかいカマキリとバトルしてたから感覚がおかしくなってる。このカマキリは別に小さいわけじゃない。これが普通サイズだ。
『中途半端に成仏させやがって。どーすんだよ』
「え、さっきのお化けカマキリ?」
僕は開いた口が塞がらない。
『そうだよバカヤロウ。俺のハーレムへの執着は、どうやら並大抵のもんじゃねーらしいな。中途半端に欲望が残っちまったから、中途半端な成仏になっちまったみてーだ』
「なに、そういうもんなの?」
カップの底に溶け残ったコーヒーじゃあるまいし。
「じゃあ……今すぐ完全に、成仏させてやろうか……?」
影山さんがカマキリを見下ろす。
『あ、いや、勘弁してくだせぇ、
こいつ……影山さんには低姿勢だ。上下関係というものがわかっているらしい。ムカつくけど。
『俺、わかったんすよ。このサイズならメスと交尾出来るし、悪霊パワーでメスに食い殺される心配もない。ハーレムも可能なんじゃねーかって』
「はあ……?」
影山さんは不機嫌そうに首を傾げる。
『でも、生憎今は冬……未来のハーレム要員も、今は卵の中じゃないですか。加えて、この小さい身体じゃ前以上に寒さが身に染みましてね。姐さん、ベルクマンの法則って知ってます』
「しらねーよ……」
『はあ、すいやせん。いずれにせよ、こうなってしまたった以上、どなたかの家に置いて頂き、繁殖期まで匿ってもらわないと……。というわけだから、おい童貞、お前のところに俺を置いてくれ」
うわっ、僕に話す時だけ敬語から切り替えてくるよこいつ。めんどくせえやつ。
でもたしかに、繁殖の本能を達成できないまま死んでしまったコイツにはちょっと同情してしまう。僕がもし
でも、悪霊なんだから交尾できたところで繁殖は出来ないんじゃないか? まあ、コイツただヤりたいだけみたいだし、深く考えてないんだろうな……。
そんな事をごちゃごちゃ考えていると、時刻は10時5分前!
僕は迷う。
正直めんどくさい。
でも、このままこのカマキリを放置してしまったら、どっかの小学生の家に上がり込んで悪事を働くかもしれない。そしたら、せっかく事件を解決したのにまた別の問題が発生しちゃう。
ええい、ままよ!
「とりあえず、ちょっとだけだからね!」
僕はカマキリを掴んで肩に乗せた。
『そう来なくっちゃ! 不測の事態に対応できる適切な判断力! てめーちょっとは見込みあるぜ?』
「うるさい。みんな急ごう!」
僕達3人(+1匹)は頷き会うと、再び夜の廊下を駆ける。
* * *
校舎の時計の辺りから、校庭を駆け抜けていく3人を見下ろす人影が1人。
それはスーツを着た、若くて小柄な女性だった。
『カマキリにつけられた校舎の傷、全部直せた?』
女性のカバンにぶら下げられた、かぼちゃ頭の人形が尋ねる。
「たぶん、大丈夫……だと思います」
スーツ姿の女性は、自信なさげに頷く。
『いやぁ……小学校での、悪霊による傷害事件。放っておけないから急いで駆けつけてみたけど、まさかあんな子供達が解決しちゃうなんてね』
「……仕事残して来ちゃったから、明日はてっぺん過ぎ確定ですよ」
『なんなら俺も手伝うから。身体は動かないけど、頭脳労働ならなんとか……』
「ありがとうございます……タカハシさんやさしいです」
小学校の屋上で明日の残業について嘆きあった二人は、閑話休題とばかりに大きな溜め息をひとつ吐いた。
『それにしても、あの小さな女の子の能力、あれヤバくない?』
「ものすごいパワーでしたけど、ものすごく不安定でした。精神面と直結しすぎてるというか……あの年頃の女の子にあの力は、危ういです」
『あの子の身が危険って事?』
「それもありますし……場合によっては、周りを傷つけてしまう可能性も――」
そう言って、社畜の魔女『三浦ハナ』は、三人の子供達が消えていった宵闇をじっと見つめるのだった。