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第42話 イケないことなのに……



「すぅ……」


 目の前には、椅子に座ったまま眠っているハルキの姿がある。

 今この場所には、私とハルキ以外は誰もいない。部屋を見に行った聡も、すぐに戻っては来ないだろう。


 静かなリビング。そこに、ハルキの寝息だけが響き渡る。

 いや、聞こえるのはハルキの寝息だけではない。私の心臓が、うるさいくらいに音を鳴らせて動いている。


 でもこの音はきっと、私以外に聞こえることはない。


「は、ハルキー?」


 つい先ほどまで、ハルキは起きていたのだ。

 だからまだ寝たばかり。私は、そっとハルキに声をかけた。


 ……ハルキの反応は、ない。


「は、ハルキ……?」


 今度は、手を伸ばして……ハルキの肩に、そっと触れる。

 別に、ハルキを起こしたいわけではないのだ。ハルキが本当に寝ているかの、確認だ。

 だから、軽く。軽く肩を、揺する。


 ……ハルキの反応は、ない。


「……本当に、寝てる、の?」


 これまで、ハルキのいろんな表情を見てきた。

 再会する前も、再会してからも。笑った顔、嬉しそうな顔、ちょっと不機嫌そうな顔、悲しそうな顔……いろんな表情を、見てきた。


 でも……眠っている顔を見たのは、初めてだ。


「すぅ……」


 規則正しく、ずっと聞いていたいと思える寝息。

 本当に、男の子のようにも女の子のようにも見える顔。女の私から見ても、きれいだって思うもん。


 でも、こうしてじっと見つめていると……女の子なんだと、わかる。閉じられた瞼。まつげ、長い……きれいに整っている。

 所々が、やっぱり女の子だ。


「むにゃ……」


 ふと、ハルキが口を動かした。まるで、なにかを食べている夢でも見ているかのように。

 なんだかおかしくって、くすっと笑ってしまう。


 こんなに無防備で、安心しきっているハルキを見ていると……微笑ましい気持ちと、もう一つ別の気持ちが生まれてくる。

 イケないことなのに……ハルキに、手を出してしまいたいという、気持ち。


「……」


 ゆっくり、視線を動かした。ハルキの顔全体……目、鼻、耳……と見つめていた目線は、ついにハルキの唇へと到達した。


 ぷっくりとした、小さな唇……吐息を漏らし、吸い、少し動いている。

 リップを塗っているのだろうか、少し艶がある。それが妙に色っぽい。


 唇……すぅ、すぅと小さな声を漏らすのみ。それは、寝ているハルキにとっては自然の行為で……でも、どうしてか目が引き寄せられる。


 そっと、自分の唇に手を伸ばし、指先で触れた。


「……ん」


 それは果たして、どちらの唇から漏れた声だったのだろうか。


 トクトク……と、心臓が高鳴っているのがわかる。身体が熱くなっていくのがわかる。

 無防備なハルキを前に、イケない気持ちが湧き上がってくる。


 ゆっくりと、身を乗り出す。ハルキとの距離を縮める。


「すぅ……」


「……ハルキ」


 小さく、名前を呼んだ。近い。ハルキの寝息が、さっきよりも大きく聞こえる。

 座っているハルキを見下ろしている形になっている私は、そっと手を伸ばした。


 ハルキの髪に、触れる。短く、サラサラの髪だ……私の長い髪とは、対称的の長さ。

 男の子みたいだなと思って。小さい頃は、活発な様子と髪型にすっかり騙された。


「ハルキ……起きない、の?」


 それは、なんの確認だったのだろう。

 髪の毛に触れ、撫で、そして指先でつまみ……そうして弄っていた私の手は、ハルキの頬へと触れていた。


 ……柔らかくて、すべすべの肌だ。私は、お肌をきれいに保つためにそれなりに努力はしている。でも、ハルキはどうだろう。

 スマホを夜遅くまで見ていると言っていたし……もしなにもしていないでこれなら、少し嫉妬しちゃうな。


 本当……妬いちゃうくらい、きれいな顔。かっこよくて、かわいくて……


「……ハルキ……」


 私はまたぼそっと、ハルキの名前をつぶやいた。

 今度は、ハルキが起きていたとしてもこの距離で聞こえるだろうか……というくらいの声量で。


 そのきれいな顔を見ていると、小さくて色気のある唇を見つめていると……


「……っ」


 いつの間にか呼吸も忘れ、口の中に唾液が溜まっていた。だから、それを一気に飲み込む。

 ごくり、と喉の奥から、音が鳴る。


 唾を飲み込み、それから……自分の唇を、舐めた。視線は、ハルキの唇に向いたまま。

 私の身体はまるで、吸い寄せられるように……自分の意思に反して、勝手に動いてしまう。

 ゆっくりと、でも確実に……さらにハルキとの距離を、詰めていく。


 顔が、近い。近くなっていく。それは私が自分から顔を近づけているからだ。


「……ハル、キ……」


 私はいったい、なにをしようとしているのだろう。

 そんな僅かな理性は、けれど別のものであっという間に塗りつぶされていく。


 ハルキの頬に手を添えたまま……視線はハルキの唇にあるままに、その距離が縮まる。

 ハルキの吐息を、感じる。きっと私の吐息も、ハルキの口元にかかっている。


 このままだと、私はハルキと…………そんなことはわかっているのに、動きが止められない。


 ……ハルキの唇に、私の唇が……触れようと、している。

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