一階に駆け下りて、庭に走る。勢い任せに納屋を開けば、リリーは蹲り、鶏糞や牛糞にまみれて泣きじゃくっていた。
「リリー!」
「ティア、ティアナ、お嬢様……っ!」
「なんてひどいことを……! リリー、立てる? 私に掴まって──」
「いけません、お嬢様まで汚れてしまいます! これくらいの汚れ、灰汁を使えば水魔法でなんとか落ちますから。だからもう、お部屋に──」
「馬鹿を言わないで、こんなあなたを放っておけるわけがないでしょう! 第一、なんであなたがこんな目に遭わなきゃならないの」
汚れてしまった頬を手布で拭っても、汚れも臭いも全然取れない。なんだか、私まで泣きそうになってきた。
昨日私がリリーを連れて行ったのが、そんなに気に食わなかったんだろうか。
「ごめんねリリー、私があなたに、私用を手伝わせたせいで」
「ティアナお嬢様のせいじゃありません。みんな、私の顔が気に入らないって」
「顔!?」
「はい。このお屋敷にお仕えするには、顔が汚すぎるって。……治癒師にかかるべきだと分かってはいるので、こちらでお給金をいただけたら行こうと思っていたんです。でも暖かい時期になると肌が痒くて我慢できず、ポロポロ皮が落ちることもあって。それが汚いって」
「……そんなの、落ちているのを見たこともないわ。いつも塵一つ落ちてないじゃない。リリーはきっと、自分で綺麗に掃除してるんでしょう? そんなのただの言いがかりで」
もっと色々頭に浮かんではいたけれど、途中で言うのを止めた。
たぶんリリーを前から気に入らなかった事実はあるんだろう。でも私がリリーを気に入ってしまったのが、最後の背中を押してしまったような気がする。
だとしたら、リリーが泣いている責任は、私にもある。
いい治癒師にかかれるよう、お給料を上げることはできる。だけど、もしこの悩みを根本的に、おばあ様の急死を回避するように、治せるのなら。
何度も治癒師にかかるより、そっちの方がいいに決まってる!
「私、リリーの肌を綺麗にしたい」
「え?」
頭の中に、草が浮かぶ。花が咲いているものと、咲いていないもの。
そしてその草の使い方も、私の中ではっきりと理解できた。
「……ねえリリー、侍女部屋では浴室はどういうもの? 浴槽はある? ご実家には?」
「両方、浴槽はあります。でもここじゃ、今は水浴びだけだと聞いています。冬には浴槽にお湯を溜めるらしいんですが」
「そう、分かった。なら二週間、私を信じてくれる?」
「二週間ですか?」
「うん。今から二週間、リリーに休暇を命じます」
「え!?」
「勘違いしないで、解雇とかじゃないの。あなたを助けたいだけ。──私の言うことをよく聞いて、信じて従ってちょうだい。いい?」
リリーはきっと、理解が追いついていなかったと思う。だけど戸惑いながらも頷いて、水魔法で洋服ごと体を洗ったあと、私がその場で書いたメモを手に屋敷をあとにした。
侍女たちは、リリーが実家に逃げ帰ったと思ったのかもしれない。
この日とその翌日、妙に清々とした表情で私とおばあ様のお世話に精を出してくれた。
まぁ私は彼女たちがリリーにしたひどい行為を知っているから、ちょっと腹は立ったけれど……今に見てろと、ほくそ笑む気持ちもある。
リリーが本当に私の言葉を、あの時頭に浮かんだ知識を信じてくれたなら、休暇明け、あの子の肌は見違える状態になっているはず。
そしてこの計画が無事に成果を見せたなら、私にもこれが、真に神から授かったものだと納得できるかもしれない。
そんな淡い期待を抱いたまま二週間が経過し。ついにリリーが仕事に復帰する日が来た。
すでに屋敷には入っているのか、侍女や執事たちがざわめいているのが分かる。だけどこのざわつきは、逃げ帰ったと思っていたリリーが帰ってきたからって理由からかもしれない。
過剰な期待はせず、深呼吸をして挨拶に来てくれるのを待つ。
そんなとき、四度扉がノックされた。
「ティアナお嬢様、リリーです。本日戻りました」
「っ、待ってたわ! さぁ、どうぞ入って!」
私の頭に浮かぶこれが、神の恩寵かただの妄想か、今日でやっとはっきりする。
蝶つがいの音を響かせてゆっくりと開いていく扉の向こうを、私は祈る気持ちで見つめた。