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第8話

 一階に駆け下りて、庭に走る。勢い任せに納屋を開けば、リリーは蹲り、鶏糞や牛糞にまみれて泣きじゃくっていた。


「リリー!」

「ティア、ティアナ、お嬢様……っ!」

「なんてひどいことを……! リリー、立てる? 私に掴まって──」

「いけません、お嬢様まで汚れてしまいます! これくらいの汚れ、灰汁を使えば水魔法でなんとか落ちますから。だからもう、お部屋に──」

「馬鹿を言わないで、こんなあなたを放っておけるわけがないでしょう! 第一、なんであなたがこんな目に遭わなきゃならないの」


 汚れてしまった頬を手布で拭っても、汚れも臭いも全然取れない。なんだか、私まで泣きそうになってきた。

 昨日私がリリーを連れて行ったのが、そんなに気に食わなかったんだろうか。


「ごめんねリリー、私があなたに、私用を手伝わせたせいで」

「ティアナお嬢様のせいじゃありません。みんな、私の顔が気に入らないって」

「顔!?」

「はい。このお屋敷にお仕えするには、顔が汚すぎるって。……治癒師にかかるべきだと分かってはいるので、こちらでお給金をいただけたら行こうと思っていたんです。でも暖かい時期になると肌が痒くて我慢できず、ポロポロ皮が落ちることもあって。それが汚いって」

「……そんなの、落ちているのを見たこともないわ。いつも塵一つ落ちてないじゃない。リリーはきっと、自分で綺麗に掃除してるんでしょう? そんなのただの言いがかりで」


 もっと色々頭に浮かんではいたけれど、途中で言うのを止めた。

 たぶんリリーを前から気に入らなかった事実はあるんだろう。でも私がリリーを気に入ってしまったのが、最後の背中を押してしまったような気がする。

 だとしたら、リリーが泣いている責任は、私にもある。

 いい治癒師にかかれるよう、お給料を上げることはできる。だけど、もしこの悩みを根本的に、おばあ様の急死を回避するように、治せるのなら。

 何度も治癒師にかかるより、そっちの方がいいに決まってる!


「私、リリーの肌を綺麗にしたい」

「え?」


 頭の中に、草が浮かぶ。花が咲いているものと、咲いていないもの。

 そしてその草の使い方も、私の中ではっきりと理解できた。


「……ねえリリー、侍女部屋では浴室はどういうもの? 浴槽はある? ご実家には?」

「両方、浴槽はあります。でもここじゃ、今は水浴びだけだと聞いています。冬には浴槽にお湯を溜めるらしいんですが」

「そう、分かった。なら二週間、私を信じてくれる?」

「二週間ですか?」

「うん。今から二週間、リリーに休暇を命じます」

「え!?」

「勘違いしないで、解雇とかじゃないの。あなたを助けたいだけ。──私の言うことをよく聞いて、信じて従ってちょうだい。いい?」


 リリーはきっと、理解が追いついていなかったと思う。だけど戸惑いながらも頷いて、水魔法で洋服ごと体を洗ったあと、私がその場で書いたメモを手に屋敷をあとにした。


 侍女たちは、リリーが実家に逃げ帰ったと思ったのかもしれない。


 この日とその翌日、妙に清々とした表情で私とおばあ様のお世話に精を出してくれた。

 まぁ私は彼女たちがリリーにしたひどい行為を知っているから、ちょっと腹は立ったけれど……今に見てろと、ほくそ笑む気持ちもある。

 リリーが本当に私の言葉を、あの時頭に浮かんだ知識を信じてくれたなら、休暇明け、あの子の肌は見違える状態になっているはず。


 そしてこの計画が無事に成果を見せたなら、私にもこれが、真に神から授かったものだと納得できるかもしれない。


 そんな淡い期待を抱いたまま二週間が経過し。ついにリリーが仕事に復帰する日が来た。

 すでに屋敷には入っているのか、侍女や執事たちがざわめいているのが分かる。だけどこのざわつきは、逃げ帰ったと思っていたリリーが帰ってきたからって理由からかもしれない。

 過剰な期待はせず、深呼吸をして挨拶に来てくれるのを待つ。



 そんなとき、四度扉がノックされた。



「ティアナお嬢様、リリーです。本日戻りました」

「っ、待ってたわ! さぁ、どうぞ入って!」


 私の頭に浮かぶこれが、神の恩寵かただの妄想か、今日でやっとはっきりする。

 蝶つがいの音を響かせてゆっくりと開いていく扉の向こうを、私は祈る気持ちで見つめた。

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