短大を卒業して4度目の春が来た。
社会人4年目、24歳にもなると毎年少しずつ後輩ができ、すっかり会社での私の立ち位置は新人から中堅になった。
つまり任される仕事が増えた。
疲労感しかない顔で一歩一歩何とか足を踏み出して、一人暮らしのマンションの階段を登る。
仕事帰りにこの階段を登る度に引っ越しが頭の中をチラつく。
家賃と部屋の綺麗さを優先した結果がこれだ。
そろそろせめてエレベーターのあるマンションに引っ越そう。
今日も決意を固めたところでやっと自分の家の前に着き、ふぅと一息をつく。
それから鞄から予め出しておいた鍵で家の鍵を開けると私はいつものようにドアノブを回し扉を開けた。
ここからはいわゆるナイトルーティーンだ。
4年も見てきた玄関で靴を脱いで…、て、あれ?
いつものように機械的に靴を脱いで、家に入って、鞄をソファに投げて…とやりたいところだがそれができない。
何故なら目の前に広がっているのは私の家の中ではなく、全く見覚えのない薄暗い大きな部屋だったからだ。
それに気づいた私はバタンッと一度扉を閉めた。
疲れすぎて帰る家を間違えたか?
そう思って家の番号を確認してみるが、扉の横のプレートに書かれてある家の番号は私の家の番号302だ。
じーっと間違いのないように注意深く見てもその数字が変わることはない。
疲れてるんだな。それも相当。
あんな幻覚を見るほど疲れているのだと自分を納得させて再び扉を開ける。
「…」
しかし私の目の前に広がっていたのは先程と同じ全く見覚えのない薄暗い大きな部屋だった。
何だ、ここ。
何度も扉を開け閉めし続ける訳にもいかないのでとりあえず疑問に思いながらも一応私の家に入ってみる。
よく見るとこの大きな部屋は薄暗いだけではなく所々にギラギラと輝く装飾品があり、すごく豪華絢爛な部屋に見えた。
私が立っている足元にはレッドカーペットのようなものが敷いてあり、その先にはでかでかと王様が座るような豪華な椅子がある。
そしてその椅子には誰かが深々と腰を下ろしていた。
まるでお伽噺話に出てくるあるファンタジーな国を治める王様の謁見の間のような雰囲気がここにはある。
薄暗いし、魔王城、とかどうだろか。
いーや!冷静に分析している場合か!ここどこ!?私の家に何があった!?
「
訳がわからないまま立ち尽くしていると王座のような場所に座っている〝誰か〟が私の名前を冷たく呼ぶ。
桐堂 咲良、それは実家がまあまあ大きくて有名な神社である以外はおそらくごくごく普通の女である私の名前である。
「…あ、はい。そうですが。あのここ私の家ですよね?」
この訳のわからない状況を聞ける相手があそこに座っている〝誰か〟しかおらず戸惑いながらとりあえず聞いてみる。
「ここはお前の家ではない」
すると〝誰か〟は淡々とした声でそう答えた。
はい?
なんだって?
いや、確かに私の家はこんな部屋じゃないけど。
つまり何度も確認したがやっぱり帰る家を間違えたということか。
疲れとは恐ろしい。
過労死なんて笑えない。
「そ、そうですよねぇ。大変失礼致しました」
ここの部屋の住人らしい〝誰か〟に頭を下げてここから出る為に後ろを振り向く。
「は?」
だがそこには何もなかった。
先程までそこにあったはずの扉も壁も。
慌ててキョロキョロと周りを見渡せば360°どこを見てもマンションの入り口はなく、あるのは立派なこの謁見の間のような部屋だけ。
何がどうなっているの。
訳がわからない状況にパニックになっていると、薄暗いと思っていた部屋が徐々に明るくなった。
それと同時に王座のような場所に座っていた〝誰か〟の顔が明るみになる。
そこに座っていたのは夜を思わせるような薄紫色の髪が印象的なものすごく美しい少年だった。
紫の肩まである柔らかそうな髪にまるで血のような濃い赤の瞳。美しく可愛らしい見た目をしている彼は私よりも随分年下に見えた。
中学生から高校生くらいの年齢だろうか。
てっきり喋り方から年上かと思って敬語を使っていたがどうやら違っていたらしい。
「ここは悪魔たちが住まう世界、魔界だ。そして私はこの魔界を統べる悪魔たちの王である悪魔、魔王だ」
「…はぁ?」
可愛らしく美しい顔とは対照的に冷たい表情を浮かべる自称魔王の言葉に気の抜けた返事をしてしまう。
一から十まで全部わからん。
「人間界に帰りたいか?」
「そうですね…」
人間界よりもそもそも家に帰りたい。
今日はもう疲れたし明日も朝が早いのだ。
「人間界に帰りたければ特級悪魔の兄弟たちと良好な関係を築け。それがお前が人間界に帰るための条件だ」
「はぁ」
「お前は人間界から魔界の学院に交流に来た留学生という設定だ。お前はここでの生活である特級悪魔の兄弟に世話になることになる。その特級悪魔の兄弟こそがお前が良好な関係を築かなければならない相手だ」
「あのー、質問なんですが」
「なんだ?」
「…留学生って一体何をすれば?」
何とかファンタジーとして処理した自称魔王からの情報。
しかしまだまだ訳のわからない、何だが嫌な予感がする情報が出てくるので私は恐る恐る挙手をして自称魔王に質問をする。
「言葉のままだが?お前は魔界の学院に悪魔たちと通い、一生徒として過ごしてもらう」
「いやいや。私社会人4年目、24歳、学生じゃない。学生のお年頃でもない」
「24歳など赤子みたいなものではないか」
「ソレハオカシイヨ」
嫌な予感はしていたが見事に的中し私は冷や汗をかきながら眉間にしわを寄せた。
若さが足りないのよ、学生するには。
自称魔王と価値観が全く合わない。
「話は以上だ。これ以上お前に話すことはない。いいか、最後にもう一度言うが人間界に帰りたければ特級悪魔の兄弟たちと良好な関係を築け」
「…はぁ」
いろいろとおかしなことに頭を抱える私なんてもちろん無視して自称魔王がそう冷たく言い放つ。
私はそんな自称魔王に締まりのない返事をした。
コンコンッと僅かにだがものすごく遠い大きな扉の向こうから扉をノックする音が聞こえる。
「入れ」
自称魔王はその音を聞くと扉の向こうにそう冷たい声で声をかけた。