クラウスと一緒に過ごしていると、あっという間に夕食の時間がやってきた。
先ほどまでクラウスと一緒にいたが、そのクラウスはほんの数十分前に、
「あ!用事思い出した!」
と言って、慌てて小屋から出て行ったので、私は今1人で食堂へと来ていた。
もちろん今回も今朝と同じように形だけの夕食だ。
ここで未だに食事を口にしていないのは、彼らを信用していないからでも、1年前の毒がトラウマになっているからでもない。
ただそれが習慣になっただけだ。
食堂では食べない。小屋に帰ってから自分で作った料理を食べる。
ただそれだけ。
もう見慣れてしまった食堂の扉を開ける。
するとそこにはヘンリーだけが居た。
他の兄弟たちはまだいないようだ。
「早いね、ヘンリー」
もう席に着いているヘンリーに視線を向けながら、いつもの席に私は腰を下ろす。
「咲良も今日は早いな。バイトは?」
「今日はもうないよ」
「そうか」
そして私たちはいつものように何となく世間話を始めた。
今でこそ楽しくヘンリーと会話ができるが、最初の頃のヘンリーは腹で何を考えているか分からず、探り探り話していた。
いや、今でも十分何を考えているのかわかりづらいし、腹黒そうだけど。
『まずは俺だな。昨日も言ったがもう一度。俺の名前はヘンリー・ハワード。ハワード家の長男だ』
『そうか。咲良が我が家に来ることを聞いて人間界の料理について調べ、作らせた料理だったのだが、残念だ。ふるさとの味が恋しいだろう?』
『人間。俺の弟たちに何をした?お前はできる限り苦しんで死ね』
今までのヘンリーのことを思い浮かべて思う。
多分一番酷い目に遭わされてきた相手はヘンリーだわ。
「…咲良、今日くらい一緒に夕食を食べないか?」
「え」
「俺が言えた義理ではないことはわかっている。それでも咲良と食事を取りたい」
いつもの不敵な笑顔ではなく寂しそうに、そして何よりも申し訳なさそうに私を見つめるヘンリーに思わず目を見開く。
見間違いor聞き間違いか?
もう一度よくヘンリーを見てみるが、やはりそこには申し訳なさそうにしているヘンリーの姿があった。
「…咲良は何度謝っても許さない、と言ったな。もちろん許して欲しいなど都合のいいことは思っていない。だが、どうか食事だけでも一緒にしてくれないだろうか?」
「…」
ヘンリーは私が怒ったあの日のことをずっと忘れていなかったらしい。
ヘンリーの突然の言葉に私自身驚いてしまう。
何も言わない私にヘンリーは続けて「食事に不安があるのなら咲良専用の毒見係も用意する」とまで言ってきた。
「不安はないよ。だから毒見をしなくても大丈夫。食べるよ、夕食」
私はそんなヘンリーにやっと口を開く。
それから自分の思いをゆっくりと言葉にしていった。
「最初は一生許さないとか思ってたけど1年も立てばそんな怒りも消えたよ。いろいろあったけどヘンリーたちにはお世話になったしさ」
もちろん私がお世話している時だってあったが、そこは助け合い精神だ。
「もう許すよ、ヘンリー」
「咲良…」
にっこりとヘンリーに笑えばヘンリーは何とも言えない表情で私を見た。
「ずっと側に居て欲しかった。だから咲良と契約したんだ」
「…そう言ってたね」
「ああ」
寂しそうにしているヘンリーにはいつもの威厳はない。
まさかこんなにも弱っているヘンリーを見る日が来るとは思いもしなかった。
私たちの間にしんみりとした空気が流れる。
しかしその空気は突然この部屋に響いたバーンっ!と勢いよく扉を開ける音によって消えた。
「飯」
何事かと扉の方へと視線を向ければ、そこには相変わらず無表情なバッカスが右手を突き出したまま立っていた。
いや、どんな登場の仕方ですか。
そんなバッカスの後ろから次々と他の兄弟たちも食堂へと入ってくる。
「あー!お腹空いた!ギャンブルの後は飯だー!」
「…無理、何か入れたい。ぶっ通しで本読みすぎた」
「今日はビタミンCとコラーゲンを多めに取りたいなぁ」
エドガー、ギャレット、クラウス、それぞれが違うテンションだ。
エドガーはアドレナリン全開!といった感じで、ギャレットは今にも倒れてしまいそうに、クラウスは1人優雅だ。
バッカスに至ってはもう席に着き、食堂の入り口を睨んでいた。早く飯を持って来い、という圧を感じる。
相変わらず全員個性が強い。
「全員揃ったな?では食事を始めよう。今日は咲良も一緒に食べるぞ」
全員が着席したことを確認すると、ヘンリーはもういつも通りの胡散臭い笑顔でそう言った。
「は!?」
「え」
「嘘!?」
「…俺のご飯」
そんなヘンリーに兄弟全員が驚いた。
おい、バッカス。
「俺のご飯」って何?まさか私がご飯食べるからその分自分の分がなくなるって言いたいのか?
*****
そしてついに人間界へ帰れる日がやってきた。
人間界へは最初に魔界へ来た時のように、謁見の間と私の部屋を繋いで帰るらしい。
なので、私と5兄弟たちは再び魔王城の謁見の間までやってきていた。
「…咲良、これからも僕が咲良の1番だからね。忘れないでよ?絶対だから」
「はいはい。わかっているよ、テオ」
人間界へ繋がっているらしい扉の前でテオが何度も何度も甘えるようにそう言うので私はテオの頭を優しく撫でる。
するとテオはそれを気持ちよさそうに目を細めて受け入れていた。
…大きな子犬の頭を撫でている気分だ。
こんなにも可愛らしい彼だが、彼こそが冷徹冷酷な魔王様なのだ。
ヘンリーたちを容赦なく叩きのめしている姿なんて私が知らなかっただけでちゃんと魔王そのものだった。
「寂しくなるな。たった1ヶ月でも僕は離れたくないよ」
「大袈裟だなぁ。1ヶ月だけだよ?すぐだよ」
「それでも…」
寂しそうにしているテオはやはり可愛らしい。
ミアに見えてきた。
「は?1ヶ月?」
突然、ヘンリーの冷たい声がこの謁見の間に響く。
「あ?1ヶ月って30日程度だよな?」
「え?え?どゆこと?」
「えーと?つまり?」
「…?1ヶ月…?」
それを皮切りにエドガー、ギャレット、クラウス、バッカスも口々に疑問を口にし始めた。
「ん?」
あれ?何でそんなみんな驚いているんだ?
これでは私が1ヶ月だけ人間界へ帰ることを知らなかったみたいではないか。
あのテオとの騒動の後、この世界の王でもあるテオとしっかり話し合い、私はここ魔界に住むことを決めていた。
大変なこともあるが、ここでの生活は正社員としてバリバリ仕事もしなくてもいいし、何よりもヘンリーたちやテオが好きだから魔界に住みたいと思えてしまったのだ。
だが、それにはもちろん人間界での準備もいる訳で。
仕事を辞める手続きをしたり、一年以上も姿を眩ませているのでおそらく行方不明事件として騒ぎになっている私自身の安否を両親や友人に伝えたり、その関係の挨拶回りをしたり、と今適当に思い浮かべただけでもやらなければならないことはたくさんある。
そうテオとしっかり話し合ったのだ。
「テオ言ってなかったの!?テオがヘンリーたちに話すって言ったよね!?任せてって言ったよね!?」
「…ん?何のことかな?」
とぼけてやがる!
問い詰める私にただにっこりと笑うテオに私は頭を抱える。
確かにテオは私に言ったのだ。
「このことは僕がヘンリーに伝えておくから任せておいて」と。
だから安心してテオに全て任せていたのに。
当の本人はこんな感じだし、ヘンリーたちのリアクションを見れば、きちんとヘンリーたちに私が一時的に帰るだけだと伝えていなかったのだとよくわかった。
絶対確信犯だ。何でよ!
「咲良はこれからも魔界に住むよ?その為に1ヶ月ほど人間界で準備をするんだ。わかった?」
怒っている私を他所にテオはヘンリーたちににっこりと意地悪く笑う。
ああ、わかった!普通にヘンリーたちに嫌がらせしてたんだ!
そんな笑い方だわ!
「つまり咲良はこれからも俺たちと一緒にいるのか?」
ヘンリーは信じられないものでも見るような目で私を見つめる。
その目には抑えきれない喜びもある。
「そうだね」
ごめんね、騙すつもりはなくて。
「1ヶ月だけ人間界へ行くのか?」
「まあ、うん」
「そうか」
私に何度か質問し、私の返事を全て聞くと、ヘンリーはやっと安堵したように笑った。
そんな笑い方もできたんだね、ヘンリー。
「なんだそれ!じゃあ1人じゃ大変だろうから俺様エドガー様も手伝いにいくぜ!」
私たちの会話が終わるとエドガーが突然嬉しそうな顔で挙手をする。
「俺も手伝おう。人数は多い方がいい」
「人間界!しかも日本だよね!行く行く行く!俺も行く!」
「えー!ずるい!僕ももちろん行くよ!咲良!」
するとバッカス、ギャレット、クラウスの順にそれぞれが大きく挙手をした。
いーや!連れて行かないわ!
こんなキラキラカラフル美形なんて日本に連れて行ったら目立って仕方ない!
「いや、い」
丁重に彼らの提案をお断りしようとした。
したのだが。
「待てお前ら。学院のこともあるし家を空ける訳にもいかないだろう」
そこでいつも冷静なヘンリーが全員に異を唱えた。
さすが冷静沈着長男ヘンリー!常識人だし、頼りになる!
「だが咲良を1人では行かせられない。よって全員ではなく、選抜で咲良に同行し人間界へ行くこととする。ちなみに長男として俺が行くことは決定事項だ」
「「「「えー!!!!???」」」」
おう。
偉そうにしているヘンリーは私の味方ではなかったようだ。
ヘンリーの言葉に早速兄弟たちは反発し、誰が同行者になるのか争い始めている。
そんな彼らを見てテオが「あーあ。こんな立場じゃなかったら僕も立候補したのに」と残念そうにしていた。
勘弁してくれ。
「俺は咲良の世話係だ!最初の悪魔も俺だし、俺が行くべきだろう!?」
「咲良と一緒にいる時間が長かったのは俺だ。力仕事もできるし俺が行く」
「は?俺の方が咲良といる時間が長かったんですけど?頭を使うことも多いだろうし俺が適任でしょ?」
「ヘンリーがいる時点で頭を使う人はいらないと思うなぁ。必要なのは癒しじゃない?僕が同行するべきだよ」
言い争いをしている5兄弟たちを見て私は苦笑する。
…それでもこんなにも賑やかな日常が私は好きだ。
だから彼らと共に魔界にいることを決めたのだ。
最低最悪で個性強すぎな5兄弟だけど好きだわ!
これからもきっとこんな日々が続いていく。そう思うと自然と私から笑みが溢れた。
end.