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第6話 黒騎士


 絶望に打ちひしがれながらも、テオの腹の奥ではキュウキュウと甘い疼きが強制的に生まれてしまう。

 強引に引き出されたフェロモンに男たちはひどく興奮していた。声も出ないのか無言で股間をまさぐり、隆起したグロテスクなものを取り出す。

 その大きさに震えすら止まった。

 にじり寄る二人にテオの顔が恐怖に歪む。

 次の瞬間、テオと男たちの間に太い弓がドスッと打ち込まれた。ギョッとした男たちが祭壇から転げ落ちる。

 バサッという重い音と共に祭壇に降り立ったのは、全身黒づくめの男だった。頭からかぶったフードにマント。

 酒場で聞いた話を思い出す。


 黒ずくめ……もしかして……あの、黒騎士? 


 男がゆっくりとフードを外す。

 現れた金色の髪にテオが息を飲んだ。


 うそ……。


 ドクンと心臓が波打つ。


 あの日、部屋にいたドラゴン族の男────


 後ろ姿だけれど、テオは確信していた。今は黒い服を纏い、剣を携えているが見間違えるはずがない。

 テオは呼吸も忘れ、食い入るように男の背中を見つめた。


 ……彼が……。


 そう思っていても、なぜか今のテオの頭の中に子犬の姿はなかった。

 今はただその姿に魅せられている。美しい金色の髪。がっしりした大きな背中、長い足。

 手を伸ばせば触れられる距離。


 ……差し伸べられた手。あの時は伸ばせなかった。今なら……。


 熱い息がテオの口内をカラカラにしていく。

 金髪の男はテオをチラッと見て、盾になるように立ち塞がった。その向こうでドラゴン族たちの野蛮な声が聞こえる。


「なっ、イルディオじゃねぇか! ビビらすなよ!」

「おいおい、いくらイルディオだからってその口の聞き方はやべぇだろ」


 男たちは安心したように軽口を叩き、今度はわざとらしい調子で話しかけた。


「これはこれはイルディオ様、ご機嫌うるわしゅうございます。イルディオ様ともあろう方がなぜこのような辺鄙な山奥に?」


 テオは目の前の状況も理解できず、それを探る余裕ももはやない。ただただ金髪の男の存在に呆然としていた。


「剣を取れ」


 イルディオと呼ばれた男は、固い声で短く言ったが、ドラゴン族の男たちはそれでも続けた。


「もしかして、このオメガはイルディオ様のお知り合いでしたか? それはそれは、大変失礼をいたしました。申し訳ございません」


 謝罪の言葉はどこか薄っぺらく、あざけりのニュアンスを含んでいる。


「まさかイルディオ様にオメガのご友人がおられるとは……」


 その瞬間、イルディオが剣を振り上げ、流れるように二人を切った。まるで一陣の風。二人は悲鳴を上げる間もなく、地面に倒れ込んだ。

 素早い剣捌きに、テオは呆然とイルディオを見つめるばかりだった。イルディオが視界から外れると、そこには倒れている二人が見えた。

 テオの目が大きく見開く。

 ぐったり倒れ込み、動かない体。


 死んで……る?


 それはテオが初めて見たむくろだった。

 衝撃に我に返る。


 でも、彼らは危害を及ぼす悪だ。


 テオは自分に言い聞かせ、いたましいそれらから目を背けた。そろりと金髪の男に目を向ける。彼は散らばった衣類を拾い上げていた。無残に引き裂かれてしまった服から気まずそうに視線を逸らし、それを地面に置く。


 イルディオ……彼もドラゴン族。痣もあったし。……あいつらの仲間……だけど、助けてくれた……んだよね? 人の姿で会った初めてのあの日だって……。


 何度も繰り返し思い出した。嬉しそうな表情と、差し伸べられた手に背中を押され、テオはおそるおそる口を開いた。


「……あの、」


 イルディオはテオへチラッと視線を走らせると、マントの内側からケープとナイフを下げた腰ベルトを取り出した。


「間に合って良かった」


 あ……。


 森の中で捨てられてしまったテオの衣類。


 拾って……だから、来てくれた?


 イルディオはテオの足元にそれらを放り投げた。さらに服を脱ぎ始める。

 ホッとしたのも束の間、逞しい腕や胸筋が現れてテオの心臓がドキッと跳ね上がった。


 えっ、まさか……!


 身構えると、イルディオはマントの中に着ていた上衣うわぎをテオの頭にバサッと被せ、またマントを羽織り素気なく背を向けて言った。


「着ろ。町まで送っていく」

「へ……」


 そこでテオはやっと自分が全裸なのを思い出した。

 カーッと頬が熱くなり、慌てて後ろを向いて頭にある服をわさわさと掴んで引っ張った。恥ずかしさと緊張で指が震え、なかなか思うように動かない。必死で腕を通し上衣を被ってホッとした。

 チラッと振り返ると、マントの男はちゃんと背中を向けていてくれる。その姿に徐々に気持ちが落ち着いてくる。


 イルディオのお陰で無事に戻ってきた腰ベルトを留め、上からケープを羽織る。着替えを終えると男が振り返った。テオが話しかけようと口を開くと、イルディオはビリビリに破れた服に視線を向け、へたり込んだままのテオの前で静かに膝を突いた。


「よかったらこれで、新しい服を買ってくれ」


 さっきのぶっきらぼうな物言いはどこへやら、その声はとても優しい響きだった。

 イルディオの大きな手のひらにはピカピカの金貨が一枚乗っている。初めて見る金貨だった。一枚あれば、テオの身に着けている服ならきっと、何十着も買えてしまうだろう。





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