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第10話 不吉な出会い



 突然名前を呼ばれ、テオはギョッとして我に返った。

 目の前にはクリンクリンとカールした赤毛の少年がいた。パッチリとした緑の猫目の下には控えめなそばかす。


 テオは大きく目を見開き、思わず後ずさった。

 特徴のある少年は教会で共に育った弟のリルだった。

 瞬時に辺りを見回し、神父がいないかを確認する。


 オルレアンはルベルト教会から遠く離れた地にある。テオはルベルトからネオルダの街を抜け、酒場のあるメールの村に辿り着いたのだ。オルレアンはさらに西に位置する都市。ネオルダの街もそこそこの都市である。メールの先に位置するオルレアンにわざわざ教会が足を運ぶはずがない。


「なんで……」


 テオの戸惑う声をリルが打ち消す。


「どうしてたの? みんなすごく心配してたんだよ。さらわれちゃったのかなって。コーネル神父もいつもテオのこと祈ってるんだよ?」


 コーネルの名前にテオの顔がさらに青ざめる。


「テオ、ちょっと痩せちゃったんじゃない? 今どこにいるの? テオも御目通りまであと少しだったのに」


 テオは口の前に指を立て、「シーッ!」とリルを制した。キョロキョロ周りを警戒しながらリルの手を引き、賑やかな通りから脇道へと引っ張り込む。


「わっ! ちょっと、テオっ!」

「僕は大丈夫だから。幸せにやってる。それより、なんで……」


 よく見ればリルは正装用の金の刺繡が入った白いローブを着ていた。


「リル、それ……」

「うん! 今日僕、二回目の御目通りでこの街に来たんだ」


 可愛らしく小首を傾げ、ニッコリ微笑む。


 リルのいう御目通りとはアルファとの縁談のことだ。

 テオが育った教会はオメガの保護と育成だけではなく、十五歳を迎えると由緒正しいアルファとの縁組みをしてくれる。

 オメガはアルファに嫁ぐことで身の安全を確保できる。それは単純に、住む場所があるというだけではない。アルファにフェロモン分泌腺がある首筋を噛まれることで『つがい』となる。

 番になれば、オメガのフェロモンは変質し、噛んだアルファ以外には誘発フェロモンを出さなくなる。つまり無差別に襲われる心配もなくなるのだ。

 御目通りが二回目ということは、初めての顔合わせを終え、アルファと二人だけで過ごすための日ということになる。


「じゃぁ、相手は」

「リル!」


 テオの背後で力強い声がした。気配だけでアルファだとわかる。

 ハッと振り向くと、スラリと背の高い黒髪の美男子がこちらへ向かって来ていた。眉間に皺を寄せ、強い視線でテオを睨んでいる。


「放したまえ! 私のフィアンセになんの用だ!」

「え、いや……」


 テオはリルの手を慌てて放した。

 長い足でずんずん近づいてくる男の顔がピクリと反応する。


「ハリー様!」


 リルが弾んだ声でピョンと跳ねるようにテオの前に立った。


「ハリー様! テオは僕のあにさまです。行方知らずになっていたのにココで偶然会えたんです!」


 そう言って、テオの腕にギュッと抱き着く。首を竦めるテオを見て、ハリーと呼ばれた立派な騎士は威嚇いかくの表情を解き、ホッとした様子で言った。


「そうであったか。それは失礼した。テオ殿」

「い、いえ……」


 どうしよう。ここに神父はいないみたいだけど、このままリルと別れるわけにはいかない。なんとか口止めしないと、教会に居場所を嗅ぎつけられてしまうかもしれない。


 全身が冷たくなる。

 テオが焦っていると、ハリーの背後から耳心地のいい声がした。


「お姫様は見つかったかい?」


 ハリーが振り返ると同時に、テオはとてつもないオーラに包まれた。ブワッと肌が粟立つ。今まで経験したことのない強烈な感覚。


 な、なに!?


 あまりにビックリして、声も出ないまま口がパクパクと動く。そこには黒髪のハリーとよく似た立派ないでたちの騎士が立っていた。

 明るいブロンズ色の髪、キリッとした眉と黒曜石のような黒い瞳。涼しげな微笑みをたたえている男にテオが釘付けになる。


 今までに出会ったアルファの誰よりもすさまじい存在感。


「……アイレン?」


 ハリーに呼ばれたブロンズ色の髪の騎士も、テオを見つめ同じように固まっていた。抑制剤の効果もなく、テオの甘い香りが通りに匂いたつ。それは今までにない濃度の高い香りだった。


「えっ! テオッ? まさかアイレン様と?」


 黄色い声が上がった。

 リルは両手で口を押さえ、目をキラキラと輝かせている。その横でハリーは目を見開き、テオとアイレンを交互に見た。

 険しい表情のアイレンがツカツカとテオに歩み寄る。アイレンのオーラもまた凄みを増しており、そのためテオの両ひざはガクガクと震え、今にもその場にへたり込みそうだった。アイレンは目の前までくるとスッと路面に膝を突いた。


「あなたの名は……?」

「お、おい、アイレン。なにを!」


 ハリーが焦ったようにアイレンを引っ張り起こす。


「高貴なオルレアンの騎士がこのようなところで膝を突くとはなにごとだ!」


 テオはハッと我に返り、リルの両手を取ると必死に訴えた。


「僕のことは忘れて! 絶対誰にも言わないでっ!」

「えっ? ちょ、テオ!?」


 驚くリルの手を放し、テオは一目散に駆けだした。

 アイレンらしき声が背中に届いたが、足を止めるわけにはいかない。無我夢中の逃走。

 しかしそれ以上にテオの心臓をバクバク伸縮させるのは、他でもないアイレンというアルファのせいだった。ドラゴン族の時のような恐怖ではなく、初対面だというのに感じたことのない高揚が全身を駆け上がってくる。


 なんで!? どうしてこんなに胸が高鳴るの? あんな人知らない! なんなんだよっ!!


 どこをどう走ったのか、自分でもわからないままクタクタになるまで走り失速していく。とうとう足が前に出なくなり、その場でハァハァと息を整えているとどこからともなくわらわらと人が集まってきた。街のベータたちだ。

 アイレンにより引き出された、オメガの強烈なフェロモン。それを振り撒きながら街中を走ったせいで、あちこちから匂いに引き寄せられてきたのだ。


「どうした? 苦しそうじゃないか」

「俺が助けてやるよ」


 異様な空気が流れる。引き攣った笑顔。どこか目が虚ろな男たちがテオへ次々に手を伸ばす。


「ひっ……」


 テオは後ずさりながら腰のナイフを取り出した。鉛のように重い足がもつれドシンと尻もちを突く。


 もう逃げられない。一巻の終わりだ。


「うわあああああっ!」


 ギュッと目を閉じ頭を抱え込んだテオは、やけくそになって小さなナイフをブンブンと振り回した。





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