目を閉じているのに眩しい。
その色がだんだん薄暗くなり、テオはそっと瞳を開いた。
「はぁ……はぁ……」
全身がグッタリして、鉛のように重い。なのに心地良い。
いつもと違う……。
したのに、空っぽじゃない……なんだか、すぅーってこのまま眠れちゃいそう……。
淡い光に包まれながら、テオはこのまま身をゆだねていたいとイルディオに背中を預け呼吸を整えた。
「少しはラクになったか?」
イルディオの額から、汗がつーっと伝い顎からポツンと落ちる。
その気配にテオはそろっと視線を向けた。すごく近くにあるイルディオの顔。ほんのり高揚した頬と、少し灰色がかった青い瞳。緊迫した鋭い視線がふっと緩み、目が合った。
吸い込まれそうなくらい澄んでいて、その美しさにテオは慌てて目を伏せた。返す言葉も見付けられないまま恐縮していると、だんだん今しがたやってしまったことの重大さが身に迫ってくる。とてつもない羞恥にさいなまれるとともに、握られたままの状態が目に飛び込んできた。
「こっ、これ使ってっ!」
テオは慌ててポケットから布切れを出し、イルディオに押し付けた。
うぅ……なんでこんなことになっちゃうんだよぉ。
ギュッと瞑った瞼に記憶の断片が映し出される。
大きな手、長い指、耳に触れる唇、自分の醜態。
すごく恥ずかしいのに、もっとこのままイルディオに縋り甘えていたい。
自分で自分が分からない。まるで自分の中にもうひとり別の誰かがいるみたいに思えてくる。
僕がオメガでイルディオがアルファだから?
……そうだ、イルディオはアルファ……なのに、前の時も。今だってこんなに近くで僕の匂いにあてられ続けているのに、襲ってこないで、耐えてくれてるんだよね……汗が滴り落ちるほどキツそうなのに、誠実であろうとしてくれている。
とっくに理性が吹っ飛んでしまっていてもおかしくないはずなのに。
平気なはずないのに……。
「休んだほうがいいだろう。家にいこう」
家?
テオはイルディオの腕をギュッと掴み、必死に首を振った。
「ダメ、こんなんじゃ帰れない」
イルディオが手で受け止めてくれたとは言え、衣服も汚れ、汗もぐっしょりかき、色白の肌にもまだ火照りの余韻が残っている。なにより初めての衝撃的な行為のせいで、テオは背徳感に苛まれていた。この状態でマルゴと顔を合わせる勇気などあるわけがない。
テオの目が懇願の色に染まる。
イルディオは一瞬目を見開き、それからぎこちなく微笑んだ。
「私の家だ」
「へ……」
イルディオの……家?
テオを包んでいた翼がバサッと大きく広がる。一瞬見えた路地にはもう、ベータたちの姿はなかった。
イルディオがトンと地を蹴り、ふわりと上昇する。
風を感じた瞬間、テオは大空の中にいた。
オルレアンの街が遥か眼下に見えたかと思うと、それも消えた。
見えるのは、広大な青い空と大地。
その見事な景色に、羞恥や罪悪感、戸惑いなどが混じったもどかしい感情はあっという間に霧散した。
「すごぃ……」
以前空を飛んだ時は、近すぎるイルディオにドキドキしていて周りを見る余裕なんてなかった。
こんなに素晴らしい景色だったんだと、テオの表情が輝く。
そんなテオにイルディオが優しく微笑んだ。
「あそこだ」
イルディオの視線の先には広大な森があった。
大きな翼を一度羽ばたかせるだけで、グインと進む。あっという間に森の奥にふたりは降り立った。
テオの知っているメールの明るい森とは違う。人間が立ち入ることを許されない遠く離れた太古の森。
広大で濃く深い緑。太く立派な木々。幹や枝も緑の苔に覆われている。
初めて見る森の景色にテオの口はポカンと開いたまま。
……あ。
鹿がいる。
大きな角の生えた牡鹿だった。
牡鹿はテオと目が合うと、一瞬耳をピクリと動かした。それからまた平然と草を食べ始める。
「こっちだ」
イルディオにエスコートされしばらく歩くと、どの木よりも大きく立派な巨木が現れた。
「うわぁ……」
巨大な幹はまるで巨人の足のようだった。
いったいどこまで伸びているのか。
テオはポカンと口を開けて大木を見上げた。