目次
ブックマーク
応援する
7
コメント
シェア
通報

第17話 贈りもの

「イルディオ!」


 見上げたテオの表情がぱぁっと明るくなる。

 月光を背にしたイルディオが、大きな翼を広げ宙に浮かんでいた。


「こんばんは」


 優雅に微笑み挨拶する。その姿はまさに紳士だった。


「来てくれたんだね! 入って」


 部屋に招き入れようと身を乗り出し、手を伸ばす。イルディオはその手を取り、ふわりと部屋の中へ滑り込んだ。


「おじゃまします」


 夢みたいだ。逢いたいと願ったイルディオが目の前にいる。


 イルディオを見上げるテオの瞳が嬉しさでキラキラと輝く。


「来てくれてありがとう!」

「ああ、遅い時間にすまない」


 イルディオは微笑み、眉を下げた。


「起こしてしまったか?」

「ううん、さっき仕事が終わったところだよ。イルディオはどうしてるかなぁって、ちょうど考えていたとこ」

「よかった」

「あ、座って」


 テオがベッドに腰をかけ、来てよと隣をポンポンと叩く。イルディオは少しだけ恥ずかしそうに微笑み、テオの横へ座った。服の中に手を入れ、なにかを取り出す。


「……これを渡したくて」


 受け取ったテオの手のひらで、シルクの布がはらりとめくれた。現れたのは金色の指輪だった。見たことのない豪華な装飾品に、テオは目を丸くしてまじまじと指輪を見つめた。


「わぁ、金ぴか……」

「テオの指は細いからぴったりだと思う。はめてみてもいいか?」

「え! い、いいけど……そんな高価なもの……」


 テオは申し訳ないような気持ちで首を竦めた。

 指輪など、貴族がつける装飾品だ。テオの周りで身に付けている人間など見たことが無い。


「テオに着けてほしいんだ」


 イルディオは真摯な瞳でテオをじっと見つめ、微笑んだ。

 恐縮していたはずのテオが頬を染め「うん」と小さく頷く。イルディオはその手を取り、左手の薬指へ指輪をはめていく。

 指輪はまるで、テオのために作ったかのようにしっくりしていた。大きさもピッタリだった。


「すごい、ぴったり。……ほんとにもらっちゃってもいいの?」

「貰ってくれたら嬉しい。そのままはめているのが難しいなら、持っていてくれるだけでいい」

「うん! ありがとう」


 イルディオの嬉しそうな表情に、テオはますます恥ずかしくなった。

 どんな顔をしていいのかわからない。


 こんな贈り物までくれるなんて、友達になったって証……なのかな? だとすると、すごく嬉しい。


 指輪をはめた手を下から支え、金ぴかの指輪を眺めた。


「これ、大事にする。昼間は仕事もあるから、傷がついちゃうかもしれないし。悪い人に見られたら盗られるかもしれないから、寝る時とイルディオに会う時だけ指にはめるね。そうだ」


 テオはゴソゴソと首から下げている小さな巾着を取り出し、イルディオに見せた。


「それは?」


 イルディオの問いにテオはふふんと得意げな顔で、巾着袋の中の金貨を手のひらに落とした。


「前にイルディオがくれた金貨だよ。服を買ったらいいってくれたでしょ。もったいなくてずっと持ってた。お守り……的な」


 おどけたように照れ笑いしながら、テオが肩をすくめた。

 イルディオの目が見開く。


「大事に持っていてくれたのかい?」

「うん。イルディオの……代わり?」


 気恥ずかしさに少し俯き、上目遣いでイルディオを見上げるテオの顎を、イルディオの長い指がツイと持ち上げた。

 トクンと心臓が脈打つ。

 次の瞬間目の前が影で覆われ、テオはギュッと目を瞑った。額にふわりと優しい感触。ぽわっと灯りがともったように温かい。

 テオは心地よい感覚に浸りながらも、どこかで「あら?」と思った。てっきり口にしてもらえるものだと期待していたのだ。

 額や頬へのキスは教会の家族とも挨拶の習慣としてあった。それらのキスにはもちろん今のような作用はなかったのだけど、それはイルディオがアルファだからなのだろうなと考えた。

 どれだけ触れ合わせていたかは定かではないが、ゆっくり離れていくイルディオの気配に目を開ける。

 すぐ目の前にイルディオの顔があった。

 照れくさい気持ちとほんの少しのじれったさを感じながら、テオもイルディオを見上げる。


「ありがとう」


 イルディオが嬉しそうに笑う。微笑みよりもっと深い笑み。心から喜んでくれているのがテオにも伝わってきた。それだけで胸がいっぱいになり、いろんなことがまぁいいやと思えてくる。

 テオは指輪と金貨を胸の前で見せ、ニッコリと笑顔で言った。


「イルディオもありがとう」

「よく似合っている」


 イルディオの落ち着きのある声に褒められ、さらに照れくさくなる。こんな高価な品物が自分に似合うはずがないと思っていても、顔がにやけずにはいられない。


「へへへ」


 テオは幸せそうに照れ笑いした。


 僕も、何かイルディオに贈りたい……。


 そんな気持ちが自然と溢れだす。しかし、テオは高価なものなどなにひとつも持っていない。貴重な物と考えれば、それはテオ自身の癒しの力ぐらいだ。


「イルディオは僕にとって大事な友達だよ! 困ったことがあったらなんでも言ってね! ……って、言っても、イルディオはドラゴン族だし、僕が助けられることなんてほとんどないかもしれないけど……あ、ほら、怪我した時なら僕もイルディオの役に立てるし!」


 イルディオは頷き、胸に手を当てテオを見つめた。

 かしこまった仕草に思わずドキッとしてしまう。


「そう。意識を失い倒れたところを助けてもらった。恩は忘れないよ」


 イルディオの真っ直ぐな眼差しに目が離せなくなる。

 吸い込まれてしまいそうな青。息をひそめた美しい鉱物のようでもあり、湖の中に差し込む光のようでもあり、あるいは星々が瞬く天の河。形容しがたい色。

 静かな時間が二人を包む。気がつけばわずかながら本当に吸い寄せられ顔が近くなっている。テオはハッと我に返り、ひょいと姿勢を戻した。


「……あっ、足の傷はどう? もう平気?」

「あ、ああ、お陰で跡形もない」


 イルディオは照れくさそうに微笑んだが、またテオをじっと見つめた。


 ダメだ……見てたらまた……。


 テオはさりげなく目をそらし、服の裾をクシャっと握った。


「あの、あの時も、ごめん。その、出てけなんて言っちゃって」

「……ああ、当然だ。私が悪かった。怖がらせてしまって」

「イルディオは怖がらせてなんてなかったよ。僕が勝手に、怖がっただけで。あの時だって穏やかだったし、ずっとずっと紳士的だよ」


 ドラゴン族だというだけで、ひとくくりにしてイルディオを怖がってしまったことが面目なくて、テオは焦ったように早口で捲し立てた。必死なその言葉を遮るように、ぽつんとイルディオが呟く。


「ありがとう」


 妙な沈黙が二人の間に流れる。

 どこを見るでもないテオの視線が泳ぐ。

 逃げだしたくなるような空気。けれどひとりになりたいわけでもない。モジモジしていると、イルディオが口を開いた。


「困ったことではないが、テオにひとつお願いがある」

「うん! なに?」


 助け船にテオは張り切って答えた。


「私のことは、イルディと呼んでほしい」

「え……あぁ、うん!」


 イルディか……うん、いい! 友達っぽい! それに、なんだかちょっと近くなれた気がする。


「私に家族はいない。私をそう呼んでいたのは母だけだ」


 お母さん? ……呼んでいたってことはもう……。


「そうなんだね。じゃぁ……僕と同じだ。僕もひとりだから」


 テオはそっと微笑んだ。

 教会で一緒に学び、笑い合った兄弟たち。彼らを置き去りにして、ひとりきりで飛び出してしまった。何も知らないみんなの顔を思い出すとギュッと胸が痛む。


 テオの頬をイルディオがそっと包んだ。


「もうひとりじゃない。私がいる。そう思ってほしい」

「……うん」


 大きな手のひらからイルディオの温かさが伝わってくる。


 おかしいね。僕の方が癒されちゃってる。


 初めて話してくれた家族の話題。

 テオはイルディオと二人だけの繋がりが持てたような気がした。しみじみとした余韻に浸っていると、なにやら物欲しそうな視線がテオに向けられていた。


 んん? なに? なんか、めっちゃ見られてる……。えっと、これは……今、呼んで欲しいってこと?


 妙な気恥ずかしさを感じながらも呼んでみる。


「……イルディ……」

「うん」


 パァッとイルディオが笑顔になる。その様子がテオの帰りを待っていた子犬だった姿と重なった。懐かしくて、テオもふわっと心が暖かくなった。

 嬉しそうなイルディオと無言で微笑みあっていることに気付き、焦って話題を探す。


「あ、そういえば昨日はどうしてオルレアンに? おかげで助かったけど、突然現れたからビックリしたよ」


 そう話しながらも、「ずっと逢いたかったんだよ」と心の中だけで語りかける。

 イルディオは穏やかな表情のままあっさり答えた。


「テオの姿が見たくて、隠れて見ていた。テオが馬車に乗ったからあとを付けた」


 ウンウンと頷いていたテオの動きと表情がピタッと静止する。


「見……て……て、ずっと!?」

「そうだ。外には危険がいっぱいだ。なにかあったらと思い隠れて見ていた」

「え、なら声かけてよ! なんで隠れて?」


 ずっとイルディオに逢いたいと思い続けていたのに、実はそばにいたことを知りテオはムッとした。


 よくよく思い出せば、オルレアンに行く日の朝もテオは妙な気配を感じていた。あの視線や気配の主はイルディオだったのだ。


「すまない。気付かれないようにするつもりだった」


 ムッとしながらも、ずっとそばにいてくれたんだと思うとどこかでホッとしている自分もいる。テオはそんな気持ちを誤魔化すように頬を膨らませた。


「違うってば! 隠れなくていいってこと。もう友達なんだし」


 イルディオが神妙な表情で静かに頷く。


「わかった。これからは、声を掛けてから見守る」

「見守るとかじゃなくって、普通に隣にいればいいんだってば」

「……わかった」


 イルディオの思案顔にテオが思わず笑う。


 思いがけないイルディオの告白に場が和み、ふたりはとりとめのない会話をいつまでも続けた。




この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?