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第20話 もうひとつの家 

「分かった。それなら話は早い」

「……え?」


 イルディオはテオを抱えたまま、大きく張り出した枝の奥へ足を進めた。生い茂った葉で視界が真っ暗になる。まるでトンネルの中を進んでいるようだ。

キィと小さな音がした。ドアが開くような音だったが、目を凝らしても何も見えない。


 ここもイルディの家なの? 


 イルディオが身をかがめ、柔らかい何かにテオを下ろす。


「痛めた足は浮かせておいてくれ」

「あ、うん」


 そっと離れていく気配。

 テオは暗闇に心細くなり、小さな声で「イルディ?」と呼びかけた。するとすぐに、ポワッとオレンジ色の灯りが部屋を照らした。

 内部はオルレアンの森の家と似たような雰囲気の部屋だった。


「わぁ……」


 テオは刺繍の入った豪華なソファに座っていた。

 自分を見下ろし、泥だらけだったのを思い出す。


「あっ」


 慌てて、片足で踏ん張って立ち上がる。部屋の中、イルディオの姿はどこにも見当たらない。開いたままのドアから出て行ってしまったようだ。

 部屋にはランプがひとつだけ灯っていたがとても明るかった。葡萄の模様の入ったガラスはステンドグラスだ。ステンドグラスの向こうで揺らめく光りが、壁に紫色や黄色の模様を映す。とても幻想的で綺麗だ。心細さはどこへやら、テオは温かく美しい光の装飾に目を奪われた。


「座ってないと足に響くぞ」


 声に振り返ると、いつの間にかイルディオが立っていた。服を身に着け、手には木の桶を持っている。


「でも、泥だらけだし」

「ソファより体が大事だ。座ってくれ」


 穏やかなイルディオの声がほんの少し固くなる。

 テオはそれ以上の言い訳もできなくて、口を閉じ、そろそろと腰を下ろした。イルディオの持ってきた桶の中にはきれいな水が入っていた。そこへ柔らかそうな布を浸し水を絞ると、イルディオがテオの顔をじーっと見つめた。


「触れるぞ」

「う、うん」


 濡れた布がテオの頬へそっとあてられる。その感触はとても優しく慎重だった。まるで高価で繊細な貴重品でも扱うかのように肌の上をそろりと滑っていく。

 そんなイルディオの優しい仕草が嬉しくもあり、切なくもあった。


「……染みるかもしれない」


 顎の辺りを拭われると、たしかにチリッと痛みが走り、テオの表情が一瞬軋む。


「いっ……」

「すまん」


 イルディオが悪いわけでもないのに、申し訳なさそうに謝る。


「ううん、大丈夫」


 イルディオは顔を拭き終えると、桶で布を洗って絞りテオへ渡した。


「体を拭いていてくれ。着替えを持ってくる」

「ありがとう」


 テオは手や腕を拭きながらイルディオの姿を目で追った。イルディオは隣の部屋へ消えてしまったが、すぐに服を持って戻ってきてくれた。


「着替えたら、痛む方の足を見てみよう」

「うん」


 イルディオは服を手渡すと静かに後ろを向いた。

 持ってきてくれた服は足首まであるゆったりしたシャツだった。頭から被るだけでいいのが助かる。イルディオの配慮に感謝しながら、テオはシャツを被り、その中で着ていた服を脱いだ。痛めた足をかばいながらズボンを脱ぐと、真っ白で細い足首は真っ赤になってパンパンに膨らんでいた。


「着替えたよ」


 イルディオはテオの足を見るなり、桶に新しい水を汲んできた。


「熱をもっている。しばらく冷やそう」

「うん」


 桶に足をいれると、冷たくてちょうどいい。

 イルディオが「待ってろ」と言ってまた部屋から出ていく。今度はなかなか戻ってこない。

 テオは改めて、部屋を見回した。

 オルレアンの森の家と同じで、部屋の中には天蓋付きのベッドがあった。こちらも木の上に建っているとは思えないほど贅沢でしっかりとした作り。

 どこからともなく、ふんわり甘い香りが漂ってくる。しばらくすると、イルディオがグラスを持って入ってきた。


「お待たせ。足はどう? 痛むか?」

「水の中に入れてると、だいぶいいよ」

「そうか。これを飲むといい。鎮痛の効果がある」


 液体は青紫色で匂いは葡萄のようだった。

 ちょっと飲んでみると、とても甘い。


「いい匂い。それに美味しい」

「葡萄酒だ。古来から伝わる秘薬が入っている」

「へぇ、酒場(うち)で飲んでるのと全然違う。こんなに美味しい薬ならどんどん飲んじゃうね」


 しばらくすると体がポカポカとしてきた。

 瞼まで重くなってくる。


 酔いが回ってきたのかな? それともイルディオの言う秘薬っていうのが効いてきたのかも……。


 テオは大きく息を吸いゆっくり吐き出しながら、そのままふらりと体をソファへ倒した。酔って苦しいわけではない。むしろ心地いいし不安も感じなかった。意識がどんどん薄れていく。


「疲れたろう。ゆっくり休むといい」


 イルディオの声を遠くで聞きながら、テオは意識を手放した。



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