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第24話 あの日の出来事


 目の前には小高い丘の上に建つ小さな教会。三角屋根の白い建物は一面に広がる青にとてもよく映えている。

 こんな日の洗濯がテオは大好きだった。


 テオは最後の一枚を干し終え、大きなカゴを持ち上げた。心地よい風が丘を登り、干した白いシーツがふわりとなびき、優しくひらめく。

 その時、ふと森の方で何かが揺らいだ。


 ん?


 何かの気配に、なんだろうとテオがシーツから顔を覗かせると、 日の光がチラチラと森の木々に陰影をつける中で、黒い影がゆらりと動いた。


 人? 


 目を凝らすと、なだらかな斜面の下に広がる森の暗闇から現れた人影が、突然ガクッと崩れ落ちた。

 ハッと息を呑み、テオはカゴを放り投げて丘を駆け下りた。

 影に走り寄ると倒れている人は、ボロボロで泥だらけだった。頭に包帯を巻き、大怪我をしているらしい。


「あの、大丈夫ですか?」

「うっ……テ、オ……」


 弱々しく発せられた声に愕然とする。

 忘れるはずもない。幼い頃から一緒に育ち、いつも本当の弟のように可愛がってくれたセスの声だった。

 テオは慌ててぐったりした体を抱き起こす。


「セスなの!? どうして……なにがあったの?」


 セスの姿は目を覆いたくなるほどの酷い有様だった。

 頭部にグルグル巻かれた包帯には血が滲んでおり、お日様みたいに柔らかで温かみのある眼差しをしていた目は落ち窪み、頬もすっかりコケている。

 ふくよかだった唇はところどころひび割れていて乾ききった皮膚は硬くかさぶたのように浮き上がり、ガサガサだった。

 それだけではない。テオの頭を撫でてくれた優しい右手は上腕から下が無かった。無残な姿に、言葉を失う。


 な、んで……? ひどい、こんな……!


 胸元の緑十字が目に入る。セスが身に着けていたのは救護兵の服だった。

 セスは去年に輿入れしたばかりなのだ。本来ならアルファの元、守られ、幸せに過ごしているはず。兵士になっているなんてありえないことだ。


「い、いったい何があったの!」


 微かに動く口からは声にもならない音。ぷつぷつと途切れ途切れに、微かな呻き声となり聞こえる。

 空腹と渇きと疲労で話もできないのだとわかった。

 ぐったりとした体を木陰にもたれさせる。


「ちょっと待っててね、すぐに戻ってくるから」


 朝食の残り物があるはずだ。

 テオは教会へ全速力で走った。炊事場からパンと葡萄酒を抱えセスの元へと戻る。


「セス、食べられる?」


 葡萄酒を少しずつ飲ませ、小さくちぎったパンを葡萄酒でふやかしセスの口へ運ぶ。なんとか食べさせると、目を閉じたセスに手のひらを当て、懸命に治癒を施した。しばらくすると、セスが薄く瞼を持ち上げる。


「テオ、ありがとう」


 小さな声ではあったけれど、ちゃんと音として聞こえた。


「ううん。セス、それよりどういうこと? 輿入れ先でなにがあったの?」

「僕は、ヒルド様のつがいにはなれなかったよ」

「なれないって、なぜ? だって御目通りだってちゃんと済ませてたじゃないか」

「僕より相応しい人が見つかったんだよ」

「そんな……」


 テオは愕然とし、ハッと思い出したようにセスのうなじを確認した。つがいの契りである歯形の痕がちゃんと残っている。


「これ、じゃあ、セスは……もう」


 セスが力なく頷き微笑んだ。


「うん。もう、他の誰かのつがいにはなれない。だから仕方がないんだ」

「仕方がないって……」

「僕にできるのは治癒だけだから、でも、こんな体になっちゃって。お役御免になって帰ってこれた」

「そ、そんな……ひどいよ、ひどっ過ぎっ、う」


 テオの目から大粒の雫が溢れ出す。


「テオは相変わらずだね。泣かないで。大丈夫。こうしてテオにまた会えたんだから」


 テオはとめどなく流れる涙を腕で拭い、鼻を啜りあげた。


「んっ、うんっ、セス、帰ろう。僕らの家に」


 力の入らないセスを背負いテオはよろよろと教会を目指した。

 しかし、こんな姿を他の兄弟たちには見せられない。みんなひどいショックを受けてしまうだろうと考え、丘を登るのをやめて、裏にある水路から教会に入ることにした。


「セス、ごめん。少しだけここで待ってて。先生を、コーネル神父をすぐに呼んでくるから」


 コーネルはこの教会のまとめ役を担う神父であり、セスやテオの親代わりでもある。優しく、穏やかで面倒見が良く、セスもテオも教会で最も信頼している人物だ。


 テオは誰にも見つからないようコーネルの部屋を尋ね、小さくノックして名前を告げた。その途端、背後から肩を掴まれビクッと振り返る。立っていたのはコーネルだった。


「テオ、ここにいたのか。いったいどこへ行ってたんだい? 洗濯カゴもそのままにして姿が見えなくなったと兄弟たちが心配していたよ」


 コーネルの手が伸び、テオの柔らかい頬にそっと触れる。


「えらく顔色が悪いじゃないか。気分が悪いのかい?」


 コーネルの心配そうな表情と優しい声にまた涙が零れそうになった。コーネルを見上げながら目を潤ませ、キュッと口を結び耐えるテオを見てコーネルは「入りなさい」と部屋へ促す。


 ドアを閉めたコーネルがベッドへ腰掛け、手を広げる。テオはなんの躊躇もなくいつものようにコーネルの膝に横向きに座った。コーネルは俯いたままのテオの顔を覗き込み、頬に零れる涙を親指でそっと拭う。


「ゆっくりでいいから、話してごらん?」


 テオはコクンと頷き、セスのことを涙を堪えながら話した。


「……そうか……。で、セスはどこに?」

「みんなが驚くといけないから、水路で待っててもらってる」

「良い判断だ。テオは兄弟思いのお利口さんだね」


 コーネルの温かな手がテオの髪を撫で、いつものようにこめかみにチュッとキスをしてくれた。テオがコーネルに抱きつくと、大きな手がテオの頭と腕を優しくさすり慰めてくれる。


 輿入れなどせず、セスも一緒にずっとここで共に先生の元で過ごせていたら……と、テオは幸せだった日々を思い返しながら思った。


「あとのことは私に任せておいで」


 あぁ、もう大丈夫だ。


 テオはコーネルの優しい微笑みに、心から安心をした。


「さぁ、テオは兄弟たちの元へ。みんなを安心させておあげ」

「はい、先生」


 任せるとは言ったものの、テオはセスのことが心配で気が気ではなかった。


 昼食後の昼寝の時間。兄弟たちが寝静まったのを確認して、テオはベッドを抜け出した。セスの見舞いをしようとコーネルの部屋へこっそり向かう。


 ノックしようと手を上げ、中から聞こえる不穏な声に動きが止まった。

 コーネルと他の神父の声だった。


「まったく、ヒルド殿にも困ったもんだな。コーネル」

「ああ、まったくだ。これで何回目だ。それにしても、戻ってくるとは。よりにもよって、テオに知られてしまった」

「うまく誤魔化せたんだろ? 気にするな」

「セスは?」

「心配ない。ちゃんと始末しといた。それで、テオにはなんていうんだ?」

「しばらく時間を置いて、傷が化膿して助からなかったと伝えるさ。しかし、ヒルド殿の横行には目が余る」

「まぁ、そうだが、また高値で買い取ってくれるんだ。俺たちは粛々と送り出すだけさ。ちょっと早いが、見られたんだ。次はテオか?」

「バカを言え、テオはやらん」

「はは、ご執心だな。しかし、ヤツも商品だ。おまえのも……」

「……テオはど……も……らん……のまま……」


 ふたりの声がだんだん遠くなって、代わりにキーンという小さな金属音が頭の中で響いた。


 聞こえてくるのはそれだけだった。


 神父たちの会話がまったく理解できない。


 誤魔化すってなに? 何回目ってなに? 商品って? 始末って……セスは……どこ?


 グワングワンと目眩がする。


 せんせ……ぃ……


 気が遠くなる。


 だめ、だめだ、に、逃げなきゃ。





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