「どうした? 眠れないのか」
振り返ると、王子が立っていた。
公務を終えたばかりなのか、細かな刺繍をほどこした黒い上着に、袖口からのぞいている白く繊細なレースが目を引く。
「いや、なんか……アンタのベッドで寝てもいいものか、迷ってたんだ」
「いいに決まってるだろう? 君は私の伴侶なのだから」
王子が『私の伴侶』と口にするたびに、サージャは居心地悪く感じてしまう。
これまで『形代』として王子のために、いわば『犠牲』を払ってきたと思っていた。しかし本当に犠牲を強いられているのは、むしろ彼ではないだろうか。
サージャのような、もはや『形代』として無価値になりつつある人間の面倒をみているだけではない。なぜ王子は、先の遠征に参加できたのだろう。もっと言えば、なぜ軍部に所属できたのだろうか。
王妃は『形代』の存在を知っていて、王子の遠征に反対していた。しかし最終的に、国王陛下の許可を得て出立できた。
(王妃が知ってて、国王が知らないことなんて、絶対にあるわけがない)
間違いなく国王は『形代』の存在を知っていたはずだ。
すると王妃が『形代』の件に深く関わったことも、黙認していたことになる。
(もしかして国王は、瘴気の影響を受けない魔法騎士を、作りたかったんじゃないか?)
どこの国も、瘴魂やそこから発生する魔獣の対処に頭を悩ませている。なぜなら優秀な浄化魔法の使い手でも、一度瘴気の影響を受けてしまうと、回復に時間がかかるため、一線から退くことを余儀なくされるからだ。
そのため各国の討伐隊は、常に人員不足に悩まされていて、それはハイランド国でも同じだった。
(今回アンクランの使者が来たのだって、たぶん瘴気の影響を受けなかった王子の秘密を探るために違いない)
アンクランからの使者は二人。
サージャは詳しいことは知らされてないが、ひとりは王族で、もうひとりは神官だと聞いた。そしてまさに、先ほどバルコニーに立っていた人物こそ、件の神官なのだ。
(俺のこと『形代』の君、とか呼んでいた。俺のこと知ってるなら、つまりアンクランは、すでに王子の秘密を知ってることになる……じゃあ、わざわざハイランドにやってきた目的は?)
アンクランの真の目的は、やはりサージャを捕らえることかもしれない。
そして先ほどの大神官からの伝言には、アンクランの神官をサージャの迎えによこす、と書いてあった。つまり大神官も、この件に深く関わってることになる。
これはもはや、サージャの胸の内だけにとどめておく情報ではない。
サージャは王子に向き直った。
「アンタに話がある」
「……なるほど」
サージャの説明を受けた王子は、ベッドの端にサージャを座らせると、目の前に立ったまま腕を組んだ。
「君の情報提供に感謝する。たしかにこれは、個人が抱えている問題ではすまされない。彼らの目的が、君を捕らえることだけではなく、再びリトアギルの民を使って、多くの『形代』を生み出すつもりなら……なんとしてでも阻止しなければならない」
サージャは胸をなでおろした。やはり王子に話してよかった……サージャのような人間を、これ以上増やすなんて絶対に許せない。
「ところで……さっきの説明で出てきた『終焉の家』についてだが」
サージャは顔をうつむかせた。
「君は、彼らに『終焉の家』ではなく、アンクラン国へ連れていかれるかもしれない、と言ってたな」
「う、うん……」
「その『終焉の家』とは、どのような場所だ?」
「……俺みたいに『形代』として価値がなくなった人間が行く場所だよ。術師が言ってたんだ。一度『形代』に入った瘴気は、二度と体の外に出ないって。もし浄化がうまくいかないと、やがて瘴気にのみこまれて……『瘴魂』の元になるって」
「『瘴魂』の元、だと……?」
「だから、そうならないように、浄化がうまくできない兆候が現れたら『終焉の家』で、それ以上は瘴気を取りこめないようにするんだって。瘴気の侵入を防ぐ家だから『瘴魂』にならずにすむ……人間らしい余生を送れるって聞いたんだ」
「なんてことだ……」
王子は首を振ると、怒りとも悲しみともつなかい感情を隠そうともせず、いらだちもあらわに髪をグシャグシャとかき上げた。
「君はその『終焉の家』とやらで、本当に人間らしく生きられると信じているのか?」
「信じるしかなかったんだよ……それで『形代』の役目から解放される、終わりが見えるから。終わりの見えないことをずっと耐えるなんて、そんなの無理だ。終わりの無い苦しみなんて、絶望しかないだろ。そんなの嫌だ、絶対にごめんだ……!」
サージャの両肩に、大きな手がかかった。
そのまま、ひざまずいた王子に抱き寄せられる。
「つらかったな……そんな思いを抱えて、たったひとりで耐えていたのか」
「だって、しかたないだろ……みんなそれぞれ避けられないことがあって、しかたなく耐えているって、大神官様も言ってた」
サージャは肩にかかった手を取ると、ひざの上でそっと握りしめた。
「だからね、『終焉の家』は俺にとって『希望』なんだ」
「駄目だ、君をそんな場所に行かせない」
王子は手を取られたまま、そっとサージャをベッドに押し倒した。
白い髪がシーツに広がって波打つ。
「君は、私が必ず助ける。このアザもきっと回復する」
「嫌だ」
「どうして?」
サージャは頭上の枕を盾に、ズルズルと這うように体を退いた。
「どうしてだって? きまっている、俺はずっと『形代』の役目が終わる日を待ち望んでいたんだっ……どうして邪魔するんだよ? どうして俺を開放してくれないっ……ん」
王子の唇が、サージャの言葉をさえぎった。
そのまま舌をからめられ、のどの奥に魔力が流しこまれるのを感じた。逃げようとしても、顔を両手で押さえられてしまったら、それも叶わない。
「君が回復すれば、その『終焉の家』に行くことはできまい」
「な、なにするの……」
王子は、改めてサージャをシーツに縫いとめると、寝巻のボタンをひとつずつ外していく。外気にさらされた白い肌がむきだしになり、サージャは王子が何をしようとしているのか気づいて、ガタガタと全身を震わせた。
「いやだ、それ、いやだよ……」
「君は、私の伴侶だろう?」
「だからそれは、便宜上のことだろ? 本当は俺のこと、ただ憐れんでいるだけだろ……アンタは別に、後ろめたい気持ちも、罪悪感も感じなくていいんだ!」
「何を言っている。憐れんでいるのは、後ろめたい気持ちでいるのは、君のほうだろう?」
サージャはハッとして、王子の緑の瞳を見つめる。
深い森の色は、慈愛の色をたたえていた。
「たしかに私は、君に対して申し訳ない気持ちがある。だが、憐れんでいるわけではない。君の態度を見て、君がこれまで『形代』として、誇りをもってつとめていたことを知った。与えられた役目を、誠心誠意尽くしてこなしていたんだと」
そんな立派なものではない。『形代』としての誇りなんてないが、自分の立場を卑下するつもりはなかった。強制的に押し付けられた役目だが、それしかできない自分は、できる限りやるしかなかっただけ。
でも、誰かがそんなサージャのこれまでの努力と献身を、認めてくれるなんて思わなかった。
ただひたすら憐れまれているのは、あまりにもみじめだ。
自分は立派に役目を果たしたことを、誰かに認めてもらいたかった。
「でもこれからの君は、もう『形代』ではない。私の『伴侶』だ。私が君に、この身を捧げよう。だから君は安心して、私のそばにいればいい」