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66. 哀傷

「ここ、は……?」


 目を開けると見覚えのある天井が見えた。

 重華は記憶が曖昧で、自分がなぜここにいるのかが思い出せない。

 ただ、わかるのは、いつの間にか自身の寝台に横たわっている、ということだけだった。


「気がついたか?」

「え?陛下!?」


 思ってもみない人の声がして、重華はがばっと勢いよく起き上がる。


「あ、こら、急に起き上がるな」


 言いながら、晧月は心配そうに重華を見つめ、身体を支えてくれる。


「庭で倒れていたんだぞ。太医に診せたところ、目立った不調等は見られないとのことだったが……」


 どうやら、重華自身にさっぱり記憶はないものの、重華は庭で倒れていて、それを見つけた晧月によって寝室まで運ばれたらしい。

 さらには知らない間に、太医の診察までも済んでしまっているようだ。

 特に不調がないということは喜ばしいことだけれど、不調が見られないにもかかわらず倒れていた、ということがより晧月を心配させてしまっているようだった。


「何が、あったんだ?」


 問われたところで、倒れた時の記憶は重華にはなかった。

 ただ、舜永と話したことは覚えている。

 あの後、舜永はいなくなったのか、だとしたらどのように別れたのか、その辺りに記憶もやはりなかったけれど。


「陛下、あの、聞いてもいいですか?」


 質問を質問で返してしまったけれど、重華には気にする余裕などなかった。

 どうしても、確認せずにはいられないことがあったから。


「ん?なんだ?」


 答えを返せていないけれど、晧月は優しい表情で重華の言葉を待ってくれている。

 けれど、重華の問いかけによって、その柔らかな表情は崩れてしまった。


「方容華様は、今、どちらにいらっしゃいますか?」

「……っ!」


 晧月が息をのんだ。

 その表情を見た瞬間、重華は方容華の死を確信した。


(ああ、どうして私、気づかなかったんだろう……)


 以前にも晧月は、こんな表情を見せた気がした。

 重華が今と同様に、方容華の話題を持ち出した時に。

 その時の重華は気づくことはできなかったけれど、事実を知っている今なら、晧月の表情がとてもわかりやすく思えた。


「容華に、様は不要だと……」

「どちらに、いらっしゃるのですか?」


 ようやくなんとか表情を取り繕った晧月が、話題を変えるかのように言葉を紡ぐ。

 けれど、重華は同じ質問でその言葉を遮った。


「出家させたと、言ったはずだ」


 重華から目を逸らし、ばつが悪そうな様子の晧月と、自信たっぷりな様子だった舜永。

 さすがに、どちらが事実かくらい、重華にも痛いほどわかった。


「では、今はどちらに?」


 晧月が狼狽えた表情をみせるけれど、重華は引くことができなかった。

 しばし、沈黙の時間が続いた後、晧月が溜息をついた。


「誰かに、何か、聞いたのか……?」


 これ以上ごまかすことはできない、おそらく重華は気づいてしまったのだと晧月は確信した。

 けれど、重華が自らの力だけで気づくとは、晧月には考えられなかったのだ。


「はい、お聞きしました。方容華様は、殺されたけれど、自殺ということになっていると。本当、なんですね?」

「ああ。その通りだ」


 晧月は肩を落とし、力なく頷いた。


「いったい、誰がおまえに……重華……?」


 晧月は重華に明かした人物を突き止めようとした。

 春燕や雪梅が安易に重華に明かすことはありえないと思っている。

 つまり、それ以外の誰かがわざわざ重華に近づき、その事実を明かしたとした考えられなかった。

 しかしながら、重華の顔を見た瞬間、晧月の言葉は止まった。

 なぜなら、晧月が認めた途端、重華はぽろぽろと涙を流し始めたから。


「わ、私の、せいです……っ、私が、あの時……っ」

「違う、そうではない」


 晧月はその手で重華の涙を拭ったが、次々と溢れる涙は止まることがなく、手で受け止めるには限界があった。


「でもっ、私に情報を渡したから、殺されたって……っ」

「そう、聞いたのか?」

「はい」


 方容華が死んだ時、晧月は明確に誰かに殺されたという証拠を見つけられなかった。

 そのため、自殺とするしかなかったのである。

 だからこそ、重華に殺されたことだけではなく、その理由までも告げた人物に違和感を覚えた。

 殺された理由どころか、方容華が殺されたということでさえ、本来なら晧月の憶測でしかないことのはずだったから。


(まるで、俺よりも事実を知る人物から聞いたみたいだ)


 たまたま、憶測にすぎないことを事実かのように語っただけかもしれない。

 けれど、なぜか晧月はそうは思えなかったのだ。


「誰に聞いた?」


 問いかけると、重華の肩がびくりと震えた。


「あ、あの、ごめんなさい、その……」

「謝罪が聞きたいわけではない。おまえにそれを告げたのは誰だ?名は、知らないのか?」


 もし、名前まで把握していないなら、その特徴を聞いて探すしかない。

 それでも、皇宮に出入りできる人物は限られているから、見つけ出せるだろうと晧月は考えていた。

 しかし、重華はすぐに首を振ったので、どうやら名前は知っているらしい。


「李 舜永様、です……」

「舜永!?」


 晧月は驚いたけれど、同時に重華の謝罪の理由も、言いにくそうだった理由も納得ができた気がした。

 敵対する相手だと伝えていたために、接触してしまったことを申し訳なく思ったのだろう。


「舜永が、琥珀宮に来たのか?」

「はい」

「あいつ……目的はいったい……」


 皇子なのだから、皇宮への出入りはもちろん自由なのだけれど。

 晧月のところには顔を見せず、重華にだけ会いに来たというのが気になった。

 気まぐれなところもある人物なので、特に意味がない可能性も否定はできないのだけれど。


「他に、何か言ってたか?」

「え?ええと……」


 方容華の死の真相を知っている、そう言って舜永は勝手に真相を話し始めたが、重華の記憶にはほとんど残っていない。

 重華は困ったようにそのことを告げると、晧月はくすりと笑った。


「あいつが言ったなら、それが事実なんだろう」


 晧月には犯人は見つけ出せなかったけれど、犯人はおそらく第三皇子を支持する勢力の中の誰か。

 となれば、舜永は誰がいつどのように実行したのか、晧月が見つけられなかった全てを知っていてもおかしくはない。

 それを晧月には、決して明かしてはくれないだろうけれど。


(しかし、安易だな。重華が全て覚えていて、俺に話したらどうするつもりなんだ?)


 最も、伝わったところで当たり障りのない内容のみだった可能性が高いけれど。

 それでも、それを晧月を支持する勢力を率いる丞相の娘に、わざわざ伝えるようなことでもない気がした。


(いや、そうでもないか。重華に、罪悪感を抱かせたかったのかもしれないな……)


 重華は今も涙を流し、自身を責めながら泣き続けている。

 舜永の狙いがそれだったとすれば、大成功だった。


「もう泣くな。おまえは何も悪くない」

「でも、私があの場に現れなければ、方容華様は毒を飲んで終わりだったと……あの毒は、死に至るものではないから、多少苦しんだだろうけど、死ぬことはなかったって……っ」

「それも、舜永が?」


 重華はこくりと頷いた。

 舜永が語った中で、ほとんどは記憶に残っていなかったけれど、このことだけは重華の耳によく残っていた。

 自分さえいなかったら、今も彼女は生きていた、そのことがあまりにも衝撃的だったから。


「重華、それは違う。方容華はおまえに、感謝していた」

「でも……っ」


 ふと、重華の頭の中に、亡き母の姿が浮かんだ。

 母もまた、重華がいなければ、今も死を選ぶことなく生きていたかもしれない人物だ。

 父も、重華さえいなければ、今も母だけを慈しみ愛していただろう。


(全部、私のせいなんだ……私がいると、皆……っ)


 次はまた、別の人を自身のせいで失ってしまうのかもしれない。

 そんな不安が重華の中に広がっていく。

 同時にひゅっと自身から音がして、息苦しくなるのを感じた。


「重華……?」


 ぎゅっと胸を掴み、苦しそうに背中を丸める重華を晧月は慌てて支える。


(苦しい、息が、できない……っ)


 空気を吸い込もうと必死になればなるほど、上手く呼吸ができなくなっていく気がした。


「どうした?苦しいのか?」

「いき、が……っ」


 それが、重華の精一杯の言葉だった。

 後はただ、必死に空気を吸い込もうとする、重華の呼吸音しか聞こえてこない。


「太医を呼べっ、早くっ!!」


 おそらく、そう遠くない場所にいるだろう春燕と雪梅に聞こえるよう、晧月は全力で声を張り上げた。


「大丈夫、大丈夫だから、落ち着け。ゆっくり、息を吐くんだ」


 少しでも楽になればと、晧月は声をかけながら重華の背中を何度もさすった。

 けれど、苦し気な呼吸音は止まることなく、重華の肩が上下する。

 それでも、重華を抱く手にぎゅっと力を込め、太医が来るまで晧月は何度も声をかけながら行為を繰り返した。


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