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69. 行方


 晧月はしばらく目を丸くして、重華を見つめていた。

 だが、やがてふわりと柔らかな笑みを浮かべ、重華の手を握った。


「嫌いになったりはせぬ。だから、舜永に話したこと、俺にも話してくれないか?」

「あの、でも、たいしたことでは、ないので……」

「おまえのことで、舜永が知っていて俺が知らないことがあるのが気に入らん。たいしたことないなら、尚更話せ」


 そう言われると、他の人に話しておいて皇帝に話さないというのは、妃としてよくない態度かもしれないと重華は思った。

 しかし、勢いのままに話せた舜永と違い、晧月に対してはどこからどのように話すべきか、迷いが生じる。

 そのため、話し始めるまでに少し時間を要してしまった。


「あ、の……母のことを少し、思い出してしまって」


 ようやく発した言葉は、重華自身でも気づくほど震えていた。

 晧月は嫌いにならないと言ったものの、それでもこの先を話すと、晧月の態度が今までと変わってしまうのではないか、そんな不安が重華の中にあったから。


「母は、私のせいで亡くなったようなもので、方容華様もきっと私のせいで……」


 そうではない、晧月はすぐさまそう否定しそうになった。

 しかし、必死に話す重華の様子を見て、今はまず重華の話を黙って聞くことにした。


「今度は、陛下や、春燕さんたちにも、私のせいでよくないことが起こるのではないかと思って……」

「それで、ここに一人で引きこもろうと考えたわけか」


 重華は驚きの表情で、晧月を見つめる。


「聞いて、いらしたんですね」

「舜永の声が、少しばかり聞こえただけだ」


 重華は俯いて、口を閉ざした。

 確かにそう考えていたのだけれど、舜永の言葉を聞いて無理そうだと理解した。

 そして、何より晧月に知られてしまっては、勝手なことを考えて気分を害してしまうのではないかと不安でもあった。


「そなたの母のことは詳細を知っているわけではないが、方容華に関してなら自信を持って言える。あれは、おまえのせいではない」


 慰め方は、兄弟でもまるで違うと重華は感じた。

 舜永は、一歩間違えれば口論に発展しそうな空気の中で、そこまで責めなくてもいいと言っていた。

 一方で晧月は、穏やかな空気の中で、それでもはっきりと重華のせいではないと告げている。


(やっぱり、陛下は優しい)


 しかし、そう思うからこそ、重華はその言葉を舜永のものよりも素直に受け入れられないような気がした。

 今の晧月ならば、たとえそれが重華のせいだとしても、はっきりとそう告げてくれないのではないかと思ってしまったのだ。


「もし、誰かのせいだと言うなら、あれは俺のせいだ」

「え?」

「皇帝でありながら、後宮で妃が殺されるのを防げなかった俺に非がある」

「そんなっ、そんなこと、ありませんっ!悪いのは、殺した人で、陛下は何もっ!!」

「そう思うなら、おまえもそれ以上、自分を責めるな」

「あ……」


 晧月の言葉が、晧月の本心だったのか、重華の言葉を引き出すためのものだったのかは、重華にはわからなかった。

 けれども、先ほど重華のせいではないと言われた時よりも、晧月の言葉がすとんと重華の中に落ちてくるような感覚があった。


「おまえの母もきっと、おまえのせいではない」

「でも、母は……」


 今でも重華はよく覚えている。

 ことあるごとに、重華さえいなければと泣き叫んでいた母のことを。


「俺が、これから時間をかけて証明しよう。おまえの傍にいても、おまえのせいでよくないことなど、決して起きないと」


 そう言って微笑む晧月を見ていると、重華は、今にも涙が溢れそうになった。


(また、泣き虫な妃だと言われてしまう)


 重華はそう思って必死に耐えようとしたけれど、それでも耐えきれずぽろりと涙が零れ落ちた。


「本当に泣き虫な妃だ」


 やはり、重華の予想通りの言葉が、晧月から降ってきた。

 同時にとても優しい手つきで、晧月の手が重華の涙を拭う。


(ああ、私、やっぱりずっとここに居たい……)


 晧月にも、春燕にも、雪梅にも、たくさん迷惑をかけてしまうかもしれない。

 けれど、やっぱり一人きりになるのではなく、今のままでいたいと重華は願った。




「ところで、この絵はそんなに大事なのか?」

「え?」

「舜永に、渡したくなかったのだろう?」

「えっ?それは、その、陛下が……っ」


 重華はそこまで言って、慌てて口を閉ざした。

 舜永に渡したくないと思った一番の理由は、もし晧月が欲しいといえば晧月に渡したいと思ったから。

 けれど、本人の前でそんなことを口走ってしまえば、押し付けることにもなりかねない。


(陛下が私の絵を欲しがるのが当然だと思っていると、勘違いされちゃう)


 重華は決して、過度な期待を持っているつもりはない。

 今まで描いた絵で、晧月に渡した絵の枚数の方が、渡さなかった絵の枚数より遥かに少ないと理解もしている。

 ただ、ほんの少しだけ、そんな可能性もあるかもしれないと考えたにすぎないはずなのだ。


「俺が、どうした?」

「い、いえ、なんでもありませんっ」


 これだけは、なにがなんでも言うわけにはいけないと、重華は必至に首を振る。


「残念だな、渡してもよい絵なら、俺が欲しかったのに」

「え?」


 晧月は非常に残念そうに、重華が描いてる絵を眺めている。

 重華はただ、舜永に対して渡す気になれなかっただけだったが、晧月は誰にも渡したくないと勘違いしたようだ。


「あ、あのっ」


 つい、声をあげてしまったけど、その先を言うには思いのほか勇気が必要だった。

 やっぱり、やめておこう、そう思ったところで晧月から声がかかり、重華はぴくりと震えた。


「その……陛下でしたら、差し上げます……」


 ようやく出た言葉は震えながらの小さな声だったけれど、晧月が嬉しそうに笑ってくれるのが、重華はとても嬉しかった。


「いいのか?」

「はい、ただ、完成まであと少し、お待ちいただくことになりますが」

「それはかまわん。すぐ終わるか?」

「はい。あと少しです」

「ならば、ここで待っていよう」


 晧月は当然のように、重華が絵を描くために座るだろう場所のすぐ傍に腰を下ろした。

 本当に、あとほんの少しで完成する予定なのだけれど。

 隣に晧月がいる状態で描くのは、やはりいつも緊張してしまって、少し時間がかかりそうかもしれないと重華は思った。


「ひょっとして、俺に渡すために、舜永に渡さないでいてくれたのか?」

「え、あの、その……っ」

「もし、そうなら、嬉しいんだがな」


 晧月は、まさかそんなことはないだろうと思っている。

 重華はまさにその通りなのだけれど、そんなことは言えない。

 それでも、絵は無事に完成し、晧月へと手渡された。





(気に入らないな)


 兄に呼び出され、しぶしぶ訪れた天藍殿、そこで最初に舜永の目に飛び込んできたのは、舜永が重華に欲しいと言った絵だった。

 柔らかな空気を感じるような重華の絵に惹かれ、価値ある画家の絵ではないとわかっているのに、舜永はその絵が喉から手が出るほど欲しいと思った。

 けれど、先約があると、残念ながら断られてしまった。

 その時点で、あれは晧月のものになると決まっていたのだと、舜永は理解していたはずだった。

 だが、見せびらかされるかのように飾られた絵を見ると、どうしても不機嫌になってしまうのを止められなかった。


(まさかこいつ、これを見せるためだけに呼んだわけじゃないだろうな)


 呼び出しの用件も聞いている、そんなわけないと知っている。

 それなのに、ついそんなことを考えて、晧月を睨みつけてしまう。


(あれも、珠妃が描いたのか?)


 すぐ傍に、舜永が手にできなかった重華の絵と、おそらくは同じ人物が描いたのだろうと想像できるような似た雰囲気の絵がいくつかあった。

 重華の描いた絵を何枚も持っている晧月が、舜永はただうらやましくて仕方がなかった。

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