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76. 訓示


「皇太后陛下に、ご挨拶いたします」


 重華は、何を言われるのだろうとびくびくしながらも、人生で二度目の皇太后への挨拶を行った。

 一度目の時は、立ち上がる際に晧月が手を貸してくれた。

 しかし、この場には晧月も春燕も雪梅もいない。

 そんな中で、重華に手を貸してくれたのは、ここまで重華を導いてきた皇太后の侍女だった。


「陛下の看病は、あなたが一人で行ったようね」

「はい。陛下が他の妃嬪の方を望まれなかったので……」

「まぁ、それはそうでしょうね。ご苦労だったわ。おかげで陛下も回復されて、今日は問題なく政務に励んでいらっしゃるようだし」

「いえ、私は何も……」


 全ては、晧月の並外れた回復力のおかげである。

 重華はむしろもっと休ませたかったのに、何もできなかった、という気持ちの方が強かった。


「でも、このままでは、陛下はすぐにまた倒れてしまうでしょうね」

「えっ!?どうして、ですか?」


 ようやく回復したばかりだというのに、皇太后の言葉はまるでもう倒れることが決まっているかのようだった。


「病み上がりなのに、もうお仕事をされているから、ですか?」

「それもあるけれど、一番の原因は陛下の政務が、減らないからよ」


 晧月の政務は減らないどころか、ここ数日、日増しに増えている。

 皇太后は、その状況も、その原因も、よく理解していた。

 重華を呼んだのは、その現状を解決するためである。


「なぜ、最近陛下の政務が増えているか、知っている?」

「いいえ……」


 政務について、重華は晧月から何か聞いたことなどなかった。


「やっぱり、陛下は、あなたに何も話していなかったのね」


 皇太后は、予想通りに結果に、ため息をついた。


「これを話せば、陛下はお怒りになるでしょうね」


 晧月が意図して伝えていないのだということは、皇太后にもよくわかっていた。

 だが、皇太后は自身の立場、そして何よりも皇帝である晧月を優先させて考えるならば、言わないわけにはいかないと考えている。


「陛下の政務が増えた原因、その半分はあなたよ、珠妃」

「え……?」


 重華は、皇太后の言葉に愕然とした。

 体調を崩して尚、どうしてもこれだけは、と一部の書状に目を通していた晧月。

 倒れるほど無理をして、それでもそこまでしなければならないような状況に追い込んだ原因が、まさか自分だなんて重華は夢にも思わなかったのだ。


(だったら、陛下は、昨日、どんな気持ちで私を傍に置いてたの……?)


 これほどまでに晧月に大変な思いをさせた元凶だというのなら、憎くて仕方なかったのではないだろうか。

 重華は、そんなことを考え、不安になった。


(でも、どうして、私のせいで……?)


 原因は自身にあると言われても、重華は思いつくことがない。

 同時に半分だと言われたことも気になった。

 あと半分の原因も、思いつくことが何もないのだ。


「ちなみに、もう半分の原因は、第三皇子、李 舜永」

「舜永様?わ、私と、舜永様が、お話ししたから、ですか……?」


 話しただけでは、問題にならないはずだ。

 重華はそう思いながらも問いかけた。


「話すだけなら、問題はないわ」

「そう、ですよね……」


 やはり、間違ってはいなかった。

 晧月だって、確かにそう言っていたはずなのだから。


「ただ、第三皇子は珠妃に言い寄られたと言っているわ」

「わ、私は、そんなことしてませんっ」

「でしょうね。私も陛下も、第三皇子の言葉を信じていない。でも、問題はそこではないのよ」


 皇太后の険しい表情を見ていると、重華は嫌な予感しかしなかった。


(舜永様がおっしゃったのは、これだったの……?)


 重華は最後に会った時の舜永を思い出した。

 正直なところ、まだ今何が起きているのか、重華は全くもって理解ができていない。

 それでも、非常によくないことが起きているということだけは、重華にもよくわかった。


「第三皇子の希望は、あなたを下賜すること。それで、皇帝の妃が皇子に言い寄ったことを丸く収めようと提案している」


 重華はぴくりと肩を震わせた。

 やはり、舜永はなぜか重華を自分の妃にしようとしているようである。


「けれど、臣下たちはそうはいかない。あなたを厳罰に処すことを希望しているわ。そうすることで、丞相にも痛手を負わせられると思っているのでしょう」


 当然だろう、と重華でも思った。

 皇帝の妃でありながら、他の男と関係を持とうとしたのであれば、皇帝に対する裏切りであり大罪である。

 重華はそんなことは決してしていないけれど、もし、しているのであれば、簡単に許されるようなことではない。


「当の丞相は、なぜか、あなたを庇おうとすらしないで、この状況を静観しているようだけど」


 父は決して重華を助けたりしないだろう、それだけは重華はしっかりと確信が持てた。

 むしろ、厳罰に処され、重華が晧月の妃でなくなるを、誰よりも望んでいる人物かもしれない。


「丞相が陛下の味方をしてくれれば、まだ何か策を考えられたかもしれないけれど……」


 なぜ、助けてくれないのかしら、とちらりと重華に視線を向ける皇太后は、もしかしたら重華が丞相に娘として認められていないことを知っているのかもしれないと重華は思った。

 晧月も重華の過去を調べたと言っていた、同じことを皇太后がしていても決して不思議ではない。


「このままでは、陛下はあちこちからあがる、あなたを罰するようにという嘆願の対応に追われる一方で、とても政務を通常通り片付けられる状況にはならないわ」


 つまり、再び無理をし続ける必要があるということ。

 今だって、病み上がりで無理をしていることだろう、いつまた倒れたっておかしくない状況なのだと、重華にも理解はできた。


「私は、どうすればいいですか?」


 皇太后が、誰にも知られず重華を呼び出したのは、きっと重華に何かさせたいのだろうと思った。

 そして、おそらくそれは、晧月に知られれば、決して歓迎はされないことだろう。


「話が早くて助かるわ。しばらくの間、冷宮に入ってちょうだい」

「冷宮……」


 どんな場所か、重華は晧月から聞いた言葉から想像することしかできない。

 それでも、お世辞にも良い場所とは言えないことだけはわかっている。


「ずっとではないわ。臣下たちの望み通りあなたを罰すれば、嘆願は落ち着く。そうすれば、陛下はこれまで通り政務を行えるようになるわ。そうして、陛下の政務が落ち着いたら、あなたの無実を証明する方法を考え、あなたを冷宮から出してあげる」


 そう言うと、ずっと座っていた皇太后が立ち上がり、一歩、また一歩と重華に近づいた。

 重華はあわせて一歩ずつ下がりたいような気分だったが、必死にその場に立ち続けた。

 すると、目の前まで来た皇太后の手が、重華の頬に触れる。


「だから、少しの間だけ、冷宮で過ごしてちょうだい。わかるでしょう、何より大事なのは、陛下のお身体なの」

「はい……」


 皇帝は代えの利かない大切な存在であり、重華の代わりとなる人物なら、きっといくらでもいる。

 そう思うと、悲しくなるような気もしたが、晧月の現状を考えれば悲しんでいる場合ではない。


(私が冷宮に行けば、陛下はもうこれ以上無理しなくて済む。それなら……)


 重華に迷いはなかった。

 重華が今やるべきことは、ただ一つだけである。


「冷宮に行くのは、どうすれば……」

「陛下に宣旨を下してもらわないといけないの。私から何度も説得をしているのだけれど、陛下はできないの一点張りで……」


 困ったような皇太后の言葉に、重華は目を丸くした。


(陛下、倒れるほど大変な思いをされているのに……)


 重華を冷宮に送ってしまえば、楽になると晧月ならわかっていたはずだ。

 それでも、きっと重華のために、晧月は首を縦に振らなかったのだ。


「私、陛下にお願いしてきますっ」


 皇太后への礼も忘れ、一目散に走り去った重華を、皇太后は満足げな表情で見送った。

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