「ああっ、くそっ!!」
晧月は苛立った様子で、頭を掻きむしった。
そうすることで、何かが解決するわけではないことはよくわかっている。
それでも、そうせずにはいられないほど、焦りと苛立ちを抱えていた。
晧月はあれから、政務を片付けられるだけ片付け、重華の無実を証明し冷宮から出すべく様々な方法を思案していた。
だが、やはりというか、そう簡単にはいかないというのが現実である。
そもそも、そんなに簡単に重華の無実が証明できるのであれば、重華は今頃冷宮にはいない。
何もなかったことを証明するということは、何かあったことを証明することよりもずっと難しいのだ。
「陛下、焦っても仕方ありませんよ」
「うるさいっ、おまえも、さっさと知恵を出せ」
晧月の怒りをすぐ傍で受け止めているのは、志明だった。
志明は任務の途中で、朝も早くから晧月に呼び出され、天藍殿へとやってきた。
晧月は志明にも重華を冷宮から出す良い案を出させようと呼び出したようだが、朝から志明がやっている主なことといえば、苛立ちを露わにする晧月を宥め、その怒りを全て受け止めることだった。
「そう、言われましてもねぇ……」
どちらかといえば、武闘派の志明からすれば、こういった頭を使うことは向いていないので、勘弁してほしいというのが本音である。
しかしながら、非常に追い詰められた様子の晧月を見ていれば、それを告げ早々に立ち去るということもできなかった。
そのため、ただひたすらに晧月を宥めることに徹しているのである。
「いっそ、冷宮に火でも放ってみては?」
「ふざけるなっ!!そんなことをして、重華が大怪我でもしたら、どうするんだっ!!」
耳を塞ぎたくなるほどの、一際大きな晧月の怒号が響き、やはり駄目かと志明はため息をついた。
冷宮そのものが燃えてなくなれば、さすがに冷宮にはいられない。
そうなれば、とりあえず一時的には冷宮から出られるかもしれない、そう考えてのことだった。
しかし、晧月が望むような答えではないだろうとは、志明も思ってはいたのだ。
ただ、他に何も思いつかなかったため、とりあえず言ってみたにすぎない。
「だいたい、それでは根本的な解決にならないだろうっ!」
晧月が望むのは、一時的に冷宮から居場所を移すことではない。
重華が冷宮に居るべき人間でないことを証明し、晧月の妃として今まで通りの生活を取り戻させることなのである。
冷宮が燃えたことにより、今より多少なましな場所へ幽閉先を変えられれば、それも重華にとっては悪くない結果なのかもしれない。
だが、晧月はそれだけでは到底納得はできなかった。
「じゃあ、やっぱり、舜永様に証言してもらうしか……」
「見返りを求められるだろうな」
「あー……さすがに、皇帝の座と引き換えに証言してもらうわけには、いかないですもんね」
志明は舜永が見返りに皇帝の座を要求するだろうと考えた。
一方で、晧月は皇帝の座を渡すことで解決するのなら、もはや渡してしまってもいいと思ってしまうほど追い詰められていたが、舜永が望むなら別のものだろうと思っている。
(今のあいつなら、重華を望むはずだ)
だからこそ、他の方法を考えなければならないのだ。
「丞相は?自分の娘ですよ?助けては……くれないですよね、やっぱ……」
重華の過去を調べ、晧月に伝えたのは他でもない志明である。
自身が調べたことを鑑みると、どう考えても丞相が力になってくれる気がしなかった。
「むしろ、重華が冷宮送りになったなら、今度こそ下の娘を後宮に、と考えているようだ」
「げっ!まさか、もう打診が?」
「いや、肝心の娘の方が、どうやら逃げられたまま、まだ見つかってないらしい」
それでも、時間の問題だろうと晧月は思っている。
もし、娘が見つかった時、重華がまだ冷宮に居た場合、新たに輿入れを要求される可能性は十分にある。
それもまた、晧月が焦りを覚える理由の一つであった。
「じゃあ、皇太后陛下は?」
「数年もすれば、皆忘れるだろうから、その時に出してやればいい、と」
「随分と気の長い話で」
どうやら晧月以外の人間は、誰も重華をすぐさま冷宮から出そうと考えてすらいないようで、やはり簡単にはいかないようだと志明は思った。
「ああ、陛下っ!物に当たらないでくださいよっ!」
晧月はともすれば手あたり次第目の前の物に当たり散らかしそうになるのを、何度となく志明に止められながら、夜遅くまで必死に頭を働かせた。
しかし、結局何の進展もないまま、その日を終えることとなってしまった。
その日の深夜のことだった。
そろそろ眠ろうと思っていた晧月の耳に、騒がしい足音が響き渡った。
(この時間に来客は、ないはずなんだがな)
晧月は反射的に護身用の剣を手にする。
いつでも剣を抜けるよう構えたところで、足音の主は勢いよく部屋の中へ飛び込んできた。
「兄上っ!!」
「舜永……!?」
飛び込んできたのが、自身の弟だったことで、とりあえず晧月は構えた剣を抜くことはなかった。
「こんな夜更けに何の用だ?というか、ここに入れたのは誰だ?衛兵が居ただろう、どうやって……」
「皇子である俺が無理矢理押し通るのを、本気で止められる衛兵なんて、この皇宮にいないでしょ」
けろりとそう言ってのける舜永の言葉を否定できず、晧月は頭を抱えたい気分になった。
「まったく、それでは警備の意味が……」
「って、今そんなことはどうでもいいんだっ!」
舜永は勢いよく晧月に詰め寄ると、逃がさない、とでも言うように晧月の胸元を掴んだ。
「おい、いったい、何を……」
「何もなかったって証言するっ!皇位継承権も放棄するっ!!」
「は?突然何の……っ」
皇位継承なんて話が突然飛び出し、舜永の意図が読めず晧月は目が点になる。
一方で、舜永はというと、非常に切羽詰まった様子だった。
「だから、だからっ、珠妃を助けてくれっ!!」
「珠妃……?」
どうやら、舜永は重華を助けたいらしい。
そもそも誰のせいでこんな事態になったと思っているんだ、と晧月は思ったが口にはしなかった。
舜永自ら証言すると申し出てくれるならば、話が早い。
これ以上、頭を悩ませずとも、重華を冷宮から出せる状況が整ったも同然なのだから、あえて文句を言う必要も晧月にはなかった。
「どういう風の吹き回しかは知らんが、おまえが証言するなら、事はすぐに終わる。日が昇ってから、おまえの証言を記録させ、その後すぐに……」
「それじゃあ遅いんだよっ!!」
強く揺さぶられ、あっけにとられた晧月の手から、持っていた剣が滑り落ちた。
だが、からんと音を立てた剣に、晧月も舜永もその視線を向けることはなかった。
「珠妃が冷宮で倒れてるんだっ!すぐに医者に診せないと……っ」
「なんで、おまえが冷宮のことを……いや、話は後だ」
舜永が勝手に冷宮に忍び込んだのだろうことは、なんとなく晧月には想像ができた。
だが、今それよりも重要なのは、冷宮で倒れているらしい重華のことだ。
それが事実であるならば、事は一刻を争う。
晧月は部屋を素早く見渡すと、近くにかけてあった外套を掴んだ。
「誰にも知られず、冷宮に忍び込む手筈は整えてあるんだろ?おまえが、冷宮まで案内しろ」
「わかった、こっち」
舜永に案内させれば、晧月もまた誰にも知られず冷宮まで行くことができるはずだ。
そう確信して、舜永に促せば、舜永は頷いてすぐに駆け出した。
晧月はすぐさまそれを追いかけ、2人は冷宮までの道を急いだ。