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82. 融和


 重華は今も寝台に横たわったまま、目覚めない。

 実質、晧月と二人きりも同然の状態で、舜永は気まずい沈黙が流れるかと思っていた。

 しかし、舜永の予想に反し、晧月が何かと話しかけてきたおかげで、沈黙の時間は非常に少ないものだった。


「おまえとは、兄弟らしいことをして過ごした記憶もあまりないが、それでも似たところはあったらしいな」


 そんな晧月の一言から、会話は始まった。


「なんだよ、突然」

「おまえも、珠妃に惹かれたんだろ?」

「別に、俺は……っ」


 舜永は突然のことに慌て、必死に否定しようとしたがすぐに止めてしまった。

 どうせ晧月は信じないだろうと思ったし、何よりも図星だったから。

 舜永は目を閉じ、自身を落ち着かせるかのようにすうっと深呼吸をした。


「俺の周りってさ、みんな、人を蹴落とすことばっかり考えてんの。その筆頭が母上でさ……」


 晧月の言葉を肯定するでもなく、否定するでもなく、突如はじまった舜永の話。

 慌てふためきながら、必死に否定するか、諦めて肯定するか、そのどちらかだと思っていた晧月は、そのどちらでもないことに多少驚きはしたものの、そのまま黙ってただ舜永の話に耳を傾けることにした。


「父上が生きてる頃は、皇子を産んだ自分の方が皇后に相応しいって、何かにつけて皇后陛下を失脚させようと必死だったし」


 それは、晧月もよく知る話だった。

 もっとも、当時の皇后、今の皇太后の方が一枚も二枚も上手だったために、ことごとく失敗に終わってしまっているのだが。


「今だって、俺を皇帝にして、皇太后の座を手にしようと必死になってるし」


 これもまた、晧月は今現在、身をもって体験しているためよく知る話である。


「俺にだって、兄上に皇帝の座を奪われるな、とか。第四皇子は俺の味方のはずなのに、第四皇子に出し抜かれるな、とか、隙を見せるな、とかまで言ってきて」


 これには晧月は少しばかり驚き、目を見開いた。

 自身と競わせるようなことをあれこれ言っているのだろうと思っていた。

 しかし、舜永の補佐に徹するよう教育されている第四皇子までも警戒しているとは、考えもよらなかったのだ。


「俺を支持するっていう役人たちだってそうだ。自分が一番役に立つ人材だって証明するために、他の役人を貶めたり、揚げ足取ったり」


 どこの役人も同じようなものだな、と晧月は思った。

 残念ながら、晧月の周りにも、似たような人材は多くいる。

 だが、多少なりとも救いがあるとするならば、晧月の周囲は必ずしもそういった人材ばかりではないということだ。

 舜永の周りがそうでないとするならば、さすがに不憫だと思わずにはいられなかった。


「なんかそういうの、全部うんざりでさ。でも、珠妃は、全然そんなことなくて」


 さぞ、珍しい存在だっただろう、と晧月は思った。

 もっとも、晧月にとっても、重華は身近にはなかなか居ない珍しい存在だったのだけれど。


「俺の周りは人が死んだって、悲しむようなこともなくて、むしろ邪魔者がいなくなったって笑うような奴ばっかりな

 のに、珠妃は自分を危ない目にあわせるかもしれないような人間の死まで、悲しんじゃってさ」


 舜永の目に浮かぶのは、方容華の死を知った時の重華の姿だった。

 舜永の周囲の人間ならば、一度自身に毒を盛った人間ならば、その後もずっと警戒し、どうにかして排除することだけを考えたはずだ。

 たとえ盛られた毒が命に係わるものではなかったとしても、次もそうとは限らないから危険だ、そんな風に考えるような人間しか舜永は知らなかった。


「最初は、馬鹿なやつって思ってたはずなのに、なんか珠妃の傍にいると、あったかくて、心地よくて、落ち着くんだ」


 それは、舜永が今まで、誰とともに居ようとも、感じたことのないものだった。

 だからこそ、重華の隣を、自分のものにしたくなったのだ。

 その気持ちは、晧月もよく理解できる気がした。


「まったく、妙なとこが、似てしまったものだな」

「安心してよ、珠妃のことは、ちゃんと諦めるつもりだから」


 だからこそ、舜永は重華とは何もなかった、全て自身がついた嘘なのだと、そう証言するつもりなのである。


「珠妃を冷宮から出すため、珠妃とは何もなかったと証言してもらう必要はあるが、皇位継承権は無理に放棄しなくていいんだぞ?」


 もちろん晧月としては、放棄してもらった方が、今後争うこともなくなるわけだからありがたい。

 だが、舜永の周囲のことを鑑みると、無理に放棄させるのも忍びないように思えた。

 皇位継承権を放棄しなかったからといって、必ず皇帝の座が舜永に脅かされるというわけでもないのだから。


「いいよ。嘘ついて、政治を混乱させたのに、何もなしってわけにはいかないだろうし。そもそも俺、そんな皇帝になりたいなんて、思ってはなかったし」

「そう、だったのか……」


 その言葉は、晧月にここ数年で一二を争うほどの驚きを晧月にもたらした。

 晧月はずっと、舜永は自身同様に、ただ皇帝になること目標にしてきたのだと信じ、それを疑ったことなどなかったから。


「俺だって、あれこれ勉強させられたんだ。だからこそ、兄上がどれほど優秀かも、俺よりもずっと皇帝に向いてるってのも、よくわかる」


 年齢差によるものも、あったかもしれないが、舜永は何度となく晧月には敵わないと思い知らされてきた。

 それなのに、長子である晧月を差し置いてまで自身が皇帝にならなければならないような必要性も、舜永は感じていなかったのだ。


「父上だって、自分の跡を継ぐのは兄上だって言ってたんだ。それを破ってまで、皇帝になろうって気は、俺にはないよ」


 決して、舜永にとっては優しい父親ではなかったものの、やはり父親は父親。

 その意に反するようなことをしたいとは、思えなかった。


「でもさ、それを言うと、母上には何もなくなっちゃうからさ」


 皇帝の寵愛も得られず、皇后の座も手にできなかった。

 そんな母の最後の希望が、自身を皇帝にすることだということが舜永には痛いほどよくわかっていた。

 ひたすらに自身が皇帝になる夢ばかりを語る母親を見ていると、自分は皇帝には向いていないとか、皇帝になりたくないとか、そんなことは到底口になどできなかったのだ。


「なら、尚更、皇位継承権は手放すべきではないのではないか?婉貴太妃は、納得しないだろう?」

「俺ももう子どもじゃないんだし、ちゃんと話してわかってもらうよ」

「そうか。なら、継承権を手放した後、おまえの立場が悪くならないよう、俺も善処しよう」


 晧月がそう言うと、舜永は不審な目で晧月を見つめる。


「突然、何?何を企んでるの?」


 気持ちが悪い、とでも言わんばかりの舜永の表情を見て、晧月は苦笑する。


「別に、何も企んでなんかいないさ。ただ、珠妃の言葉を思い出しただけだ」

「珠妃の……?」

「ああ。以前、おまえとの関係性を説明した時、珠妃に言われたんだ、兄弟なら協力して争わなくて済むようにできるのではないかと」

「珠妃らしいね」


 少なくとも、自身にはありえない発想だと舜永は思った。

 自身の周囲にも、そんな提案をするような人間はもちろんいない。

 けれど、重華ならば確かに言いそうだ、そう思うと舜永に自然と笑みが浮かんだ。


「当時の俺は、おまえも俺も帝位を諦めることなどないから、無理だと思っていた。だが、おまえの話を聞いて、それも可能なのかもしれないと思っただけだ」


 今まで、晧月は舜永と協力など、できる気がしなかった。

 だが、今、自身の目の前にいる舜永は、これまで自身が知っていた舜永とはどこか違って見え、これから協力していけるような気がしたのだ。


「もっと早く、こうしておまえの話を聞いておくんだったな。おまえが皇帝の座にそれほど執着しているわけではなかったのなら、できることもいろいろあったはずだ」


 もっと早く、舜永の心のうちを知っていれば、無駄に兄弟間で争う必要もなかったのかもしれない。

 あまり、想像はできないけれど、仲のいい兄弟になれていたのかもしれない、そんな考えさえ晧月には浮かんだ。

 しかしながら、そんな晧月の考えが気に入らなかったのか、舜永は少しばかり顔を顰める。


「あ、でも、俺、今回皇位継承権を放棄する気になったのは、あくまで珠妃のためだから」


 晧月と仲良くするためではない、どこか牽制するかのように舜永はそう言ったが、晧月はただ笑うだけだった。

 その所為か、舜永はむっとした表情を浮かべる。


「もし、兄上の妃で居ることで、珠妃が傷つくようなことがあれば、その時は全力でその座から引き摺り下ろすから覚悟しといて」

「安心しろ。そんなことは絶対に起きないから」


 舜永は、自信満々な様子が少しばかり気に入らなかったが、その回答には満足だった。


(ま、そうだろうな)


 きっと晧月は誰よりも重華を大切にするだろう。

 だからこそ、舜永は重華を諦められる、そう思った。




「ここ、は……?」


 小さな呟きとともに、重華はゆるゆるとその目を開いた。

 それに気づいた晧月も舜永も、慌てて立ち上がり重華を覗き込む。


「重華、気がついたのか?」

「大丈夫、珠妃?」


 重華の視界に心配そうな2人の顔が映る。


(陛下と、舜永様……?)


 自身がどこにいるのか、重華はわからなかった。

 しかし、視界の端々に映るものから、ここが冷宮でないということだけは確信が持てた。


(だめ、ここに居ては……)


 なぜ、晧月と舜永がともにこの場にいるのかは重華にはわからなかった。

 けれど、とにかく今すぐ冷宮に戻らなければいけない、重華はそう思った。

 しかしながら、身体には全く力が入らず、起き上がることすらできない。


「大丈夫だ、重華。もう、終わったんだ」


 重華を安心させるように、晧月が告げる。


「おまえのおかげで、全て解決した。だからもう、冷宮に居る必要はない」

「ほん、とう、に……?」

「ああ。だから、今はゆっくり休め」


 重華はほっとしたように笑った。


「よかっ、た……」


 それだけ言うと、重華の目はゆっくりと閉じられていった。


「え!?珠妃っ!?」


 また気を失ったのか、と舜永は焦ったように声をあげる。

 それを落ち着かせたのもまた、晧月だった。


「落ち着け、眠っただけだ」

「でもっ、今起きたばっかりなのに」

「それだけ、身体が弱っているということだろう」


 重華の身体は、それだけ休息を必要としているのだ。


「大丈夫だ。しっかり休息を取れば、回復する」


 一度目覚めた重華の姿と晧月の言葉で、舜永はようやく重華は大丈夫なのだとそう思うことができた。

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