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第二章 禍福

第一話 残影

 黄緑色の衣の上で、金の刺繍であしらった鳳凰を堂々と靡かせて、狡猾で残忍な女は窓から庭園を眺めている。


 「光華妃コウファヒ姐さま、ご機嫌よろしゅうございませんね」


 桃色の衣の上で、紅色の花を咲かせている女が茶を啜りながら言う。すると、光華妃は威嚇する時に広がる孔雀の羽のように、苛立たしさを含めた態度で扇子を広げた。


 「そりゃそうよ。あの他所者医家が来なければ、今頃状況は変わっていたはずなのに!国師がまた余計なことをしでかしたせいで、目論みは台無しじゃない!」


 「まぁまぁ、光華妃姐さま。今は少し様子を見ましょう。いずれは、一人ずつ消えていくでしょうから〜」


 木漏れ日が雲に隠れ、明るく照らされていた紅色の花模様の衣が、薄気味悪い朱色へと変化していく。

 「でも…」そう言いかけて、光華妃は扇子を勢いよく閉じ、白い歯を見せた。


 「美朱妃ミンシュウヒ、あなたがくれた毒は最高の効き目だったわよ。本当に後少しだったのよ。次はもっと強いのをお願いしたいわ〜」


 「姐さま、お顔が緩んでいらっしゃいますよ。毒の件は、また頼んでおきますね。この後の始末は、私にお任せしてもらっても?」


 「えぇ。お願いするわ」


 光華妃は長椅子に横たわるように身体を預ける。

 美朱妃は「では、また」と言って侍女を引き連れ、光華妃の宮殿を後にした。


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 一方、永憐ヨンリェン宇辰ウーチェンしかばねが大量に発生したと深豊シェンフォンから知らせを受け、馬に乗って渭陽いようへ来ていた。

 深豊たちと合流し、惨憺たる屍の山の前で立ち止まる。

 永憐は永冠を鞘から抜き出し、生き絶えた屍の顔や身体を器用につつく。


 「深豊、何が起きている?」


 「俺も分からねぇ。ただ、玄天遊鬼ゲンテンユウキが絡んでることは間違いなさそうだ。ほら、ここ見てみろよ」


 深豊は永憐と同じく剣を取り出し、剣先で屍の首の辺りを指した。


 「黒い百合模様か…」


 「そうだ。あいつは赤潰疫もだが、黒い花の模様をどこかに残して、傀儡かいらいを操ったりしている。恐らくこの屍たちも、玄天遊鬼に操られた後だろう」


 深豊がそう言い終えると、突然、屍の山から数名の遺体が手足をおぼつかせてムクっと起き上がった。目は白く、明らかに自分の意思で動いている訳ではなさそうだ。

 深豊と永憐は互いに背を向けて、それぞれ前後に剣を向ける。近くにいた宇辰や深豊の手練れ達も、剣を構え始めた。


 すると、屍は唸り声を上げて、勢いよく永憐たちに飛びかかる!深豊と永憐は、永狐ヨンフーの双璧と呼ばれていた頃のように果敢に攻め、飛びかかってくる無数の屍を斬りつけていく。二人の俊敏さは明確で、まるで空中で踊る龍と狐のようだ。

 しかし、この屍は何度斬りつけてもまたすぐに起き上がり、更に数が増していく。

 永憐は宇辰たちに向かって声を張り上げた!


 「剣に術と剣気を込めろ!」


 『はい!』


 この屍たちは、ただの妖魔ではない。恐らく近くに玄天遊鬼がいるはずだ。そう悟った永憐は永冠に探知術を込め、剣先を地面に突き刺し、玄天遊鬼の居場所を突き止めようとした。

 するとその時、一筋の剣光が永憐に向かって飛んで来る!

 永憐は咄嗟に永冠の剣先を地面から離し、近くにあった木に飛び移り、その剣光を交わす。

 永憐は大木の上から気配の居場所を探り、木の下に集まってくる宇辰たちに聞こえるように、永憐は注意を促した。


 「玄天遊鬼が近くにいる。気をつけろ!」


 『はい』


 すると突然、今まで勢いよく飛びかかってきていた屍が、急に次々と正気を失ったかのように、倒れ込むではないか。

 辺り一面が静寂化し、実に薄気味悪い空気が漂う。

 永憐は木の下に勢いよく降り立ち、周囲を見渡す。

 すると目の前の雑木林の暗闇から、一人の男が身の毛もよだつような霊気を漂わせて歩いてきた。


 「ほぉ。永冠の今の持ち主は其方のような高貴なお方か。名は何と言う?」


 「王永憐ワンヨンリェンだ」


 「ワン?剣豪の王家か?」


 「そうだ。そちらの名は?」


 暗雲が開き、月明かりに照らされた男の顔が見える。

 その顔を見て誰もが驚愕し、固唾を飲んだ。


 「私か?玄天だよ。私のことを知らぬ者はおらんだろ」


 確かに人間の姿ではあるとは聞いてはいたが、顔は血豆のように赤黒く、皮膚は酷く爛れており、剣で深傷を負った跡と傷が無数に混在し、怖気付いてしまうほど醜い姿だった。

 あまりの悍ましさに、永憐と深豊以外は硬直したままだ。


 「夜はこの姿が一番楽でな、驚いたか?酷いだろう。昔、お前たちのような修仙者たちに、こんな顔にされちまったんだ…。酷く憎んでいるよ、特にその永冠を持っていた冠月という男にはな」


 冠月という伝説の男が居たことは、父でもある師匠の心悦から聞いたことがある。王家の剣豪と呼ばれた心悦でも、歯が立たないほどの剣の秀才で、どんな術も駆使できたと言われている。又、父の友人であり、命の恩人でもあると。永憐は、父が話していた冠月の話を思い浮かべながら、永冠の鞘を握る。


 「まぁいい。昔のことだ。今世で全て終わりにしようではないか!ただ、もう少し今世を浪遊したい」


 「まだ赤潰疫を撒き散らすつもりか?」


 永憐は永冠の先を光らせ、玄天遊鬼に向ける。

 玄天遊鬼もそれに気付き、どこかの門派の修仙者が使っていたであろう剣を鞘から抜く。

 互いの剣先が月に照らされ、鋭く眩い光を放つ。

 深豊と宇辰たちは永憐の背後に下り、今は黙ってこの状況を見守る。


 「今日は簡単な手合せといこうか」


 玄天遊鬼はそう言って、勢いよく走り出し永憐に向かって剣を振り翳す!永憐も永冠の剣先に剣気を込めて、玄天遊鬼の剣を迎え撃った。激しく剣先が擦れ、耳に劈く音が鳴り響く。月明かりに照らされた影はどちらも剣士のようだ。

 玄天遊鬼の動きは俊敏で、一瞬の隙もない。永憐の剣を躱わすことができる妖魔は珍しく、やはり玄天遊鬼は妖魔の中でも群を抜いた強者だ。この手合せもなかなかの烈戦である。しかし、剣豪の鋭さは衰えることを知らず更に力を増し、玄天遊鬼は僅かに遅れを取り始めた。

 玄天遊鬼は後ろに下り始め、剣気も後退していく。

 その隙を狙って、永憐は剣を握る者の致命傷となる手の甲を狙い、玄天遊鬼の右手に向かって剣を突き刺した。

 玄天遊鬼は右手から剣を離し、溢れてくる黒い血のようなものを拭う。


 「はははっ。見事な剣捌きだ!素質は冠月とそっくりだな。覚えておこう」


 玄天遊鬼はそう言うと、いきなり左手から白い火の玉のようなものを浮かばせた。靄がかかった不気味な火の玉を、永憐に向けて吹き飛ばし、白い歯を見せる。

 永憐は火の玉を躱そうと永冠を振り下ろしたが、その瞬間白い火の玉は急に煙へと変わり、永憐の顔を通過した。

 しばらくすると、突然永憐の口から咽せるような咳が出始める。


 「ゴホッ、ゴホッ…。何をした…」


 「私は疫病神で有名だからな、しばらく君と鉢合わせないよう、邪気の強い風邪を吸い込んでもらった。そのうち喉も腫れて声も出せなくなる。そこら辺の流医では治せないだろう。せいぜい苦しむがよい」


 「何っ…、ゴホッ、ゴホッ…」


 永憐は口元に手を当て、ゼイゼイと鳴る咳をする。

 近くで見ていた深豊が「貴様!」と叫びながら玄天遊鬼に近づこうとするが、永憐に止められ立ち止まった。


 「やめておけ。今の私では助太刀できない…ゴホッ、ゴホッ」


 「だからってこのままでいいのかよ!」


 深豊は悔しそうにするが、永憐の呼吸するのも辛そうな表情を見て、深豊は動きを止めるしかなかった。

 宇辰や他の者も、深豊の後ろでたじろぐ。


 その様子を見ていた玄天遊鬼は、黒い靄を身体から放出し木の上に飛び移る。


 「では諸君!また会おう!」


 「待て!この野郎!」


 深豊は剣を玄天遊鬼に向けて上に投げつけたが、木の実を放り投げるかのように深豊の剣を躱すように放って、玄天遊鬼は黒い靄を残したまま一瞬で姿を眩ました。

 深豊は玄天遊鬼の残影を見ながら「クソッ!」と嘆いた。


 「ゴホッ、ゴホッ…。青狐チンフー、すまない」


 「お前は悪くねぇよ。っておい、大丈夫か?顔色悪いぞ」


 深豊の言葉を聞いた宇辰が、永憐に駆け寄る。


 「永憐様、大丈夫ですか?熱もありそうですね…。とにかく今日は早く戻りましょう」


 具合の悪い永憐を深豊と宇辰が肩を組むようにそれぞれ支え、今日のところは撤収した。

 深豊は永憐を宋長安まで見送り、日の出に向かうように橙仙南へと帰っていった。


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